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Research on Economy and Disability
学術創成 総合社会科学としての
社会・経済における障害の研究

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東京都文京区本郷7-3-1
東京大学大学院経済学研究科 READ
研究代表者 松井彰彦
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障害者の在宅就労 (丹羽太一)

 障害者という言葉には、障害の二つの側面が含まれている。一つは字義通り障害を持つ者という意味であるが、一方で、その取り囲まれている社会の環境から何らかの障害を受けている者という意味が、同時に発生している。障害を持つ者としての障害は、その程度と与えられる環境の条件によっては、社会的な障害としてはほとんど問題とならない場合がある。逆に、障害が社会で問題とされる場合、それはその環境が障害者に負わせている障害である、ということがあり得る。その時、障害者は障害を持つと同時に、社会的にも障害を受けているのだ。
 バリアフリーという今は一般的になった考え方は、そのわかりやすい例を与えてくれる。元々建築におけるバリアを問題にする言葉であるバリアフリーという概念は、歩行が困難であるという障害を持つ身体障害者が、移動する際に遭遇する様々な物理的障害を取り除くことで、その環境が障害者に与えていた障害を解消することを意味している。そこでは、移動という行為に関しては、障害者が自分の持つ障害を障害と感じずに行える。
 字幕放送も同じように考えられる。テレビを見る聴覚障害者にとって、音が聞こえなくても文字情報があれば、そこで話されている内容に関しては全て理解することが出来るようになる。視覚障害者にとっての点字やテキスト読み上げ機能などもまた同様である。そこで伝えられるべき情報を、環境の側が与えることが出来れば、障害者も健常者と同じ程度に、障害を障害とせずに必要な情報が得られるようになる。つまりこれらの点においては、障害を持っていても環境によっては障害を受けない、という状況が可能になる。

 身体の運動機能に障害を持つ者は、主に移動や行動に関する物理的な不便を感じている。また、視覚に障害がある場合には目から得るべき視覚情報が、聴覚障害者は音声に関する情報が、それぞれ得難い不便がある。もう一方の社会の側から見れば、これらの不便を代替的に補うことの出来る環境があれば、それらは解消できる場合がある。社会が適正な環境を与えられないことで、障害が障害として残されたままになれば、社会がこれらを障害として障害者に与えていることになる。
 このような環境の未整備によって生じる、身体障害者に残された物理的な障害や、視覚・聴覚障害者にとっての情報の障害が問題になるとすれば、社会環境が障害者に与える障害には、物理障害と情報障害の問題があり、バリアフリーを考える場合、障害者を取り巻く社会的環境から、この両者をどのように取り除いていくかが課題になる、ということが言える。

 ドアノブの取れたドアや、ハンドル部分のない蛇口は、捻ることが出来なくて開けられない。物理障害を受ける状態というのは、例えばそんなものであろう。車椅子が通れない扉や通路は、車椅子にとっては開けられないドアと同じで、階段や急斜面も同じように物理障害になる。
 --機会があれば、車椅子に乗って、自分の生活環境を廻ってみることをお勧めする。普段とは違う身体スケールを感じる、ちょっと変わった体験が出来ると思う。--
 音を消したテレビ画面や、画像の消えたテレビ音声は、それだけではそこで伝えられていることの全体を理解しきれないだろう。さらに自分の周りが、全てその状態になることを想像してみることはなかなか難しいが、それが実際に情報障害を持っている状態だ。何かを言っている人が見えていても、何を言っているかは聞こえない。声は聞こえるけれど、どんな人がどんな様子でがその声を発しているかは見えない。自分の歩いている先が、どのような状況かが見えない。しかし、そこで欠けた情報を別の媒体で少し補うことが出来ることもある。電光掲示の文字情報で音声を補ったり、点状ブロックで方向を誘導したりということは、そのごく単純な例である。
 --手話による会話、白杖による感知、状況を説明するガイドとのコミュニケーションと想像力、それは健常者には無い、聴覚障害者の視覚能力、視覚障害者の聴覚能力、彼らの身体感覚が創り出す独自の世界だ。これに関してはさらに深く興味を覚えるのであるが、それはまた別の機会に考えてみたい。--

 障害者の就労を難しくしている問題に対しても、個々の障害者が持つ障害に応じてそれぞれであるが、雇用をする側から見れば、大きくこの二つの問題- 物理障害と情報障害 -をどう解決するかを考えることが必要になる。

 身体障害者にとっての物理障害は、ここでは通勤と職場環境における障害の問題ということ、つまり交通と建築のバリアになる。
 公共建築のバリアについては、既に1994年のハートビル法によって法的に指針が出され、2000年の交通バリアフリー法で交通に関しても目標が掲げられ、これらを総合する形になる2006年のいわゆるバリアフリー新法によって、公共の施設における、移動困難な高齢者・障害者の障害となる様々な問題を、社会的に解決する方向に進んでいる。
 ただし、法律の施行から実際の整備までは相当な時間を要するし、それで一般的な社会が与える障害が解決していっても、持っている障害によって個々の場面に必要になることに関しては、解決にはさらに努力が必要である。
 通勤に関しては交通機関頼みとなるので、ここでの物理障害はそれぞれが今ある現状を利用しつつ、必要な対応について、まだまだ対象機関に改善を求めていく必要があるだろう。さらに細かい個別の需要に関しても、どこまで対応していけるのかは、これから益々の課題となる。
 一方、オフィスに関しては、公共ではない部分については、対応の有無さえもその企業任せであるということになる。実際、障害者向け求職情報を見ても車椅子不可とあったり、問い合わせてみるとエントランスが階段であったり、ということが少なくない。とはいえ、スロープを付けたり昇降機を設備したり、車椅子のためのスペースやトイレまでを確保するだけでも、雇用する側にとっては負担となり、一朝一夕で整備できるものではないこともまた事実である。
 同様に、物理・情報の二つのバリアの問題に関して、視覚障害者にとっては適切なガイドが、ハード・ソフト両面で必要になるであろうし、聴覚障害者にとっても、コミュニケーションが必要な場面では、その手段を確保しなければならないであろう。

 筆者は車椅子で生活する身体障害者であるが、2年間 READ で在宅就労の形で働いてきた。一般に、障害があってもコンピュータ上で作業出来ることはほとんど対応可能で、業務内容もその範囲にあるとすれば、インターネット環境が整えばそこでの仕事が可能となる。実際に READ では業務開始と終了、必要な作業の応答をメールで伝え、ファイルのやりとりもネットを介して行うことで、ほとんどの業務は成立している。直接やりとりしたいときにはチャットで、顔を見ながら話をする必要があれば Skype で、ということも可能であり、職場に出て打ち合わせをする機会は最小限で済ますことが出来る。
 身体に障害を持つ者としての筆者の、READ での就労を可能にしたのは、インターネットという技術である。通勤と職場環境という社会における物理障害の問題を、通信という手段で補うことで、ここでは直接ではないにしろ回避し、技術的に解決したわけである。

 この在宅就労の形態は、雇用する側は通勤・職場の物理障害を考慮する必要がないため、そのための設備・人材投資が必要ないというメリットがあり、副次的に職務管理も比較的楽に行えるため、事務処理も手間が省け、そのための人件費も押さえられるというメリットにもなる。
 ただし、物理障害の解消に代わって、当然、通信環境を整える必要がある。最近は自宅に回線を持っている場合が多いのだが、月々の使用料のうちどこまでを補助するか、また、昼間の冷暖房費もそれなりの額になると、在宅で働く側の負担となってくる場合はどこまで対応しうるか、こういった、在宅における職場としての環境づくりを、ある程度考慮していく必要が生じることがあるかも知れない。
 あるいは、積極的に雇用者を増やしていくためには、新たな人材開発のために、必要な技術を獲得する機会を設けるなどの、新人教育の場をつくっていくことも考えねばならないだろう。
 また、雇用される側にも、IT リテラシーや技術力が求められたり、ネットを介したコミュニケーション能力が必要となる。これは、働く意志と併せて、就労する障害者に求められるものとして、また別に必要なこととしてある。

 筆者の場合、その上にヘルパーの問題がある。日常生活の様々な場面で介助が必要な場合、現行の制度では賄える範囲は限られているので、在宅就労においてはどうしても家人の負担が避けられない。これは本来、障害者の社会参画を促進するための、制度の問題となるのであるが、公的に未整備であれば、あるいは雇用する側も、取り組んでいく必要がある項目の一つになるかも知れない。

 視覚障害者・聴覚障害者に関しては、インターネットの、情報の空間では、情報のかたちがデジタルになるため、情報障害について、より様々に障害を代替する方法の可能性がある。コンピュータで解決できるデジタルの情報障害がさらに増えていけば、やはりインターネットを介しての就労の可能性は拡がるであろう。モバイルの技術まで拡大して考えれば、通勤や職場環境の情報障害さえも、この先解決していく方法がつくられていくに違いない。
 --知的障害、精神障害については、また別にいろいろな可能性があると思うが、述べるに暗く、筆者の知見の範疇を超える。さらに専門家諸氏のご意見を待ちたいと思う。--

 READ に関して言えば、障害者が働く場が大学であるということにも大きな意味がある。バリアフリー環境の、社会に先駆けた先端での促進には、広く啓蒙的な意味がある。学生と障害者が接触する機会が増え、ボランティアや研究など、日常の様々な場面で関わることがあれば、教育的にも大きな意味があるだろう。高等教育機関での障害者雇用に期待されることは多い。

 仕事をしながら自立した生活が出来ることを望む障害者はまだまだたくさんいる。そして大半が、社会の側から物理障害と情報障害を解決することが出来れば、就労可能になるのではないか。在宅就労もその解決策の一つとして、多いに検討すべき就労形態であることは、READ のプロジェクトが実践で証明している。自立支援に本当に必要なのは、障害者の経済的な自立であり、そのための障害者の就労問題の解決だ。

丹羽太一
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