児童虐待と修復的正義 REASE 公開講座 「児童虐待被害者支援策の新展開」 2014年7月12日 立教大学コミュニティ福祉学部 小長井賀與 1 修復的正義 Restorative Justice とは何か ・後期近代社会と修復的正義  国家主導で合理的・効率的な社会の建設・運営を目指し、経済的繁栄を求めてきた近代  人間の情緒や精神性、当事者主体、コミュニティの意義を再 評価し、生活のあり方を見直そうとする後期近代  我々は大切なものを捨ててきたのではないか? 我々は物質的に豊かになって、幸せになれたか?  近代では合理的でないとされてきたものに、「新しいレンズ」で焦点を当 てて、世の中の事象を見直す。 「新しいレンズ」 ー 出来事をどう解釈をするか、どんな要因が重要なの か、どういった対処が可能で適切なのかなどに関する思考の枠組み (ゼア、2003)  修復的正義・修復的司法(Restorative Justice)は、国家が司法制度 や児童福祉制度を整備していく過程で、前近代的で非合理なものとして 捨ててきたコミュニティの紛争解決手段の価値を見直し、再び社会運営の 方法として取り込もうとする後期近代における思潮、実践 財産としての紛争(Confict as Property)  紛争は、その処理過程でコミュニティが凝集性と問題解 決能力を高めていく契機となる財産なのに、国家がその財 産を奪い、専門家達のものにしてしまった。(Christie, 1977) → 修復的正義の実践に弾み  紛争の当事者は国家と加害者ではなく、被害者と加害者 である。コミュニティの住民自身が紛争に対処する。 パラダイム転換 ・国家の秩序、法的平和を維持・管理するためでな く、住民が納得できるコミュニティの正義と平和を 協働して創っていく! ・犯罪観の違い ・方法論の違い ・目的の違い ・正義観の違い 犯罪観の違い ・従来の司法制度 ー 犯罪は国家に対する侵害。法違反と罪 責によって定義づけられる。司法は、体系的規則に従い、 加害者と国家との戦いの中で、加害者の責任とその大きさ を決定し、責任に見合う苦痛を科す。 ・修復的正義 ー 犯罪は人々やその関係に対する侵害であ る。犯罪は事態を修復すべき義務を生み出す。司法は被害 者、加害者及びコミュニティと関わりつつ、壊れた関係の修 復を進め、関係者が自信を増進させるような解決策を追い 求める。(cf. ゼア、2003、pp180-216) 方法論の違い ・前提 (共通)  悪事によってバランスが崩れた。  加害者は責任を負う。  加害行為とそれへの対応の間には、比例的な関係があるべきだ。 ・方法  *従来型司法  過去に行った罪の大きさに相応する苦痛を加害者に 与えることで、法を破った加害者と法的秩序を崩さ れた国家との間でバランスを回復させる。 正義観の違い ・従来型司法における正義 正義とは、社会全体の幸福を保障する秩序を実現し、維持すること(広辞苑) ドイツの憲法裁判所による「比例原則」 1手段が正当な目的と適合的である。 2手段が目的達成のために必要である。 3制限による利益と失われる利益が均衡している。 (芦部信喜、高橋和之補訂、2013、p105) ・ジョン・ロールズの「正義の二原理」 第一原理 ― 各人には基本的自由に対する平等の権利がある。 第二原理 ― 社会的・経済的不平等は最も恵 まれない人の利益を最大化するときにのみ許 され、いかなる地位や職務に着く可能性も全 ての人に開かれている。(ロールズ、2010、p84) 修復的正義における正義 ・すべての人々を尊重して、 1 誰が傷ついたか、彼らのニーズは何かに焦点を当て、 2 事態に利害・関心をもつ人及び影響を受けた人 (被害者、加害者、コミュニティ)を関わらせて、 3 関係者なら誰でも包摂し、協働して熟議し、 4 害悪に起因する(加害者、コミュニティ、社会の)責務に取り組み、 5 悪事を健全化していく。 (ゼア、2003その他) *修復的正義  被害者の受けた害とニーズを確認することから 出発し、加害者が自ら起こした害を修復する責 任を引き受け、履行することを要請する。さらに、 加害行為を引き起こした原因に向き合い、自分 の中にある悪を健全化する努力をするよう促す。  加害者に修復責任を履行させることで、将来の 新たな局面で過去の害悪を修復させることでバ ランスを取る。 目的の違い ・従来型司法  国家の秩序・法的安定性の回復、維持 ・修復的正義  被害者と加害者双方をコミュニティの中で肯定す ることを目指し、彼らの人生ストーリーを肯定的なも のに変容させる手助けをする。  コミュニティにおける関係性の回復、発展 修復的司法の目標 ・能動的な責任 = 住民は皆、コミュニティ建設への連帯責任(R esponsibility) を負う。したがって、住民である加害者は行った 悪事に関して、説明責任(Accountability)を担う。 ・平和な社会生活 = 調和、満足、安全、善き生活 ・尊敬 = 住民は皆、尊厳と価値を有する者として遇し合う。 ・連帯 = 存在を支持され、繋がっているという感覚 (cf. Van Ness & Strang, 2010) 修復的正義の定義 (純粋モデル)  当該紛争に関係する当事者が一堂に会し、紛 争の影響と将来の関わりをいかに取り扱うかを 恊働して解決していく過程である。 (最大化モデル)  紛争によって生じた害を修復することによって、 正義を志向する一切の活動である。 修復的正義の実践領域 ・近隣のもめ事 ・児童福祉(親権、養育、親権のない親との交 流、養子縁組、虐待、親子分離、etc.) ・家事問題(離婚、相続、財産分割、etc.) ・民事司法(契約不履行、医療過誤、etc.) ・少年保護(非行、触法行為) ・刑事司法(犯罪) ・学校生活(けんか、いじめ、etc.) ・平和構築(人種差別、宗教対立、虐殺、etc.) 2 児童虐待への修復的実践 問題の所在 ・ 児童は家族の中で生活を保障され、愛護されながら成育していく。児 童は親との愛着関係を基盤として自我を形成し、社会性を育んでいく。  しかし、児童虐待では、児童にとって保護の担い手で あり役割モデルとなるべき親が、加害者となっている。  「関係性」のねじれ 「関係修復」ー 修復的司法 ・ 加害する親は親族やコミュニティから孤立し、子育ての支援を受けて いない。あるいは、親族やコミュニティには、親を支援する余裕がない。 (1)適用される RJ の種類 ・家族集団カンファレンス (Family Group Conference, FGC)  被害者、加害者、拡大家族、コミュニティの住 民が集い、家族に起こった問題解決のために話 し合い、決定していく過程 ・メディエーション(Mediation)  被害者と加害者が、メディエーターの仲介の元 に、家族に起こった問題解決のために話し合い、 決定していく過程 FGCの過程 ・参加者が問題を巡る情報を共有しながら、有効な解決策を見出すために熟議していく。 その過程で、参加者の長所が引き出され、困難な 状況から回復する力を得ていくが、同時に互いに 支援し合うネットワークも形成される。 ・加害者に対する応報よりも、被害者のニーズに焦 点を合わせる。 ・参加者をエンパワーし、家族やコミュニティの所有 する資源が増していく。 FGCの特徴 ・長所基盤モデル Strength-based Model 当事者の問題解決力、回復力を信頼し、当事 者による解決に委ねる。 ⇔ リスク管理モデル ・当事者のニーズを満たすことを目的とし、未来 を志向している。 (2)児童虐待問題におけるニーズ ・児童の最善の利益 まずは安全を確保し、さらに児童の成長と発展を保障すること  児童は保護者や家族から愛情と保護を受ける ことを通じて、他者や自分への基本的信頼感を 育み、それを基盤に自我を確立し、社会への肯 定的な構えを形成していく。  だから、児童の最善の利益を保障するために は、家族の健全化が必須である。 したがって、 ・加害者である保護者を生活の苦渋から癒し、健全さを引き出して、親としての成熟を助けることもニーズ ・親が成熟するためには、それを助けるべき拡大家族やコミュニ ティの人々も健全で余裕あることが望まれる。拡大家族やコ ミュニティの健全化もニーズ ・利害関係者の福利が実現され、良い関係性があってこそ、児 童の安全と成長・発達が保障できる。さらに、子育てが関係者 の喜びとなって、喜びが利害関係者の間を循環していく。 ゼロ・サム・モデルから ウィン・ウィン・モデルへ ・ウィン・ウィン関係が実現できるのは枠組みの拡大が あるから。当事者の直接の所属団体でなく、(関係者 がアイデンティティを共有する)それより上位の場で紛 争を治めようとするから、当事者全体を利することがで きる。潜在化している紛争をも扱うことで、抜本的な紛争解決が可能となる (ブレイスウエイト、2008) (3)ステークホルダーと支援共同体 ・ステークホルダー(利害関係者) ー 被害者、加害者、拡大家族、コミュニティの住民 ・子育ては保護者のみならず、社会や国の責務。だから、児童福祉にお けるステークホルダーは広範に及ぶ。 ・ただし、自然発生的な拡大家族やコミュニティの紐帯は希薄化している。 それなら、代わるものを社会的に構築すればよい。  ケアの共同体 Community of Care を創ろう!  官主導のネットワークに個別のニーズをはめ込むのでなく、 現前にある個別のニーズを満たすために、ステークホルダーが 集い、解決策を熟議する中で形成されたケアのネットワーク (4)加害者の再統合的恥付け Reintegrative Shamingと能動的責任 ・再統合的恥付けは修復的正義の主要な過程  利害関係者が集い、被害者と加害者双方をコミュニティの一 員として包摂することを保証した環境の中で、加害者に本音を 語り、被害者に与えた被害に対峙し責任を取ることを促す。  加害者は本音を語ることで恥を掻き、関係者がそれでも自 分を受け入れ語りを傾聴してくれたことで、更に恥の意識を深 める。この過程を踏むことで、包摂された安心感から自分の与 えた害に対峙でき、責任を取ろうとする(Braithwaite, 1989)。 → 情緒が利害関係者の間を循環し、加害者に能動的責任 意識と癒しをもたらす。 親子の「再統合」の過程 ・被虐待児にとって、親との再統合は成長のために不可欠のステップ ・再統合は、親との同居の如何に関わらず、互いを認め合って心理的に程よい距離を保てるようになること ・心身ともに傷ついた児童が加害親を受入れるようになるには、保護的な環境の中で、 受けた害の痛み、親への憎しみ・怒り・慕情など揺れ動く感情を吐露することが必要。 その上で、保護者の本音での心情の吐露と心からの謝罪を聴き、また、保護者の「再 統合的恥付け」の場に居ることで、虐待時の保護者の状況や事情を理解できるように なる。 ・保護者が完全に否定されると、児童の人間存立の基盤も根こそぎ壊れる。 (cf. 刑事裁判での加害親への有罪宣告) 保護者が包摂されることで、児童の癒しが堅固になる。 (5)当事者の新しいナラティブとエンパワー ・児童の被害体験 ー 存立を揺るがすスティグマと暗い記憶 ・自分の内面にある親子のイメージを肯定的なものに塗り替え、 家族の新しいアイデンティティを形成する必要 ・ミディエーターの非指示的仲介の下、利害関係者が「問題の外 在化、問題の解体、問題の解決に向けた熟議、肯定的な記憶 の想起、物語の書き換え」の手順で、新しい親子のナラティブを 創っていく。 ・加害親もコミュニティも新しいナラティブを紡げる。 → 利害関係者のエンパワー (6)修復的正義と国の司法制度による「応 答的規制(Responsive Regulating)」 ・児童の安全のための立入り調査と親子分離  育児への親の責任意識と主体的関与 ・保護者の能動責任と専門家による介入の相克 しかし、 ・専門家の介入や司法制度と修復的正義は、共存し相 補し合うもの。一国の正義の質は、両者の関係性に よって決まる。(ブレイスウエイト、2008) つまり、応答的規制 修復的正義と応答的規制の統合に向けて (7)手続き的正義 ・親との信頼関係に基づいた関与こそ、児童の最善の利 益に資する。 ・児童福祉機関が規制を強化せざるを得ない場合にも、 保護者に公的な規制を受入れざるを得ないという認識 があり、当局が規制を行う理由が理解可能で、規制が透 明性のある手続きに基づいて行われるなら、保護者が不公正感を抱くことが少ない。FGCに戻る可能性も高ま る。 ・手続き的正義の要素 ー 一貫性、代表性、偏向の抑制 、倫理性、適格性、修正可能性(Neff, 2004) 3 児童虐待への修復的実践の例 ニュージーランドのFGC ・根拠法: The Children,Young Persons and Their Family Act, 1989 ・文化的な規範、家族、拡大家族、コミュニティのストレング ス・長所を、子どものケアと保護に結びつけたところに斬新さがある。(コノリー、2005、p22) ・家族のエンパワーの要素 家族とソーシャルワーカーのパートナーシップ、家族のストレングス視点、家族の意志決定への参 画、家族の保全、家族の絆の強化と維持計画(コノリー、2005、p23) FGC開催までの児童保護手続き 通 告 初期アセスメント 調 査 ・他機関送致など ・家族との合意に基づいたサービスの提供 ・一時的親子分離 コーディネーター FGC 開催 ・合 意 ・ 非合意 →家庭裁判所 出所:(林、2008 、p 50 など) 参考文献のいくつか ・愛知県、2003、『家族再生のための地域型家族支援マニュアル』 ・芦部信喜、高橋和之補訂、2013、『憲法 第五版』、岩波書店 ・小長井賀與、2010、「児童虐待と修復的実践」、『修復的正義の今日・明日』、成文堂、p p31-52 ・コノリー、マリー他、2005、『ファミリー・グループ・カンファレンス』、有斐閣 ・ゼア、ハワード、2003、『修復的司法とは何か』、神泉社 ・高橋則夫、2003、『修復的司法の探求』、成文堂 ・林浩康他、2005、『子ども虐待時代の新たな家族支援』、明石書店 ・ブレイスウエイト、ジョン、2008、『修復的司法の世界』、成文堂 ・ベック、エリザベス他、2012、『ソーシャルワークと修復的正義』、明石書店 ・ロールズ、ジョン、2010、『正義論』、紀伊国屋書店 ・ Braithwaite,John,1989, Crime,ShameandReintegration,CambridgeUniversity Press ・Christie, Nils, 1977,“Confict as Property”, British Journal of Criminology, 17(1): p p1-14 ・Neff, Rob, March 2004,“Achieving justice in child protection”, Journal of Sociolo gy and Social Welfare ・Van Ness, Daniel W. & Strang, Karen Heetderks, 2010, Restorative Justice, 4th editio n, LexisNexis