REASE公開講座「合理的配慮―対話を開く、対話が拓く」(16/7/16)   合理的配慮は社会を「歪める」のか?       星加良司(東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター) 1.「合理的配慮」への直観的な懐疑 ●やはり「やりすぎ」では? ●なぜ障害者にだけ? ●なぜ私たちが負担しなければいけないのか? ●私たちの社会の根幹が脅かされるのでは?     ↓ ・取り組みへの後ろ向きな態度形成の恐れ ・障害者への偏見・敵意の助長(→バックラッシュ)の恐れ *こうした懸念に対して、問題をどこまで解きほぐすことができるか? 2.「能力主義」との関係を考える ■公正な能力評価 ・誰に対しても等しい仕方で「能力」が測られているならば、その「能力」による評価や選抜は正当なものだと考えられる。 ・機器の使用やルールの変更(cf. 入学試験の際、読み書き障害のある受験者に対して、音声読み上げ用のソフトウェアがインストールされたパソコンを使った受験を認めること) →見かけ上は、異なる能力評価基準の適用 *これが許容されるのはなぜか? ■純化された能力評価を可能にするための合理的配慮 ・「本質的(relevant/essential)」な能力の評価 →「条件平準化(level-the-playing-field)」としての機会平等 ・「非本質的」な要素(ノイズ)の除去 ・環境の「非中立性」を是正するための「多様性」の承認(not「特別な優遇」) ■むしろ残される問題 ●最低限のアクセス保障に限界付けられる危険性 ・「機会の確保:障害を理由に修学を断念することがないよう、修学機会を確保すること、また、高い教養と専門的能力を培えるよう、教育の質を維持すること」(文部科学省対応指針) →「機会の確保」や「質の維持」の水準設定によって、合理的配慮の方法選択が左右される。 ●「本質的な能力」の保守的・排除的な運用の危険性 ・「(健常者中心の)社会において有用な能力」への偏り ・英米の判例においては、入試やカリキュラムにおける学術要件の設定は、教育機関の裁量に多くが委ねられている。 →「本質」を拡大解釈すると、合理的配慮の余地が狭まる。 cf. 文字の運用能力、情報処理・認知的処理の速度、他者との円滑なコミュニケーション能力 3.「経済活動の自由」との関係を考える ■経済合理性(rationality)の基準 ・労働市場において、生産性の高い(より少ないコストでより多くの付加価値を生み出す)労働者を求める企業 →合理的配慮コストのかからない(障害のない)労働者を採用するという選択 *法整備によってこうした採用行動が制約されることは、正当なことか? ■コスト‐ベネフィット分析の拡張 ●雇用における「コスト‐ベネフィット」は、給与や売上(労働者個人における短期的な差引勘定)だけではない。 ・ベネフィット: 多様性の向上による新たな発想やイノベーション、潜在的な(あるいは将来の)多様な労働力の求職行動の促進、社会保障費の抑制に伴う企業負担の低減と市場の活性化、etc. ・コスト: 同質性が失われたことによる混乱やトラブル、配慮提供のプロセスに関わる労働投入量の減少、「障害者嫌い」に伴うパフォーマンスの低下と雇用経費の上昇、etc. ●ただし、仮にこうした拡張によってベネフィットがコストを上回るのだとすれば、法的規制をかけることなく、企業の「経済合理的」な行動に任せておけばよい、とも考えられる。 ■「合理性(rationality)」を越える「合理性(reasonableness)」 ●コスト‐ベネフィット分析に還元されない道徳的制約の必要性 ・「マジョリティ/マイノリティ」の構造に由来する利益配分の格差 →「マジョリティ」における是正責任(道徳的)     ↓ ●合理的配慮の「合理性」:複数の「理由」の調整原理 ・障害者の「個々のニーズ」に応じた「社会的障壁の除去」 =「本質的な能力」に基づく公正な評価を可能にするために、「非本質的な能力」に関する条件を整える。 +「非過重負担」 =企業の「利潤最大化」を制限しつつ「利潤追求」を可能にする 4.「第三者による負担」について考える ■障害者側の「個々のニーズ」と提供者側の「非過重負担」との調整 ・「公的負担」という答え ・既にあるものの活用(cf. 雇用納付金を財源とする助成金) →新たな負担は生じないが、量的に不十分(既に赤字)で、制度的に不安定(雇用率未達成状態に依存) ・合理的配慮の法制化に対応した新たな公的負担 →そのための拠出を行うことが、(無関係な)第三者に「強制」される *これは認められるか? ●本当に「第三者」か? ・「公正な社会」「平等な機会のある社会」「自由で開放的な市場」等の公共財的な性格(非競合性&非排除性) →そこから誰もが利益を享受しているが、自発的に負担しようとはしない →公的セクターによる「強制的」な費用徴収が正当化される。 ●「第三者」であったとしても… ・目的論的な正当化:多少の負担増があっても、結局その方が社会的効用が高まる。 ・義務論的な正当化:全体的な結果はともあれ、諸個人が適切に扱われる制度が選択されなければならない。     ↓ ●自己利益を超える規範的な正当化の可能性 ・目的論的な観点からは、指標の選択&実証的な検証という課題 ・義務論的な観点からは、「平等」や「責任」のconceptionをめぐる議論