児童虐待と“癒やされない傷”〜虐待被害者の脳科学的研究〜 福井大学 子どものこころの発達研究センター 友田 明美 日本における疾病負担(年齢別割合・2010年)(北里大学 佐藤ら) 国内の児童虐待の実態 公立小学校の3割に被虐待児童が在籍(朝日新聞 4.26,’12) 虐待者の63%が実母、22%が実父 本日のアウトライン 1. 児童虐待ストレスについて 2. 発達過程の小児脳の脆弱性・可塑性 3. 発達障がいと児童虐待の接点 1. 児童虐待ストレスについて はじめに 虐待は、その多くが子どもを死に至らしめ、生命の危機に瀕しなかった場合でもPTSDを始めとする重篤な精神疾患や人格障害を招く 被虐待児症候群の原因 Battered Child Syndrome(Kempe, 1962) ・暴力による身体的虐待 ・性的虐待 ・精神的虐待 (ことばの暴力,両親間のDV目撃など) ・ネグレクト (子ども遺棄,栄養不良,極端な不潔,育児怠慢) 児童虐待 子ども時代に虐待を受けた影響は人生のあらゆる時期に様々な形となって表れる 虐待経験者の怒り,恥辱,絶望が内に向かう場合  抑うつ 不安 自殺企図 PTSD 虐待の影響が外に向かう場合  攻撃性 衝動性 非行 薬物濫用 多動 小児期の愛着障害(行動面) ・異常な警戒感、過食、盗食、食欲不振 ・排便・排尿障害、年齢不相応の幼稚な行動 ・異常に素直、頑張りすぎ、大人びた行動 ・多動、過度の乱暴、注意をひく行動、いじめ ・虚言、詐欺的行動 ・性的逸脱行動、自傷行為、自殺企図 小児期の愛着障害(精神面) ・さまざまな発達の遅れ ・抑うつ・無表情・緘黙 ・学業不振 ・パニック・チック・気分易変 ・見捨てられ体験による被害念慮 被虐待により思春期に表れる精神症状 ・抑うつ ・ PTSD,過覚醒(警戒待機状態) ・衝動性 ・気分易変 ・被害念慮 被虐待により思春期に表れる問題行動 ・非行(とくに性的逸脱行動)  Engage in risky sexual behaviors (Hall, 2008), HIV-related risk behaviors (Bornovalova, 2008) ・家庭内暴力,学校不適応  Maltreated children were more likely to become involved with fire out of anger, towards higher rates of recidivism (Root et al., 2008) ・物質使用障害(とくにアルコール・薬物濫用)  Robust risk factor for adolescent binge drinking (Hamburger, 2008; Shin, 2009; Andersen & Teicher, 2008) 発達性トラウマ障害(Developmental trauma disorder, van der Kolk 2005)0 ・幼児期に普遍的な反応性愛着障害を呈する ・学童期にADHD様の多動と破壊的行動障害が前面に表れる! ・思春期に外傷後ストレス障害(PTSD)と解離症状の明確化! ・青年期には解離性障害および行為障害へ展開! ・成人期に一部は複雑性心的外傷後ストレス障害(DESNOS)! 発達過程の子どもの脳の脆弱性 私たちの仮説 ・子どもの脳は身体的な経験を通して発達していく中で虐待という激しいストレスの衝撃が脳にいやされない傷をきざみつけてしまう ・脳の発達に影響を及ぼしてしまう 虐待を受けて大人になった人の脳は“壊れた”ハードドライブ Ann NY Acad Sci (2006) 子どものころの想い出 NHK総合「追跡:脳の秘密 未来はどう変わる?」2009.7.11 性的虐待(セクシャル・アビューズ) ・性的虐待経験を持つ女性23名(19.1±1.1歳) ・トラウマ歴のない対照女性14名(20.1±1.3歳) 子ども時代の性的虐待の脳への影響 辺縁系症状 解離体験 不安症状 うつ症状 身体科症状 怒り/攻撃心 自殺企図 子ども時代の性的虐待の脳への影響 被虐待者 n=23(19.0±1.1yrs) 健常者 n=14(20.2±1.3yrs)! 視覚野(17,18野)の容積減少 -18.1%(Biol Psychiatry, 2009) 左一次視覚野の容積と反応抑制力 (r=0.53,p=0.01) フリーサーファーによるMRI形態解析 A Surface-Based Coordinate System 大脳皮質=脳回+脳溝 小児期の性的虐待の脳への影響 視覚野17,18野 Verbai Abuse(言葉による虐待)(Tomoda et al. 2011) 970名の中からスクリーニングされた被暴言虐待者21名と健常者19名 ことばの暴力による虐待の脳への影響は? 言葉の暴力のスコア Parental Verbal Aggression Scale 叱りつけ・囃し立て・侮辱・非難・おとしめ・恐怖を与える・卑しめる・嘲笑・批判・過小評価 子ども時代の暴言虐待による脳への影響 聴覚野の皮質容積異常(VBM)(Tomoda et al, NeuroImage, 2011) 暴言虐待の頻度と左上側頭回容積(多重回帰解析)(Tomoda et al. NeuroImage, 2011)! 母親の暴言 父親の暴言 両親の学歴 子ども時代の暴言虐待による脳への影響 弓状束を構成している軸索の数が減少? 被虐待者 n=16(21.9±2.4yrs) 健常者 n=16(21.0±1.6yrs)! (Choi et al., Biol Psychiatry, 2008) Superior Temporal Gyrus 聴覚野 スピーチ、言語、コミュニケーションに重要な役割を果たしている領域 “ことばの暴力”による虐待を侮らないで! 小児期の体罰が脳の発達に与える影響 1,455名の中からスクリーニングされた被厳格体罰者21名と健常者17名 強い体罰は子どもの脳へ大きく影響する 被体罰者 n=23(21.7±2.2yrs) 健常者 n=22(20.1±1.8yrs) 内側前頭皮質(10野)の容積減少 -19.1%(NeuroImage, 2009) 子ども時代の厳格体罰による脳への影響 痛みの伝導路 健常対照群 厳格体罰群 長期体罰の影響について 体罰についてのこれまでの一般的な見解 プラスになる“しつけ”効果 体罰 マイナス効果 虐待 両者の境界線は不明瞭 その賭は危険! 体罰によるマイナス効果を避けるために“しつけ”を考え直す必要がある! マイナス効果 Tomoda et al., NIMG 2009 両親間のDVを目撃した子ども達の脳発達 平成16年児童虐待防止法改訂 夫婦間の配偶者へのDVの目撃による子どもの心理的影響 米国での小児期DV目撃に関する実態 Witnessed Interparental Violence (IPV) (Holden, 2003) ・米国のIPV目撃児は年間1,550万人(McDonald et al., 2006) ・米国のIPV目撃児発生率は16~25%(Osofsky et al., 2003) ・ DVに曝された子どもが様々な精神症状を呈し,DV以外の被虐待児に比べてトラウマ反応が生じ易い(Evans, 2008; Fowler & Chanmugam, 2007; Kitzmann, 2003; Sternberg, 2006; Wolfe, 2003) ・知的能力と語彙理解力の低下(Huth-Bocks, 2001; Koenen, 2003; Ybarra, 2007) 子ども時代のDV目撃による認知機能への影響 ・20名のDV目撃経験のある女子大生の知能・記銘力・学業成績を調査 ・ DV群は健常群と比べて平均10点IQ↓ ・ DV群は健常群と比べて平均8点記銘力↓ ・ DV群には中退・留年がより多かった 子ども時代のDV目撃による脳への影響 Voxel-Based Morphometry 舌状回(18野) 視覚野(18野)の容積減少−6.1% ・暴言虐待の脳への影響(NeuroImage 2011) ・性的虐待の脳への影響(Biol Psychiatry 2009) ・厳格体罰の脳への影響(NeuroImage 2009)! Sensitive Period 感受性期 虐待ストレスの脳への影響とその感受性期 「三つ子の魂百まで」の脳科学的基盤を探る Andersen & Tomoda et al. J Neuropsych Clin Neurosci 2008 脳梁の感受性期 9~10歳 左右大脳半球の情報連絡・統合 Sensitive Periods 感受性期 生後の脳発達における活動依存的な“神経回路変化” Andersen & Tomoda et al. J Neuropsych Clin Neurosci 2008 癒やされない傷は治らない傷? 虐待は世代を超えて受け継がれる? 被虐待児が“こころ”に負った傷は簡単には癒やされない 回復可能なうちに虐待を発見し社会的な支援を行っていくことが重要 3. 発達障がいと児童虐待の接点 被虐待による反応性愛着障害 ・5歳以前に形成された養育者との異常な関係パターン ・衝動や怒りのコントロールの障害をきたす ・多動性行動障害の症状を呈する(しばしばADHDと間違えられる) スイッチング=「キレる」現象 些細なきっかけで激怒やパニックが生じ、大暴れする。 解離性同一性障害へ展開をしていく。 被虐待とADHDの鑑別点 児童虐待の後遺症としての愛着障害 被虐待児の特徴であるハイテンション 意識モードの変容を伴う(解離性の気分高揚) しばしばADHDと間違えられる 親も子どももなかなか打ち明けてはくれない虐待 ・虐待をしている親は、虐待をしていることを隠したり「しつけ」だと言い訳をする ・子どもはどんなにひどい虐待を受けていても周囲になかなか打ち明けようとしない ・「家庭」という密室の中で行われる虐待 周りにいる誰かが気がつかなければ児童虐待を発見することはできない! 被虐待児へのケア ・安心して生活できる場の確保 ・愛着の形成とその援助 ・子どもの生活・学習支援 ・フラッシュバックへの対応とコントロール ・解離に対する心理的治療 箱庭療法(15歳女性・初診時) 危機感 現実感(自我) 葛藤状態 児童養護施設で暮らす子どもたちの“逆境的小児期体験と抑うつ“(Suzuki & Tomoda 2011) 入所児童の1.6人に1人 6都道府県の16施設に入所する287名 男156/女131名,平均13.5±2.4歳を対象 児童養護施設で暮らす子どもたちの“逆境的小児期体験とうつ症状“ 児童養護施設で暮らす子どもたちの“逆境的小児期体験と抑うつ“ 入所児童の3人に1人 親の不在 親の反社会的行動 安定型の愛着が小児期体験の抑うつ予防に繋がる “逆境的子ども達”との関係 虐待/ネグレクト 親との死別・精神科疾患 親の拘禁・薬物依存 安定型 両極型 回避型 うつ症状 自尊感情 ある被虐待者の家族(61歳)からのメッセージ 私の40年来の悩みが本当に良くわかりびっくりしています。幼いころ虐待を受け続けると脳に影響があるという記事がありましたが、我が夫がまさにその通りです。 夫は、両親に虐待を受けて育ちました。私と結婚して40年、安定した人間関係が築けず、家庭でも暴力を振るって来ました。いつも何故なんだろう、自分が悪いのかと日々悩んで来ましたが、やっと友田さんの記事を読んでわかりました。 本人は虐待されて辛かったと思います。虐待から脳に損傷を受けたんだとわかりました。 今も心療内科に通っていますが、病院の先生は虐待が本人の後生に影響しているとは言われてませんでした。 記事を読ませていただいて、世の中このような人々が沢山いるんじゃないかなあと思っております。先生、私も自分の気持ちに整理が付きました。60歳を過ぎてやっと安心して生活出来ます。 これからも世の中の人々の為に研究して下さい。ありがとうございました。 (原文をそのまま引用) 遺伝子多型(5HTTLPR)と社会的支援 ・Kaufmanら(2004). 101名の子ども(57名の被虐待児と44名の対照児) 5HTTLPRと社会的支援(環境改善や心理的ケア)の有無でうつ発症に差があるのかどうかを検討. ・子ども時代に虐待を受け、うつ病抵抗性が最も低い5HTTLPRをもつ子どもでも、周囲からの社会的支援があればうつ病発症のリスクを緩和する! エピジェネティクス? 褒められるのはお金をもらう気分と同じ? 食べ物やお金と同じように“褒める”ことも「報酬」として脳内(線条体)で処理されている Izuma et al., Neuron (2008) 命がけの“ゆりかご”(中国四川大地震2008年5月21日) ・がれきの中から発見された母親は四つんばいになったまま息絶えていたが、その体の下で生後間もない赤ん坊が奇跡的に生きていた! ・「もしあなたが生き延びたら、私が愛していたことを忘れないで....」と携帯メールに残し、母は幼子の未来を守った。 心の絆(きずな)を育む発達行動科学の重要性:健全な次世代に向けて 子ども達の笑顔を取り戻そう! 最先端の研究成果を患者さんに還元したい 福井大学医学部付属病院 5大学連合大学院小児発達学研究科 福井校 著書のご紹介(診断と治療社刊)『いやされない傷』 ホームページ tomoda.me