1 児童の教育・発達・虐待:経済学の視点 慶應義塾大学経済学部 赤林英夫 2014/7/10 REASE公開講座「児童虐待被害者支援策の新展開」 2 虐待は「しつけ」のため? ○「しつけのため」交際相手の2歳長女暴行、逮捕 2014/6/14TheYomiuriShimbun 一部修正) ○交際相手の2歳の長女に暴行し、けがをさせたとして、宮城県警は13日、仙台市宮城野区苦竹、建設作業員XX容疑者(32)を傷害の疑いで逮捕した。仙台東署の発表によると、XX容疑者は4日午後7時~5日午前1時頃、自宅で預かっていた同区の女性(20)の長女、YYちゃんの頬をつねり、皮下出血のけがを負わせた疑い。調べに対し、XX容疑者は「しつけのためにやった」と供述しているという。 ○「夫も自分もしつけの為に娘を叩いた。いけない事なのか?」読売新聞1月31日(金)一部修正 ○東京都葛飾区のマンションでXXちゃん(2)が変死した事件で、警視庁葛飾署は31日、司法解剖の結果、死因は肝臓の損傷による失血死と発表した。暴行を受けた疑いがあり、昨年12月にXXちゃんを殴ったとして、暴行容疑で逮捕した父親の無職YY容疑者(33)から、死亡の経緯についても聞いている。 ○XXちゃんの遺体は、あばら骨2か所が折れていたほか、全身の約40か所に皮下出血が確認された。救急隊員が洋間に倒れているXXちゃんを発見した際、上半身は裸だった。 ○YY容疑者は「しつけで娘の頭を触ることはあったが、たたいてはいない」と供述。一方、妻(26)は同署の任意の事情聴取に「夫も自分もしつけのために娘をたたいたことが何度かある。よその家庭でもあることで、いけないことなのか」と話しているという 3 講演の概要 ○「しつけ」は虐待の言い訳か? ○経済学から見た教育と家族 ○教育の経済学、家族の経済学 ○家庭の経済格差はなぜ教育格差に繋がるか? ○家庭の経済状態と体罰・虐待 ○心理学における児童虐待発生のメカニズム ○子どもの発達と子育ての経済学 ○経済学モデルによる児童虐待 ○虐待発生をコンピュータ上で再現する 4 しつけは言い訳か? ○いいわけだとすると・・・ ○自己弁護・自己正当化 ○虐待の意図のカモフラージュ ○真に子どもに無関心、敵意、フラストレーションのはけ口 ○いいわけではないとすると・・・・ ○自分も同じように育てられた(「これがあたりまえ」) ○親のいうことを聞かせるために罰している(合理性の主張) ○自分の期待しているとおりに育たない ○子どもの発育(や障害)に対する知識の不足 ○「厳しくしつければなんとかなるはず」(効果的な教育法という認識) ○過大な期待を自己修正できない親 5 「しつけのつもり」をそのまま受け取ることの意味 ○自己弁護と本心を区別することは難しい ○「正しい」「合理的」と考えて行う虐待の難しさと積極的意義 ○罰則の強化で抑止できない(善意の抑止)。 ○最悪の自体になるまで(近く)抑止できない。 ○虐待行為を事後的に摘発するのではなく、行為を発生させる親の背景や条件を改善させる必要がある。 ○「虐待の予防」という目的に合致 6 経済学から見た家族と教育 ○家族の経済学 ○労働経済学の一分野 ○出生率の決定、家庭内分業、結婚市場、離婚率、家庭内教育、社会保障と家族(ニューホームエコノミックス) ○教育の経済学 ○労働経済学・公共経済学の一分野 ○投資としての教育決定(人的資本)、教育の社会的価値、教育と経済成長、学校教育の効率性、教育資源の有効利用、教育制度と教育生産 ○共にゲーリー・ベッカー(Gary S. Becker :1930-2014 )の強い影響で発展 ○家族と教育の研究により1993年ノーベル経済学賞受賞 ○批判と反批判 ○教育や結婚を金銭価値や自己利益でのみ考えるようにしてしまった(宇沢1989) ○しかし、経済格差の形成とその解決方法を考える上で、教育の経済的利益の考察は決定的に重要(世代間の貧困の連鎖からの脱却) ○結婚や離婚の発生の社会経済的背景を考えることは、少子化や片親家庭の支援のために必要不可欠 7 ニューホームエコノミックス ○家族の機能の経済学モデル ○家族の行動原理:家庭内効用の最大化 ○家族生活における基本的な目的(便益)の組み合わせで決まる「効用:満足度」を最大化するように、時間と財の購入・配分を決定する。 ○U(便益1、便益2、...) ○家庭内生産の概念の導入 ○家事労働の考え方の拡張 ○便益=F(家庭内生産財、家庭内労働時間) ○「子育て」も家庭内生産の一種 ○時間の費用の明示化 ○子育て時間の「機会費用」=(外で働いたら得られる)賃金 ○キャリアを目指している女性ほど子育ての機会費用は高い。 8 家庭内生産財 (食材、薬、車、本、等) 家庭内労働時間 (調理時間、子育て時間、買い物時間、通院時間、旅行時間) 家庭内生産の概念 家庭内便益 健康・子ども余暇・食事 健康=F(栄養摂取、運動、医者、薬、所要時間) 子どもの幸福=F(子どものための消費、教育費、子どもと過ごす時間) 9 家庭内の経済資源はなぜ子どもの教育・社会的達成度と相関があるのか? ○家庭の経済格差と子どもの貧困 ○子どもの学習機会に格差をもたらしているのでは? ○子どもの生まれもっての不平等が広がっているのでは?(機会の不平等) ○子どもの「人的資本」生産関数 子どもの人的資本=F(家庭、地域、学校、本人) ○4つの原因 ○家庭の経済格差・文化格差 ○経済的資源の差が、家庭内外の教育に差をもたらす(特に借り入れ制約のある場合) ○経済格差は教育ローンの充実により部分的に解消 ○地域の差 ○友人関係・地域の産業の有無・将来への期待 ○ただし所得が高ければ転居は可能 ○学校の差 ○教師、教科書、カリキュラム、クラスサイズ(教育政策) ○ただし所得が高ければ転校は可能(私立も含む) ○本人の差 ○親の経済格差は親自身の性格や能力に起因している場合、子どもも同様な資質を持っている可能性がある。 ○直接の観測は難しいが、極めて重要。 10 家計収入別に見た学力水準 赤林英夫・中村亮介・直井道生・敷島千鶴・山下絢2011「子どもの学力には何が関係しているか-JHPSお子様に関する特別調査の分析結果から」樋口・他編,『教育・健康と貧困のダイナミズム―所得格差に与える税社会保障制度の効果』慶應義塾大学出版会. 数学 数学偏差値(全学年プール)/第1四分位 世帯収入階層 国語 国語偏差値(全学年プール)/第1四分位 世帯収入階層 推論 推論偏差値(全学年プール)/第1四分位 世帯収入階層 注:横軸は2009年家計収入四分位、縦軸は偏差値、グラフは平均点と標準誤差を示す。 11 きょうだい数と学力 赤林英夫・中村亮介・直井道生・敷島千鶴・山下絢2011「子どもの学力には何が関係しているか-JHPSお子様に関する特別調査の分析結果から」樋口・他編,『所得移転と家計行動のダイナミズム―所得格差に与える税社会保障制度の効果』慶應義塾大学出版会. 数学 /子供の人数(人) 国語 /子供の人数(人) 推論 /子供の人数(人) 12 家計の経済状態と虐待の発生 ○虐待の発生は貧困と関係あるか? ○日本における子どもの貧困の増加と虐待の顕示化 ○しかし、この両者の因果関係の特定は難しい ○米国での議論 ○全米の州単位の平均値データを使うと、所得水準(貧困率)、両親の就労状況、片親の比率、子どもがいながら働いていない父親の比率は、それぞれ児童虐待の発生確率と関係している。(Paxson and Waldforgel 2002). ○カリフォルニア州の群レベルのデータを使うと、経済状態は必ずしも児童虐待の発生と結びついていない。しかし、父親の就業と母親の就業を個別に見ると、父親の失職は児童虐待を増加させ、母親の失職は児童虐待を減少させる傾向にある。(Lindoet al. 2013) ○父親が子どもといると、母親よりも虐待に結びつきやすい? 13 家計所得と体罰の関係 ○Weinberg (2001): 所得の低い親ほど体罰を使う ○親は子どもに良い行いや勉強を促すための「インセンティブが必要」 ○所得が高い親は「お金」でインセンティブを与えられる(好きな食事、プレゼント、テレビ禁止、等) ○所得の低い親は「お金」でインセンティブを与えられない(そもそもの生活水準が低いため) ○「体罰」はお金のかからないインセンティブの提供 ○米国のデータ(PSDI-CDS)で確認 14 親が子どもをたたく回数、ほめる回数 (NLSY Children 1988:米国) 子どもをたたく頻度(一週間) How Often Child is Spanked Times / Age of Child 子どもの年齢 子どもをほめる頻度(一週間) How Often Child is Praised Times / Age of Child 子どもの年齢 子どもの年齢が上がると、親の子どもへの干渉は減少する。 15 心理学で議論される 児童虐待のメカニズム 虐待の理由や背景はさまざまで、すべてを一つの型に当てはめることは危険 ○しかし、ある程度の類型化は、虐待の可能性を発見し、その発生を未然に防ぐために必要不可欠。 病理心理学(Psychopathological )アプローチ ○最も初期の考え方 ○虐待する親は「病的」「普通ではない」 ○「原因の一つにすぎない」(Zigler and Hall 1989) 社会的アプローチ・生態学的 (Socio-interactional, Ecological)アプローチ(Belsky 1980) ○児童虐待は普通の親子関係が連続的に壊れていく結果発生する。 ○どのような家庭も、虐待に陥る可能性がある。 ○体罰を許容する伝統的社会(日本を含む)では特に当てはまるのでは? ○例:韓国では、体罰によるしつけを許容(Park, 2001; Chun, 1989) 子どもの能力や発育に対する親の「期待」の重要性 ○子どもに対して非現実的に高い期待を持つ親は、子どもの発達課程についての深く正しい理解を持つ親に比較して、虐待に陥る可能性が高い. (Zigler and Hall 1989 p.64) ○虐待のケースの多くは、親が子どもに、発達のプロセスから見て無理な行動を期待し、その期待される行動を子どもに強要するような無意味な試みが関わっている. (Wolfe 1987) ○身体的虐待はしばしば厳格なしつけと体罰の結果発生する。 ○乳幼児をコントロールしようとし、しつけの範疇を超えて身体的傷害やそのリスクに繋がるような行動。 16 子どもの発達の経済学 ○子どもの知的能力や心的能力の発達と社会経済的背景の関係、成人後の所得や社会行動との関係、その格差拡大を抑えるための政策に関する経済学者、社会学者、心理学者の共同研究 ○子どものスキルの形成のモデル(Heckmanetal, 2010) ○認知スキル(知力)、非認知スキル(我慢強さ等性格)、健康(肉体、精神) ○観測されるテスト結果、心理状態、健康状態はすべてこれらのミックス ○スキルは投資により発達する。 将来のスキル=F(現在のスキル、投資、親のスキル) ○モデルの仮定 ○親は、子どもに愛情をもって子どもに投資をする ○投資は主として時間とお金 ○これまでの発見と議論 ○子どもの非認知能力は認知能力に大きな影響がある。 ○幼児期に質の高い保育を行うことは、認知能力・非認知能力の発育に大きな効果がある。 17 子育ての経済学 親の子育て行動と子どもの発育のモデル ○子どもにとって、親の役割は金銭的投資だけではない。 ○発達心理学にとって、もっとも重要なことは子どもに対する親の接し方(愛着など) ○子育てスタイルの発達心理学(Parenting Style ; Baumrind 1968) ○親子関係のモデルの重要性(Heckman and Mosso 2014) ○親はどのように子育てスタイルを選ぶのか? ○家庭内資源と体罰の選択 Weinberg (2001) ○なぜ特定の子育てスタイルが良いとされるのか? ○「子どもを守りすぎない子育て」Lizzeri and Siniscalchi (2008) ○なぜしつけが虐待になるのか? ○「しつけ・教育のつもり」で虐待をしてしまう親は、子育てスタイルの選択をどこかで間違ってしまっているのでは? ○ではなぜ間違えるのか? →子育てスタイルのダイナミックモデルによる児童虐待の研究 Akabayashi (2006) 18 児童虐待の経済学モデル (Akabayashi 2006)の特徴 仮定 ○親は子どもに愛情を持ち、子ども以上に将来のことを考えている。 ○親は子どもの人的資本(知的成熟)の成長や努力を直接観測できない。 ○子どもの「行動」は、子どもの人的資本、努力と、偶然によって決まる。 ○子どもに努力のインセンティブを与えるために、親は子どもの行動に基づいて「ほめたり罰したり」する。 ○子どもの行動に基づいて「ほめたり罰したり」する程度を「インセンティブ強度」と呼ぶ。 ○親の子どもの知的成熟に対する期待が高すぎると、子どもの行動や努力を否定的に評価する。 ○「もう〇歳なんだからこれぐらいできるでしょ!?」 ○「なんでこんなことができないの?がんばっていないんじゃない?」 モデルから得られる含意 ○こどもに愛情をもつ親でも虐待に至ることがある ○初期時点の子どもの成熟度が平均より低い ○子どもの成長過程に対する知識が不足する(不確実性の増大) ○子どもと接する時間が減少する ○子どもの行動を一方的に否定的に評価し続ける ○「しつけのつもり」の虐待の発生確率の増加 ○子どもの知的成熟の遅滞 19 児童虐待のモデル(Akabayashi 2006) における親と子の不安定な相互作用 初期条件 親は子どもの発育レベル(h)に非現実的な高い期待と不確実性(σ)をもつ 子どもの実際の発育レベル(h)は高くない 親は子どもと過ごす時間としつけの厳しさ(インセンティブ強度)を決める 影響 子どもが自分の努力水準(a)を選ぶ 子どもの人的資本が上昇する 親は子どもの行動に対して非現実的な高い期待と不確実性(σ)をもつ 子どもの低い行動が観測される 観測 ショック 親は子どもにしつけとして厳しく当たる 親は子どもの現在の発育水準に対する期待を下げる(不確実性は上昇する) 繰り返し 20 コンピュータシミュレーション: 子どもの発育度合いに対する親の情報不足(不確実性)と、親の子どもに対する行動(虐待に至らない確率) φ(t): Stability Criteria of Beliefs te(t): Statistics for no maltreatment 不確実性 虐待に至らない確率 φ and t / Time 不安定な親子関係:親の持つ情報が増加しない 安定した親子関係:親の持つ情報が増加し、虐待に至らない確率が上昇する 21 コンピュータシミュレーション: 子どもの人的資本(知的成熟)の成長と親から見た子どもの成長の期待値 h(t):Actual Human Capital hhat(t): Predicted Human Capital with Standard Error 子どもの成長に対する親の予想値(点線は予測誤差の範囲) 子どもの人的資本(知的成熟度) Human Capital Level / Time 不安定な親子関係:子どもの成長は遅れ、親の期待値は実際の成長よりも著しく高い 安定な親子関係:子どもの成長は順調で、親の期待値は実際の成長に近づく 22 コンピュータシミュレーション: 親から子どもへの投資と親が子どもに与えるインセンティブルールの強さ log s(t):Log Parental Time with Child log bH(t): Log Parental Effective Incentive インセンティブ強度 親が子どもに費やす時間 log(s) and log(bH) / Time 不安定:親は子どもへ費やす時間やインセンティブ強度を減らす 安定:親は子どもへ費やす時間やイン センティブ強度を増す 23 児童虐待防止に向けた政策的含意 ○親に対する教育 ○子どもの成長に関する適切な知識の必要 ○標準ケースだけでなく、問題ない「幅」や「範囲」 ○正しい情報の提供 ○一般的「子育て法」の知識では不十分 ○「あるべき子育て」「良い子育て」「子育ての成功例」が巷にあふれすぎ(誤解を招きやすい) ○どの親にも虐待に至る可能性がある ○教育と虐待の境界のあいまいさ ○例:「タイガー・マザー(2011)」 参考文献 ○Akabayashi, Hideo. 2006. “An Equilibrium Model of Child Maltreatment.” Journal of Economic Dynamic and Control 30(6), 993-1025. ○Baumrind, Diana. 1968. Authoritarian vs. Authoritative Parental Control. Adolescence. 3(11), 255-272. ○Cunha, F., J. J. Heckman, and S. M. Schennach. 2010. “Estimating the Technology of Cognitive and Noncognitive Skill Formation.” Econometrica. 78(3), 883-931. ○Heckman, James J. and Stefano Mosso. 2014. “The Economics of Human Development and Social Mobility. NBER Working Paper 19925. http://www.nber.org/papers/w19925 ○Lindo, Jason M., Jessamyn Schaller, Benjamin Hansen, 2013. Economic Conditions and Child Abuse.” NBER Working Paper 18994. http://www.nber.org/papers/w18994. ○Lizzeri, A. and M. Siniscalchi. 2008. “Parental Guidance and Supervised Learning.” Quarterly Journal of Economics. 123(3), 1161-1195. ○Paxson, Christina, and Jane Waldfogel . 2002. “Work, Welfare, and Child Maltreatment." Journal of Labor Economi cs,20(3), 435-474. ○Weinberg, Bruce A. 2001. “An Incentive Model of the Effect of Parental Income on Children.” Journal of Political E conomy, 109(2), pp. 266-280. ○Wolfe, David A., 1987. Child Abuse: Implications for Child Development and Psychopathology. Sage Publications, Newbury Park. ○Zigler, E., Hall, N.W., 1989. “Physical Child Abuse in America: Past, Present, and Future.” In: Cicchetti, D., Carlson, V. (Eds.), Child Maltreatment: Theory and Research on the Causes and Consequences of Child Abuse and Neglect. Cambridge University Press, Cambridge, pp. 38-75. ○赤林英夫・中村亮介・直井道生・敷島千鶴・山下絢2011「子どもの学力には何が関係しているか-JHPSお子様に関する特別調査の分析結果から」樋口・他編,『教育・健康と貧困のダイナミズム―所得格差に与える税社会保障制度の効果』慶應義塾大学出版会. ○宇沢弘文1989「経済学の考え方」岩波書店 ○エイミー・チュア2011「タイガー・マザー」朝日出版社 24