Funded by a grant from the Scientific Research Program (Creative), the Japan Society for the Promotion of Science READ -J -09-12 盲ろう者と障害学 福島 智 東京大学大学 先端科学技術センター 初稿: 2009年4月 READ Discussion Papers can be downloaded without charge from http://www.read-tu.jp Discussion Papers are a series of manuscripts in their draft form. They are not intended for circulation or distribution except as indicated by the author. For that reason Discussion Papers may not be reproduced or distributed without the written consent of the author. The Todai Forum at the Manchester Metropolitan University 29 and 30 April 2009 Satoshi Fukushima (2009年4月29日〜30日、英国・マンチェスター市立大学での「東大フォーラム」における福島智の発表原稿日本語版、2009/04/05バージョン) 盲ろう者と障害学 障害学の課題には障害者のための貢献と障害の有無を越えた差別問題への貢献という二つのカテゴリーがある。それぞれのカテゴリーでの取り組みには、「文化論戦略」と「能力論戦略」が含まれる。筆者は、これら二つの戦略だけでは不十分で、創造的コミュニケーションを土台とした、新たな「能力(差)文化論戦略」が必要だと考える。障害学とは障害の有無にかかわらず、私たちが世界を新たな認識の光で照らし出すことを目指す学問的営為である。 1.チャールズ・ディケンズと盲ろう者  本日はこの栄誉ある場で講演の機会を与えてくださりありがとうございます。私は日本から来た福島智と申します。私は1962年生まれで、9歳で失明し、18歳で失聴して、全盲ろう者(totally deafblind person)となりました。  今日は「盲ろう者と障害学」というテーマでお話ししますが、まず盲ろう者について、少しご説明します。  一般に、盲ろう者(deafblind people)とは、視覚と聴覚になんらかの障害を併せもつ人のことで、国や時代により相違はあるものの、おおむね人口数千人から一万人に一人程度の割合で存在するといわれます。後天性で、高齢の人が多く、また私のように全盲ろうの人は相対的に少なく、ある程度視覚や聴覚が残存している人が多いといわれます。しかし、障害の程度が比較的軽度・中度の人も含め、視覚と聴覚に障害を重複する人は、便宜上盲ろう者という一つのカテゴリーでまとめてよばれるのが国際的な傾向です。ここでは、話を単純にするために、全盲ろう者を念頭においてお話しします。  「盲ろう」(deafblindness)は、見えなくて、同時に聞こえない状態です。これは主観的には外部世界とほとんど遮断されてしまったかのような感覚を与える状態です。よく私が用いる例として、テレビを使った説明がありますので、ここでも簡単に触れます。  「テレビを見る」という行為との関連で「盲」の状態を考えてみますと、テレビの画面を消して、スピーカーの音だけを頼りにテレビを見て(聞いて)いるとき、それが盲の人の感覚に近いだろうと思います。次に、ろうの状態です。ろうの人はその逆ですね。つまり、テレビのスピーカーの音を消して、画面だけを見ている状態です。それでは盲ろうはどうでしょうか。これは、画面を消し、スピーカーの音も消した状態です。つまりテレビのスイッチを消してしまったのと同じ状態だということです。これは、盲ろう者が外部世界に対して抱いている感覚を、テレビという身近な道具を用いて示した例ですが、どこまでみなさんに実感をもって理解していただけるか、やや不安です。  ところが、今から160年以上も前、英国の文豪、チャールズ・ディケンズは、一人の盲ろうの少女に出会い、衝撃を受けると共に、彼女がおかれている状況の本質を洞察したのです。  ディケンズは1842年に米国のボストンを訪ね、当地のパーキンス盲学校(Perkins School for the Blind)で、ローラ・ブリッジマン(Laura Bridgman)という全盲ろうの少女と出会います。  そして、その時の印象を「アメリカ紀行」(American Notes)に次のように記しています。  「彼女は私の前にいた。あたかも大理石の墓の中に閉じこめられたかのように、一すじの光も、一かけらの音も、入ってくることなく。そのやせた白い手は、壁面をまさぐり、そのすき間から誰かの助けを待ってさし招いている、一つの不死の魂を目ざましてよと。」(各務房子訳)。  私はこのディケンズの表現、とりわけ、ローラが「大理石の墓」に閉じこめられているようだ、という描写に瞠目します。なぜなら、それは盲ろう者のおかれている状態の本質を見抜いているからです。盲ろう者のおかれている状態とは、周囲の人からは盲ろう者が把握できていても、盲ろう者の側からは外部世界も周囲の人の存在も把握できないという、「認知的非対象性」にその本質があるからです。そして、この英国の文豪の鋭い想像力は、後に世界の盲ろう者の教育や福祉に大きな波及効果をもたらします。  ところで、世界でもっとも著名な盲ろう者は、おそらく米国のヘレン・ケラー(Helen Keller)でしょう。また、これも有名なサリヴァン先生(Anne Sullivan)が、ヘレンの家を訪れて教育を開始したのは1887年のことです。しかし、盲ろう児教育の歴史の黎明は、ヘレン・ケラーの事例よりも半世紀さかのぼります。  世界的にもごく初期に盲ろう児教育の可能性を証明したのは、アメリカのハウ(Samuel Howe)ですが、彼は1837年に、当時7歳の盲ろうの少女に対して、基礎的な言語教育を行うことに成功しました。その少女こそ、ディケンズが出会ったローラだったのです。もう少し補足すれば、サリヴァンは晩年のローラと交流を持ち、それがヘレンの「専属家庭教師」としてケラー家に派遣される下地にもなっています。さらにいえば、ヘレンの母がディケンズの「アメリカ紀行」を読んで、その中にたまたまローラの教育場面の描写を見いだしたことが、パーキンス盲学校に家庭教師の派遣を依頼するきっかけになったとされています。  ヘレン・ケラーが20世紀の世界にとって、社会事業や障害者福祉の前進にとって、どれほど貢献したかはみなさんもご承知のとおりです。日本にもヘレンは3度訪問しています。このように考えますと、今から167年前のディケンズとローラとの出会いが、ヘレンの母を通して、サリヴァンをヘレンに巡り合わせ、そのヘレン・ケラーが成長して、世界的な仕事を成し遂げたということに、人と歴史が織りなす不思議な結びつきを感じずにはいられません。 2.盲ろう者が経験する困難  「盲ろう」という障害がもたらす困難としては、コミュニケーション、移動、情報入手という三つの領域にわたる困難があるといわれています。このうち、私の意見では、コミュニケーションにかかわる困難がもっとも深刻なダメージを盲ろう者に与えるのではないかと思っています。  今から28年前、私は盲の状態からほとんど突然、全盲ろうの状態になりました。その時、もっとも大変だったのが、このコミュニケーションでした。  つまり、私が盲ろう者になってもっともつらかったことは、他者とのコミュニケーションがきわめて困難となり、まるで、真空の宇宙空間に放り出されたような魂の孤独を味わったということです。美しい風景や夜空の星が見えないことが、本当に悲しかったのではないのです。好きだった音楽がやれなくなったことが、寂しさの真の原因だったわけでもありません。私が体験した苦悩の本質は、他者とのコミュニケーション的関係を断絶された、心の芯が凍りつくような魂の孤独だったといえます。  その後、指点字(Yubitenji=Finger Braille)という独自のコミュニケーション手段が私の母によって生み出され、他者とのコミュニケーションも徐々に回復して、私は生きる力を与えられました。しかし、この盲ろうになって、「いったんコミュニケーションが断絶してしまった」という体験は、私に対して非常に大きな影響を与えたと思います。  つまり、見えなくて聞こえない状態でも、他者とのコミュニケーションがあれば生きていけるな、という実感をもったということと同時に、もしかするとその逆の場合、つまり見えて聞こえるけれど他者とのコミュニケーションがうまくできないという状態は、生きていくうえで非常につらく、厳しい状況なのではないかと考えるようになりました。 3.障害をもって考えたこと  私は生まれたときは見えて、聞こえていました。その後、9歳で失明し、18歳で失聴して盲ろう者となったわけです。それでは、こうした障害をもつ過程で私が障害についてどのように感じ、考えてきたかをお話しします。  9歳で失明した私は普通学校から盲学校に転校しました。普通学校にとどまりたい、近所にいる友達と遊べなくなるのは寂しい、という気持ちがあったことは確かです。しかし、失明したことや盲学校に転校したこと自体は、それほどショックでもなく、つらいとも思いませんでした。おそらく、失明の前から目の病気の関係で休みがちとなり、それほど親しい友達もできなかった普通校よりも、失明して転入した盲学校での生活のほうが楽しかったからだろうと思います。  視覚障害児になったことで、さまざまな制約や不便はありましたが、当時の私にとっては、そんなことよりも、毎日学校に通い、のびのびと過ごせる喜びのほうがまさっていました。盲学校では、数は少ないながら親しい友人もでき、音楽やスポーツに熱中しました。  とはいえ、中学生になったころから、私は自分の「障害」について真剣に考えるようになりました。あるとき、親しかった全盲の教師に、私がこの問題をぶつけたとき、彼はこう言ったのです。  「おい、『目が見えない』とはどういうことか?」と。私ははっとしました。「目が見えない」とは、もちろん、「視覚障害をもっている」ということです。しかし、では、そもそも、「目が見えない」とは一体どういうことなのでしょうか……。その後、この重い問いかけが、常に私の内部に突き刺さっていたことは確かです。  1981年の初め、18歳で失聴し、全盲ろうの状態になったとき、再びこの問いかけがよみがえってきました。つまり、「目が見えず、しかも耳が聞こえない」とはどういうことなのか……。  むろん、医学的な定義や法律的な基準を問題としているのではありません。また、ここでは、「見えない、聞こえない」ことで奪われてしまった具体的な体験のリストを問うているわけでもありません。  私が自らに問い、答えを探していたことは、いわば障害体験がもつ実存的な意味、すなわち、私の場合は、私の人生において、私が盲ろう者となった意味についてでした。そして、私は自らと運命に繰り返し問いかけました。「障害とは何か」。「なぜ、私は盲ろう者になったのか」。「この体の底が抜けてしまったような魂の苦悩は、私の人生にとって、なんらかの意味をもっているのか……」。  あれから28年が過ぎました。今、自分にとっての障害の実存的な意味を、私が真に見いだせているかどうかはわかりません。でも、少なくとも、盲ろう者になることによって、「人生において真に価値あるものは何か」を問い続けるチャンスが与えられたことは、意味のあることだったと思います。  また、盲ろうという障害ゆえに、他者とのコミュニケーションを奪われる苦悩を体験すると同時に、それが指点字を用いた他者とのコミュニケーションによって、すなわち、文字どおり「他者の手」によって回復したときの深い喜びを味わえたこと。そして、こうした体験を通して、他者とのコミュニケーションがいかに重要であり、人はみな他者によって生かされている存在なのだということを、理念としてではなく、具体的な実感を伴って確信できたことは、私の人生にとって、大きな福音だったと思っています。  このような体験をもとに、「障害」の問題へのアプローチの仕方を考えるとき、単に医学的、教育学的、あるいは、社会福祉的観点から、「障害」にどう対処すべきか、といった、いわば技術的なレベルだけでとらえるのでは不十分ではないかと私は考えました。すなわち、「障害」を持つ人が「障害」にどういう意味を見いだすか、「障害」がその人の生き方や人生における「価値」の問題とどうかかわるか、といった実存的なレベルでのアプローチの大切さが見過ごされるべきではないと思ったのです。 4.障害学との出会い  このように、障害をもつこと、その体験を通して社会や人生について考えることには、意味があるのではないかとずっと考えてきました。そうしたとき、障害学という学問の存在を知ったのです。  障害学は障害という現象を通して、社会のあり方や人間のあり方について考察し、運動を進めていく理論的・実践的な学問だといわれます。それでは今、障害学が取り組むべき課題、その取り組みの方向性や枠組みといったものはどのように考えればよいのでしょうか。私はここで、二つのカテゴリーを想定します。  その第一は、障害者のために貢献すること、そして第二は、障害の有無を超えてすべての人にかかわって存在するさまざまな差別問題への取り組みに貢献すること、の二つのカテゴリーです。つまり、障害学を障害者のためだけのものとすれば発展性に欠けるのではないかということです。しかし、もちろん、今まさに生きて差別に直面し、苦しんでいる障害者に貢献できなければ意味がありませんから、障害者への貢献がまず求められている、ということは確かでしょう。  次に、これらのカテゴリーの中に、どのような「戦略」を実際に位置づけられるかということを考えます。ここでいう「戦略」とは、個別の課題に取り組むノウハウではなく、差別の現実に立ち向かうための戦い方の方向性やその切り口の理論枠組みをさしています。  まず、従来の障害学の取り組みとして、二つの代表的な戦略を挙げることができると思います。第一は「文化論戦略」であり、第二は「能力論戦略」です。これを先の第一の大きなカテゴリーで考えてみますと、次のようになります。  すなわち、「文化論戦略」は障害者差別との戦いにおいて、「文化」という視点を重視するということです。これは障害を一つの「文化」としてとらえることにより、障害者差別に対抗しようという戦略です。もう一つの「能力論戦略」は、障害者に対する差別を障害によって発生した「能力(差)による差別」ととらえ、その構造を分析し、根拠のなさを指摘することで、ひいては障害者差別全体に抵抗しようという戦略だといえます。  次に、この二つの戦略を第二のカテゴリーである「すべての人にかかわって存在する差別問題一般」という次元でとらえてみるとどうなるでしょうか。これら二つの戦略は第二のカテゴリーにも当てはめて考えられるのではないかと思います。  第一のカテゴリーにおける「文化論戦略」は障害という「属性」を「文化」ととらえ直すことで、差別に抵抗しようとするものですが、これはそのまま障害以外の属性(性別、民族、年齢等)に伴って発生する他の差別問題群にも適用可能な戦略だといえます。また、障害により発生する「能力(差)」による差別への抵抗を目指す「能力論戦略」は、障害の有無を超えて、現代社会を覆う生産能力を中核とした「能力主義的価値意識」に基づく個人の差別的序列化(生産能力と個人への価値評価の連動)という現実に抵抗する戦略としてとらえ直すこともできます。  つまり、第一のカテゴリーにおける「文化論戦略」は、障害という属性を文化としてとらえ直すことで、属性差による差別の廃棄を目指すという論点を媒介に、他の差別問題群にも接続しているといえます。また、「能力論戦略」は、「障害による能力差別の廃棄」を、「能力一般の差による差別の廃棄」ととらえ直すことで、障害の有無を超えたすべての個人にかかわる能力主義的差別に抵抗する戦略として把握することができるのではないかということです。  それでは、障害学の戦略、つまり、障害者の差別と戦うための理論的枠組みは、この二つで充分なのでしょうか。私はこれらはそれぞれ重要な戦略ではあるものの、どちらも単独では充分に機能できないのではないかと考えています。簡単にいうと、「文化」と「能力」という二つの側面を統合し、新たに「創造的コミュニケーション」という戦略を練り上げていく努力が必要ではないかと思います。 5.「文化」と「能力」の統合=「創造的コミュニケーション」という戦略  まず、「文化論戦略」について考えますと、それには弱点があるのではないかと思います。つまり、「障害を文化としてとらえる」という把握の中に、能力主義的差別としての個人の属性における価値の序列化の働きが浸透すれば、能力(差)による差別に原理的に抵抗できないだろうという点です。  一方、「能力論戦略」も充分ではないでしょう。なぜなら、能力(差)による差別の廃棄という課題に、この戦略単独で立ち向かい、それを克服することは難しいと思われるからです。というのも、そのためには現代社会における支配的な価値観、すなわち「(生産)能力と個人への価値評価の連動」という図式の改変・転換を目指す必要があります。ところが、「能力(差)による差別は許されない」といくら述べても、それはなぜか、と説明する規範が、けっきょくはそれ以上遡及不能な「能力主義的差別は廃棄すべきである」という「公理」にゆきついてしまうと思われるからです。  これら二つの戦略に限界が生じる理由について、もう少し考えてみます。  まず、能力主義は、「能力(差)」を最終的には「生産性」という一元的な尺度のもとに数直線上に序列化しようとする価値意識の体系であるため、それに連動して、それを否定しようとする「能力論戦略」も、一元的な性格のものにならざるをえません。  それに対して「文化論戦略」は異なる行動様式等に独自性、固有性を見いだし、それぞれに交換不可能な価値を見いだそうとする「質」の次元での価値体系だといえます。つまり、「文化論戦略」において重視されるのは「質」であるから、一見優劣は生じません。しかし、その文化内部に「量」の尺度が浸透してくるわけです。仮に、他文化との間に異質性に伴う差別がないとしても、同一の文化のなかで、「生産性」という能力(差)による「量」的な差別は生じえますし、それに引きずられて、ひいては他文化間の格差による差別も起こり得ます。  もし、「文化論戦略」を脅かすこうした能力主義的差別構造が存在するとすれば、能力主義に対して、「文化論戦略」の側から逆襲すべきではないでしょうか。たとえば、「文化論戦略」の視点に立脚し、「能力(差)も文化の一種である」、という立論を提示してはどうかと思うのです。これはもう一度「文化論戦略」に立ち返り、その視点で「能力論戦略」を練り直し、いわば「能力(差)文化論戦略」ともいうべき第三の新たな戦略を構想する試みだといえます。  つまり、「能力(差)」には、「量的側面の差異性」と「質的側面の差異性」という二つの「差異性」が含まれると考え、それぞれに文化論的な固有の価値の根拠を見いだすという発想です。これは「能力(差)」の存在を否定することではありません。主体における「能力(差)」の存在を認めつつ、その「量」によって個人に価値づけを行おうとする「能力主義的差別構造」から、価値の序列というファクターを剥奪するということです。そして、能力が内包する差異性を認めつつ、同時に、それらの差異性に固有の価値を認める新たな文化論的視点を導入するということでもあります。  換言すれば、第一に「能力」の優劣、あるいは生産性の高低を「量的差異性」として認めつつ、そこに「文化論的視点」を導入することで、個人の価値の序列化を持ち込まないということであり、第二に「能力(差)」が秘める「質的な側面の差異性」、すなわち能力それ自体が抱えるさまざまな質的な相異をも「文化論的視点」でとらえ直し、そこに「異質性に価値の序列を付着させない」という「文化論戦略」の方法論を適用する。この二つの側面、つまり「量」・「質」両方の「差異性」に関して、「能力(差)」に価値の序列を持ち込まないという論理を構築しようとする試みだといえるでしょう。  ところで、「能力論戦略」に「文化論戦略」を導入し、そこに、第三の新たな戦略、いわば、「能力(差)文化論戦略」を生み出すとして、この第三の戦略はどのような性格をもつべきものでしょうか。私はこの第三の戦略は、動的であり、発展的でなければならないと考えます。すなわちそれは、先に述べた二つのカテゴリーとそれぞれに含まれる二つの戦略とをさまざまな文脈で相互に結びつけるものでなければならず、その本質は、「創造的コミュニケーション」という取り組みではないかと考えます。  ここでいう「創造的コミュニケーション」とは、単なる意見・情報の交換に限りません。それは、相互コミュニケーションを通して、二人ないしそれ以上の複数の人々が共同で新しい意見・情報・価値観を生み出し、育てていくプロセスを含んだ営みとして想定しています。したがって、ここでいう創造的コミュニケーション戦略は、「文化論」と「能力論」との単純な統合、合体を目指す戦略ではなく、「文化論」と「能力論」のさまざまなパターンでの複合の可能性を探りつつ、同時に、この二つを超える新たな戦略を常に模索し続けるという、動的で創造的なメカニズムをもった戦略として位置づけます。  さて、能力(差)に差別をもち込まず、むしろ能力(差)を文化の視点でとらえ直そうという立場の考えも、もちろん、突然合意を得られるようなことはないでしょう。それは障害者を含め、さまざまな能力(差)という「異質性」をまとった人々が活発なコミュニケーションを交わすことにより、その「異質性」がゆえに発生する「摩擦熱」にも似たパワーによって徐々に形成されてゆくものではないかと思います。これが創造的コミュニケーション戦略のイメージでもあります。  また、ここで、ことばや情報はたとえば水、コミュニケーションは水の流れのようなものとしてとらえてみてはどうかと考えています。もしそうとらえるなら、小さな流れから出発しても、さまざまな流れと合流することで、やがて大きな川となり、最終的には地球全体に広がる海へとつながっていく、というイメージが浮かびます。これは、現代の高度情報化社会における情報とコミュニケーションをめぐるイメージとオーバーラップするように思えるのです。  そして、もしコミュニケーションが水の流れだとすれば、その担い手が「異質性」をもつことで、水の流れに「高さ」の違いや「速さ」の変化といった要素が加わり、それは、ちょうど滝が水力発電のタービンを回し、急流が巨岩を押し流す、といった大きな力を生み出すように、私たちの関係性をも活性化し、生きる力、差別と闘うエネルギーを与えてくれるものなのではないでしょうか。  盲ろう者となり、他者とのコミュニケーションが断絶された経験をもつ私は、コミュニケーションという営みが秘めた無限の創造的可能性とパワーを、体験を通して実感しました。おそらく創造的コミュニケーションを求める欲求は、障害の有無を超え、すべての人々にとっても当てはまる人間に備わった本性であり、未来を切り開く新たな原動力となるのではないかと私は考えています。 6.コミュニケーションと私にとっての障害学  人は本来、他者の支えを得て生きている存在です。人は本来、そうした他者の有形・無形のサポートを受けなければ生きていけない存在です。そのことを障害者、たとえば盲ろう者は、常に自ら経験すると共に、他者に示しているといえるでしょう。そして、その他者による支えを媒介するものは、広義の「ことば」であり、コミュニケーションなのだと思います。  コミュニケーションの語源はラテン語の「コミュニカーレ」(communicare)であり、それは、今私たちが通常用いている「伝達」や「通信」という意味だけではなく、「分かちあう」(share)、「共に何かをなす」(do together)という意味をも内包していることに注目したいと思います。  障害学とは何でしょうか。  障害学とは、「障害」とよばれる社会的・個別的現実や現象、そしてその現実や現象から生じるさまざまな困難や問題から目をそらさない学問です。  障害学とは、その「障害」という現象や認識を生み出した、私たち自身が構成するこの社会のメカニズムや構造自体から目をそらさない学問です。  障害学とは、人が異なる能力をもつ存在であることを否定せず、また、その異なる能力が生産力の優劣や労働における効率性の優劣を含むことも否定しません。しかし障害学は、そうした能力の優劣と人の存在価値、個人への社会の価値評価との接続や連接を否定する学問です。  障害学とは、人は、みな異なる能力をもっている存在でありながら、同時に、みな等しく価値があると認識する学問です。つまり、人はそれぞれの属性や個別的特性を超えて、人類として連帯し、だれ一人例外として排除されることなく、かけがえのない存在としてある、ととらえる学問です。  障害学とは、「障害者」のためだけにあるのではなく、「非障害者」のためだけにあるものではありません。  障害学とは、学問それ自体のためだけにあるものではなく、社会変革の運動のためだけにあるものでもありません。  障害学とは、ある個人の人生のためだけにあるのではなく、ある特定の障害者コミュニティのためだけにあるものでもありません。  そして、障害学とは、障害の有無にかかわらず、私たちが世界を新たな認識の光で照らし出すことを目指す学問的営為です。  それはちょうど、皆既日食で月が太陽を覆ったとき、初めて私たちが太陽の周囲を飾るコロナの真珠色の輝きを見いだすように。雨上がりの空に虹がかかったとき、光にスペクトルと無限のグラデーションが含まれていることを私たちが知るように。  これと同じように、私たちは障害学という新たな認識の枠組みを通すことで、この世界をこれまでとはちがうさまざまな光で照らされたものとしてとらえられるようになるでしょう。私たちは私たち自身の存在が、どのように異なる特性や属性や特徴をおびているとしても、あるいはそうであるからこそ、自らが生きて存在することを互いに無条件に祝福しあえる関係にあることを見いだすでしょう。  障害学とは、こうした価値の転換と覚醒を可能にする学問であり、新たな輝きをおびた認識の光の下で世界を見つめ直す機会を私たちに与えてくれる学問なのだと私は信じています。  みなさん、共に学びあいましょう。  ありがとうございました。