文字サイズ
100%
150%
200%

READ:
Research on Economy and Disability
学術創成 総合社会科学としての
社会・経済における障害の研究

〒113-0033
東京都文京区本郷7-3-1
東京大学大学院経済学研究科 READ
研究代表者 松井彰彦
お問い合わせ

§READについて

日付順一覧
2008年5月1日

先端科学技術から経済へ (長瀬修)

 障害と経済に関する私たちのウェブサイトへようこそ。

 障害学 (注1)という看板を掲げて、経済学研究科に所属しているというと驚かれることが結構多い。確かに自分自身が経済学と名のつくところに所属することなど、たとえば3年前には夢にも思わなかった。当時は同じ東大ではあるが、駒場の先端科学技術研究センター(先端研)というところで、盲ろう者である福島智さんがリーダーのバリアフリープロジェクトの特任助教授だった。なお、この「特任」とは「特別に偉い」とたまに誤解されるが、単に契約、任期付きという意味である。4年ほど禄を食んだ先端研時代は、「先端科学技術」と障害学とはすごいですねと言われたものである。しかし、初代の障害学会会長であり、社会学者とプログラムの開発者というまさに二足のわらじをはいている石川准さんなどとは異なり、私の場合はたとえば、障害学を背景に構築されてきた国際的な取り組みの頂点である障害者の権利条約がどのように、科学技術を含む社会全般に影響をもたらすかという観点から研究に取り組んでいた。

 このバリアフリープロジェクトは多くの成果を上げてきたが、その一つは東大学内でのバリアフリー体制の確立である。東大では2001年4月の福島さんの着任以前は、バリアフリー推進の体系だった仕組みがなかった。福島さんが先端研に赴任したのをきっかけにようやく全学的な取り組みが始まり、2002年10月にバリアフリー支援室準備室が東大の全学的バリアフリー推進機関として、スタッフはわずか1名の非常勤職員という形で、ささやかに発足したのであるが、この準備室を私たちは、バリアフリープロジェクトに誘致したのである。発足間もなく、まだよちよち歩きの準備室を福島さんや私は懸命に支え、2004年4月の国立大学法人化のタイミングで、正規のバリアフリー支援室として発足させることができた。

 東大の「バリアフリー支援室」(disability services)という名称は、「障害学生・教職員支援室」でないという点が重要である。もちろん、具体的には、障害者個人への支援という形をとることもあるが、この社会の中で「障害者」とされている人たちの「完全参加と平等」を少なくとも学内で実現することを目指しているのである。その意味で、障害者に対する支援ではなく、社会的な仕組みの変革を目指す、バリアフリー支援という名称を東大が採用している意義は大きいと思う。

 そのバリアフリー支援室の意思決定機関メンバーである「バリアフリー支援室員」を共に務めていたという縁で、本プロジェクトの研究代表者の松井彰彦さんと知り合うことができた。そのおかげで、先端研での「特任」を終え(0.6カ月分の退職金をもらい)、2006年4月に「市場経済と非市場機構の連関研究拠点」というCOE(2008年3月末で終了)に所属するという形で、経済学研究科に移ったのである。それ以来、先端科学技術の次は経済という看板の下で、障害学に取り組む機会に恵まれている。

 経済学研究科に移る前の私は経済学、そしてその機関である経済学部・研究科への偏見が強かった。たとえば、東大が国立大学法人化する前の段階で、経済学部・研究科の教職員には一人も障害者はいなかった(正確に言うと、一人の障害者手帳保持者も把握されていなかった)のである。「やはり経済は…」などと正直思っていた面がある。しかし、ここ3年で東大の経済学部・研究科は障害者に対するバリアの除去に積極的に努め、まだまだ課題は多いのが現状ではあるが、少なくとも法定雇用率はゆうゆうとクリアすることができた。

 本郷の経済学研究科に移って、研究面でも、障害に関して真剣に取り組む魅力的な経済学者たちに出会うことができた。また、経済学的な観点からの知見に学ぶことも多い。社会を変えるために経済学的な考え方、たとえば、インセンティブの設定などは、障害者に対する差別をなくすためにも活用できる。そして、日本政府が2007年9月に署名した障害者の権利条約の批准に向けての大きな課題の一つは、労働の場での「合理的配慮」 (注2)の実施だが、それはまさに経済的な影響も当然及ぼす。厚生労働省は、本年度、「労働・雇用分野における障害者権利条約への対応の在り方に関する研究会」を発足させている。私自身もこの研究会の前段の「障害者権利条約の締結に向けた検討会」に昨年度は委員として携わったが、企業等への影響も当然、見込まれている。人や知見の交流、そして分野としての協力の可能性、そして必要性が障害学と経済学の間には広がっている。

 すでに膨大な蓄積のある経済学とまだまだひ弱な障害学の協働作業によって新しい分野を切り開くという本プロジェクトの成果にぜひ、ご期待いただきたい。

  1. 障害学(disability studies)とは、障害を社会、文化の視点から研究する学問であり、障害とは社会が「障害者」とされている人たちに対して創り出す不利益であるとする。上記の 障害学会のサイトや、 立命館大学大学院先端総合学術研究科の立岩真也さんのサイトの障害学に関する項目などを参照。
  2. 障害の特性に応じて必要な配慮。具体的には、物理的バリアフリーや、手話通訳の提供などの人的支援を指す。

長瀬修 (ながせ おさむ)
東京大学大学院経済学研究科 特任准教授

ウェブページ:
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~nagaseo/

2008年4月21日

他人のふんどし (松井彰彦)

2007年4月、「総合社会科学としての社会・経済における障害の研究」が学術創成研究に採択された。まじめに働いたのは、推薦の知らせが来てから〆切までの約2週間だけ。秘書にまで、「何でこの日があるのを予測してもう少し前から準備をしておかなかったのですか」と叱られたが、お陰でたった2週間泣きながら仕事をし、一度学問の神様、 平田篤胤神社(=うちの近所にある民家の一階を改造したような神棚を祀ってある神社)のところへ願掛けに行っただけで、5年間10人を超える研究者たちに送る兵糧を得ることができた。やはり頼むべきは体力と天の運である。このときほど願掛けの効果を体感したことはない。しかし、ある日、「これほどのプロジェクトが申請初年度で採択されるのは驚きでしたが、やはり 福島さんたちの日ごろのたゆまぬ努力の賜物なのではないかと密かに思っています。『フリーライドするのは経済学者だけ』と言われないようにがんばりたいと思います」という研究分担者からのメールをもらった筆者は目が覚める。ああ、やはり運の裏には他人のふんどしがあるのだ、と。そこで、記念すべきリレーエッセイの第1回は、他人のふんどしのご利益(ごりやく)を紹介したい。

それまでゲーム理論という分野で理論研究にいそしんでいた筆者が障害と経済のつながりに目を向けたのはまったくの偶然だった。2004年~2005年の総長補佐時代 (注1)、筆者が担当した案件の中に東京大学バリアフリー支援室の障害者雇用推進プロジェクトがあった。東京大学が国立大学法人となったために、適用される制度が公務員の除外職員制度から非公務員の除外率制度と変更になり、算定の分母が大幅に増加したために、雇用率が1.4%弱と国立大学法人に適用される法定雇用率の2.1%を大幅に下回ったことが直接の原因である (注2)。この歳でまだサッカーをすることが唯一の自慢の筆者は、それまで縁のなかった障害者の問題に首を突っ込むことに対して感じた多少のとまどいを仕事として割り切ることで打ち消す。

そもそも筆者は「福祉」というものに関わりたいと思っていなかったし、むしろ、関わりたくないと思っていた(そして、それは今でもあまり変わっていない)。もちろん、福祉の現場に携わる人たちの純粋さと献身ぶりには頭が下がるし、そういった方々を批判するつもりは毛頭ない。しかし、自分がその分野に入ったときのことを考えると、自分の 偽善者ぶりが表へ出てくるようで気持ちが悪くなるのである。宮沢賢治のように、「世界がぜんたい幸福にならなければ、個人の幸福はあり得ない」と思うことはできない自分と、「良い人間とは自分のことを良い人間だとは考えない人間のことであり、良くない人間とは自分のことを良い人間だと考える人間のことである」という ラッセルのパラドクスにも似た妙な道徳観のために、福祉の領域は筆者にとってタブーであった。逆に、それぞれが自分の幸せを追い求めていくことが世の中を予定調和に導く、という経済学の教えが福音でもあった。もう少し言えば、弱者を救う、助ける、という感覚に違和感があったのかもしれない。学生とでも普通に張り合ってしまう筆者は自分でも大人げない奴だと反省するくらい、相手を同じ目線で見てしまうのだ(実際よく反省する)。

話を元に戻そう。同じくバリアフリー支援室員だった 長瀬修特任助教授@先端研(当時)というのが曲者だった(もちろん、ほめ言葉である)。筆者の著作『市場(スーク)の中の女の子』を読んで、こいつは使える、と思ったらしく、背中を押してきたのだ。 福島智助教授@先端研(当時)もグルだ。おかげで難易度の高いと言われる知的障害者雇用に期せずして飛び込む羽目となった。背中を押されて飛び込んだのは小学校のプール以来だ(あのときは頭を23針(にさんはりではなく、にじゅうさんはり)縫った)。ただし、決め手は障害者白書に載っていた就労比較の数字であった。事業所での常用労働者のうち、健常者の平均賃金月額は28万円、身体障害者は25万円。それに対して、知的障害者のそれは12万円。就労形態も授産施設・作業所といったいわゆる福祉的就労の割合は身体障害者の5%に対し、知的障害者では53%強である。その福祉的就労での平均賃金は月額1万2千円。知的障害者就労を手がける必要性を感じた。

さて、やるとなったらことわざ通り、「兵は拙速を好む」である。まず神野直彦研究科長(当時)に相談に行くと、二つ返事で「進めましょう」とのお言葉をいただき、研究科の事務方との作業に入る。しかし、「進めましょう」の言葉には当然ながら「本部の負担で」という前提条件が入っていたため、今度は本部の財務の協力を得るために補佐会で総長に直訴したりと、使えるふんどしを片っ端から使ったような気がする。本部の事務は、人事、施設、財務の各部門とも総じて協力的であり、中には積極的に動いてくれる人もいた。それでも筆者の前任の補佐は、(別のタスクだが)「身体がもたないから酒をやめた」と言っていたが、筆者のほうは、「酒を飲まないとやってらんねーよ」と休肝日を設けない日々が続いた(その後、補佐を辞めた後も休肝日を設けない習慣だけは残っている)。

研究科に戻ろう。一番の課題がどの部署に引き受けてもらうか、というものであった。先の長瀬氏の紹介で世田谷区の知的障害者就労支援センター「 すきっぷ」が入って経済学研究科の業務の洗い出しを進めたが、なかなか首を縦に振る部署がない中、「すきっぷ」へ見学に行った際、 日本経済国際共同研究センター(@経済学研究科)のセンター長代理が「うちで引き受けます」と申し出てくれた。以来、彼女とはけんか友達となる。加えて庶務掛を中心とした経済学部の事務の2ヶ所で一名ずつ雇用し、今日に至っている。つぎの課題は、この雇用への取り組みが、「まつい先生のプロジェクト」と呼ばれたり、「難しいですねえ」と他人事のように言われたりすることなく、わたしの手を離れていくことである(今、何かやっているわけではないが)。

その後、大学本部や他部局の努力の甲斐あって東京大学の障害者雇用率は約1.8%(2007年12月1日現在)に上昇するとともに、経済学研究科の雇用率も(除外率を無視しても)0%から約4%へと上昇した。とくに学術創成研究費によって倉本智明を特任講師としてフルタイムの支援者とともに迎えたことは大きな前進だった。なぜなら、 HPヲタの倉本氏のおかげでこのページも無事立ち上がったからだ。

話を少し戻そう。総長補佐の業務を黙々とこなす中で、障害者雇用推進は本腰を入れなくてはできない、という考えが日々膨らんでいった。腫瘍マーカーの偽陽性事件のときもそうだったが、いきなり専門外の学術論文を読み始める悪い癖があり、このときも調べ始めたのだが、それで分かってきたのは、障害者の就労に関する研究らしい研究が経済学、少なくとも近代経済学ではほとんどなされていないということだった(少しはある)。障害児教育に関しては膨大な文献があるのに、その大切な出口の一つである就労に関する経済学的分析がなされていないのである。

その一方で収穫もあった。障害学という分野に出会ったことである。しかも、その日本における草分け的な本の編者にあの曲者の長瀬氏も入っているではないか。障害者=弱者=助ける対象という福祉の観点からの問題意識は経済の観点からの問題意識との間の乖離が激しく、福祉という枠で就労問題を捉えていたのでは、筆者の出る幕はない(相手を弱者だと思ってつき合うの厭だし)。しかし、障害学の研究者とならばチームを組めるかもしれない。また、「すきっぷ」の人たちのプロフェッショナリズムに触れて、「福祉関係者」という十羽一からげ的な偏見もかなりなくなっていた筆者は自らの研究の舵を大きく切ることになる。

まず最初のステップは、そう、他力本願である。COEの執行部に泣きついて、先端研での年季が明ける長瀬氏を経済学研究科特任准教授として引き抜いてもらう。その後は、長瀬氏にお任せでチーム作りを進め、2006年4月に障害学と経済学の対話と銘打って少数精鋭部隊(=少ない人数で何かをするときの常套句)を発足させた。

その後、絶妙のタイミングで 青木昌彦スタンフォード大学名誉教授が、「まついくん、最近何やっているの?」と聞いてきた。そのときどきの関心事を付け刃で話す悪い癖のある筆者は、つい経済における障害問題について熱弁をふるってしまう(実際はメールだが)。すると、ある日、あなたのプロジェクトが青木氏から学術創成研究費に推薦されたので、○○日までに応募してください、という連絡が学術振興会からやってきたのである (注3)。あとは冒頭に記した通り、少し泣きながら仕事をして、他人には言えない脇固めの後、5年間研究チームのマネジメントをする権利と義務を得たのである(この権利と義務が本当に筆者にとってうれしいものか否かは今後の研究チームの出来次第であることは言うまでもない)。

研究に限らず、人はみな他人のふんどしで相撲をとっているようなものだ。学術創成研究費獲得までに使った他人のふんどしの枚数を数えてみてもわかるように筆者ももちろん例外ではない。障害者と健常者の違いなど、ふんどしの枚数が多いか少ないかくらいの違いなのかもしれない。しかし、ときにはその一枚のふんどしが手に入らず相撲をとれないこともあるだろう。筆者のふんどし、そしてわれわれの研究チームのふんどしで相撲をとってくれる人が現れることを願って「筆」をおこう。

★本エッセイに関する責任はあくまで筆者個人にあり、ここで表明された意見等は東京大学、経済研究科、学術創成研究のいずれをも代表するものではございません。また、原稿のそこここに不適切と思われる可能性のある表現がありますが、ホームページをシャツに例えれば、首を締めつけるような第一ボタンを外すというのが趣旨であり、他意はないことを強調させていただきます。これから第二ボタンも外そうと企んでいるので、不快に思われた方は本ページに再びお越しになられぬようご注意いただくとともに、周りの方々にもぜひ「このページはのぞいてはいけない」とお伝えいただきたく、伏してお願いいたします。m(_ _)m

  1. 総長補佐とは、各研究科等が大学本部に差し出す人柱のようなもの。
  2. この箇所は、初稿では「障害者の割当雇用政策が厚生労働省によって強化され、障害者の雇用率の算定方法が変更(除外率が引き下げ)になったために、東京大学の雇用率が1.4%弱と国立大学法人に適用される法定雇用率の2.1%を大幅に下回ったことが直接の原因である」となっていたが、READメンバーからの指摘を受け、現在のかたちに改めた(2008年4月30日修正)。
  3. 学術創成研究費は科研費の一種だが、他のものと異なり、推薦制を採っている。推薦していただいた 青木昌彦スタンフォード大学名誉教授に感謝の意を表したい。

松井彰彦 (まつい あきひこ)
東京大学大学院経済学研究科 教授
ウェブページ:
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~amatsui/index_j.html