REASE公開講座 「「障害学のリハビリテーション」とは何か」(14/3/8)   社会モデルの分岐点―実践性は諸刃の剣?―(星加良司: 東京大学) 1.はじめに 〈問題意識〉 ●障害学に対する不全感と「復権」としての「リハビリテーション」 ●人文社会科学としての洗練と発展の必要性 ●近年、障害学の共通基盤ともいうべき「社会モデル」に対して、それはもはや障害問題を扱うに当たって何の役にも立たないどころか、むしろ邪魔になっているという批判がある(Shakespeare等)。これが当を得た批判であるとすれば、障害学の進むべき道も再考を迫られる可能性がある。このことを踏まえ、「社会モデル」のポテンシャルを批判的に検討する。 ★「幾つかの理由により、いまや社会モデルは障害者運動や障害学のさらなる発展を阻害するものとなっている。それらの理由は、社会モデルに外在的なものなのではなくて、その成功に内在するものなのだ」(Shakespeare 2006: 33) ★「…社会モデルがシステムなのか、モデルなのか、パラダイムなのか、理念なのか、定義なのか、あるいは道具なのか、といったことは大した問題ではない。重要なのは、社会モデルが誤っているということなのだ」(ibid.: 53)     ↓↓ ●議論の流れ ・現状の社会モデル理解が陥りがちな陥穽を指摘する。 ・障害学の役割を狭義の実践性の文脈に固定化した場合に、社会モデルがもたらすことになる危険性について論じる。 ・以上を受け、社会モデルのポテンシャルを活かした研究の方向性について考える。 2.偏った社会モデル理解 (1)「矮小化」の問題 ■障害の社会モデル =インペアメントとディスアビリティを分析的に区別した上で、ディスアビリティの社会構築性に焦点を合わせる視点     ↓↓ ●アカデミズムとアクティヴィズムにおける受容の過程の中で… ・限定された「社会」観に基づく視野狭窄 ・社会的障壁と不利益との関係が見えやすく、その具体的処方箋を描きやすいケースへの照準 ・因果論的な説明と責任帰属の議論との同一視     ↓↓ ・社会モデルは「エレベーター設置の新しい切り札」ではない! ・マクロな社会システムやイデオロギーと障害問題との連関が無視される。 (2)「公私二元論」の問題 ●ディスアビリティ(社会的なもの)とインペアメント(生物学的なもの)との概念的区別こそが致命的、という批判 ・インペアメントを生物学的な事実として本質化する ・障害者の経験にとって重要な位置を占めるインペアメントを無視/軽視する     ↓↓ ・認識論的に妥当でなく、障害者の経験に対して抑圧的。 but ●社会モデルの提唱者Oliverの議論では、医学的なインペアメント理解が偶有的な歴史の産物であることは議論の前提であり、にもかかわらず社会モデル論者がインペアメントを生物学的な所与として語りがちなのはむしろ、そうすることに運動論上のメリットがあったからと考えるのが妥当(モデルの文脈的使用の結果)。 →必ずしも内在的な限界とはいえない。 ●問題なのは、「ディスアビリティ/インペアメント」という二分法的な概念セットであるというより、それらを「公/私」という領域区分に配当し、「公的なディスアビリティ」を「公的な政治運動」によって解消することこそが重要だと考える二元論的な図式。 ・障害学はそうした「公的な問題」に取り組むべきであるとし、その評価基準を示す用語として、「社会モデル」が使われる傾向 →「狭義の実践性」への封じ込め     ↓↓ ・こうした「理論的?」なお墨付きによって、「矮小化」が促進される。 3.「狭義の実践性」の何が問題か ●障害学(社会モデル)の焦点 ・「障害者を社会のメインストリームから排除している環境的・社会的障壁」(Barnes 1996) ・「集合的行為によって変化させうるようなイシュー」(Oliver 1996) ・「長期的な進展とともに短期的な進展が証明される必要がある」(Barnes et al. 1999=2004) ●メインストリームの政治的・公的領域の歪みの再生産 ・男性中心主義、健常者中心主義 ・既存の支配的価値観を前提とした政策目標(同化指向的な包摂) ●一般化されないニーズの捨象 ・「ニーズ」の文脈依存性と共約不可能性(incommensurability) ・「権利」の普遍性と脱文脈化 ●個人的・私的な領域における権力関係の再生産と不平等の温存・強化 ・「私的」な領域の脱価値化 ・「障害者役割」の再生産と、自己抑制としてのディスアビリティ(星加 2007) 4.「広義の実践性」への展開 ●「できなくさせる社会(disabling society)」への着目のみならず、「できるように強いる社会(ableistic society)」の分析を。 ●社会モデルの矮小化と狭義の実践性への封じ込めによって、前者の方向性へのドライブがかかるとすれば、それは問題。 →「できなくさせる社会」の分析は、往々にして「できることの価値」を所与としてしまう。 ●「できるように強いる社会」の分析は、場合によっては「できなくさせる社会」を合理化する議論に転化する恐れがあるが、一方で現実との距離化を通じたサバイバル戦術として機能する可能性もある。     ↓↓ ・幅広い「当事者性」を獲得する可能性 ・「近代」を問う学際的な理論的関心の対象へ 文献 星加良司, 2007, 『障害とは何か:ディスアビリティの社会理論に向けて』生活書院 Shakespeare, T., 2006, Disability Rights and Wrongs, Routledge.