p1 表紙 障害者雇用法制と「法と経済」 ―合理的配慮に関する機会費用論― 川島聡* & 松井彰彦** *東京大学先端科学技術研究センター客員研究員 **東京大学経済学部教授 REASE公開講座 2015年3月7日(土) p2 問い 事業主は、合理的配慮を行うために、どの程度の金銭コストを負うべきか? (どの程度の金銭コストであれば、合理的配慮の措置は過重な負担とならないか?)   既存の納付金制度(割当雇用制度)に着目して、機会費用の観点から、この問いを考える。 p3 背景 ○日本の障害者雇用法制では、割当雇用制度が主要な役割を果たしてきた。 ○2014年1月の障害者権利条約の批准を契機に、改正障害者雇用促進法において合理的配慮義務が導入された(2016年4月1日施行)。 p4 合理的配慮における過重な負担 事業主は、①事業活動への影響の程度、②実現困難度、③費用・負担の程度、④企業の規模、⑤企業の財務状況、⑥公的支援の有無、という各要素を総合的に勘案しながら、合理的配慮の措置が過重な負担にあたるか否かを個別に判断する。(合理的配慮指針案) どの程度の金銭コストであれば、合理的配慮の措置は過重な負担とならないか?既存の納付金制度(割当雇用制度)に着目して、機会費用の観点から、この問いを考える。 p5 納付金制度 常時雇用労働者数が200人*を超える事業主は、障害者雇用率**を達成する義務を負う ○障害者雇用率未達成の事業主は、1人につき月額50,000円の障害者雇用納付金を納付する ○障害者雇用率達成の事業主には、1人につき月額27,000円の障害者雇用調整金が支給される *2015年4月1日から100人 **障害者雇用率(常用労働者の数に対する割合):2.0% p6 納付金制度の理念 ○納付金制度は、障害者雇用を事業主の共同責務とする、社会連帯の理念に基づき創設されている。 「すべて事業主は、障害者の雇用に関し、社会連帯の理念に基づき、障害者である労働者が有為な職業人として自立しようとする努力に対して協力する責務を有するものであつて、・・・ その雇用の安定を図るように努めなければならない。」 (障害者雇用促進法5条) 「すべて事業主は、身体障害者又は知的障害者の雇用に関し、社会連帯の理念に基づき、適当な雇用の場を与える共同の責務を有するものであつて、進んで身体障害者又は知的障害者の雇入れに努めなければならない。」(障害者雇用促進法37条) p7 納付金制度の性格 ○納付金を財源に調整金を支給して、障害者雇用に伴う事業主間の経済的負担を平等化する、調整金的な性格 ○事業主に助成金を支給して、障害者雇用の促進を図る、共同拠出金的な性格 (根本『障害者の雇用ガイド』1988年) p8 納付金制度の捉え方1 ○納付金は、障害者雇用率未達成についての税金として機能する。調整金は、障害者雇用率達成についての補助金として機能する。どちらの場合も、障害者雇用の限界費用を下げるため、障害者雇用のポジティブ・インセンティブとなる。 ○一般に、事業主は、ポジティブ・インセンティブが、偏見・ステレオタイプ・コスト等のネガティブ・インセンティブを上回れば、障害者を雇用するであろう。 p9 納付金制度の捉え方2 <事業主A>  常時雇用している労働者数:1000人  法定雇用障害者数:20人  実際に雇用している障害者数:10人  納付金:50万円(5万円×10人)/月   ○この事業主Aは、障害者を1人雇用するごとに、限界費用(5万円/月)が減少する。 p10 納付金制度の捉え方3 <事業主B>  常時雇用している労働者数:1000人  法定雇用障害者数:20人  実際に雇用している障害者数:30人  調整金:27万円(2万7千円×10人)/月 ○この事業主Bは、障害者を1人雇用するごとに、限界費用(2万7千円/月)が減少する。 p11 障害者像1 ○合理的配慮は、関連のある能力をもつ障害者像を前提する。 ○これに対して、従来、割当雇用制度の想定する障害者像は、自由競争の下では勝負しえない、無力な人間像(関連のある能力を欠いた人間像)を前提していた。 ○今日では、障害者に対する歴史的・構造的な不利益処遇を是正するためのポジティブ・アクションとして、割当雇用制度を再定位することが求められている。 (CF. ワディントンとディラー) p12 障害者像2 ○日本の割当雇用制度は、①社会モデル的な政策(能力のある障害者が被ってきた不利益処遇に対する匡正的正義の政策)と、②医学モデル的な政策(障害ゆえに能力を欠いた障害者への同情的・古典的福祉政策)のどちらに位置付けられるか。 ○障害者雇用促進法は、障害者の定義を見ると、医学モデルを採用している。このことは、日本の割当雇用制度が医学モデル的な政策(②)に位置付けられることを示唆しているのかもしれない。  (CF. 障害者差別解消法) p13 匡正的正義1 ○合理的配慮と割当雇用制度(ポジティブ・アクション)のどちらも、障害者集団に対する過去と現在の構造的不利を是正する役割を果たす、匡正的正義の措置と考えるべきである。 ○その是正の仕方として、個別的アプローチ(合理的配慮)と集団的アプローチ(割当雇用制度)がある。 (川島「権利条約と合理的配慮」川島・飯野・西倉・星加『合理的配慮』(仮題)近刊) p14 匡正的正義2 ○合理的配慮は、障害者集団の構造的不利が、特定の場面で、障害者個人の具体的な不利益として発現しているときに、その不利益を<虫の目>から解消するための個別的措置をいう ○割当雇用制度とは、社会政策の一環として、障害者集団の構造的不利を<鳥の目>から解消するために、社会の構成員が義務づけられている集団的措置をいう(質というよりも量) (CF. ジェラルド・クイン) p15 社会連帯 ○割当雇用制度は、事業主間の負担を分配する社会連帯の精神に立脚している。社会連帯は、障害者の能力不足を強調するという観点ではなく、むしろ歴史的・構造的な不利益処遇に対する匡正的正義の実現方法という観点から、再定位していく必要がある。 ○このように再定位された社会連帯の精神の下で、個別の合理的配慮に関しても、特に、事業主間で負担を分配すべきであろう(事業主への公的資金の支出)。 p16 合理的配慮とは ○合理的配慮の定義の3要素:(1)個別の必要、(2)適切な変更、(3)非過重な負担 ○合理的配慮義務の履行過程の特徴:(1)事後的性格、(2)対話的性格 ○合理的配慮義務の不履行の効果:行政的・司法的な救済可能性あり (川島「権利条約と合理的配慮」川島・飯野・西倉・星加『合理的配慮』(仮題)近刊) p17 割当雇用制度と合理的配慮の比較 合理的配慮:①個別(特定場面の障害者個人)、②事後(意思表明の後)、③救済可能性あり 割当雇用制度:①集団(不特定の障害者集団)、②事前(意思表明の前)、③救済可能性なし p18 合理的配慮に関する機会費用論1 常用労働者数が200人を超える事業主のケース1 ○法定雇用率の未達成企業は、1人月額5万円の納付金を納付する。障害者を新たに1人雇えば、1人分の納付金を納付する必要がない。 ○そのため、使用者は、合理的配慮を行って障害者を1人雇えば、機会費用として月額5万円(年額60万円)減らせるので、この金額は過重な負担にならないだろう。企業は、最低でも、この金額を合理的配慮の費用に用いるべきである。 p19 合理的配慮に関する機会費用論2 常用労働者数が200人を超える事業主のケース2 ○法定雇用率の達成企業は、1人月額2万7千円の調整金を得ることができる。障害者を新たに1人雇えば、1人分の調整金を得ることができる。 ○そのため、事業主は、合理的配慮を行って障害者を1人雇えば、機会費用として月額2万7千円(年額32万4千円)減らせるので、この金額は、過重な負担にならないだろう。企業は、最低でも、この金額を合理的配慮の費用に用いるべきである。 p20 合理的配慮に関する機会費用論3 常用労働者数が200人以下の事業主のケース ○200人以下の事業主で、4%の雇用率達成企業は、1人月額2万1千円の報奨金を得ることができる。障害者を新たに1人雇えば、この報奨金を得ることができる。 ○そのため、事業主は、合理的配慮を行って障害者を1人雇えば、機会費用として、月額2万1千円(年25万2千円)減らせるので、この金額は過重な負担にならないだろう。企業は、最低でも、この金額を合理的配慮の費用に用いるべきである。 p21 合理的配慮に関する機会費用論4 ○割当雇用制度(納付金制度)と合理的配慮のどちらも、匡正的正義に立脚するものであり、この観点から両者を調和的に捉える必要がある。 ○合理的配慮の措置が過重な負担にあたるかどうかは、既存の納付金制度を前提に、機会費用を考慮に入れて判断すべきである。 ○合理的配慮に関する機会費用論を用いると、金銭的な意味では、おそらく合理的配慮は、比較的多くの場合において過重な負担とはならないだろう(CF. ADAの経験) p22 課題 ○過重な負担に関する従来の議論では、事業主への公的資金の支出が注目されてきた。そして、公的資金の財源問題(納付金制度の財源問題を含む)は、重要な検討課題とされてきた。 ○合理的配慮に関する機会費用論は、既存の納付金制度に基づく機会費用に着目して、過重な負担の有無を判断する考え方である。納付金制度を前提とする考え方である以上、当該制度の財源問題は、ここでもやはり重要となる。 p23 注記 合理的配慮に関する機会費用論は、かつて次の報告で発表したものである。 Satoshi Kawashima & Akihiko Matsui, “Anti-Discrimination and Disability Employment Quota in Japan,” International Conference on Disability Economics, Syracuse University, June 29, 2011