READ2年間のアルバイトを通じて (国井志朗)
きっかけはゼミの先生のプロジェクトだったからというただそれだけの理由でした。
大学3年の初夏、キャンパスが変わり生活環境も変化する中でアルバイトを探していたところ、ゼミの先生である松井彰彦教授から「自分の主催するプロジェクトのアルバイトを募集しています」との声掛けがありました。
先生が何をしているのか、そして私がそのバイトに行って何をするのか、今一つよく分からなかったのですが、「大学構内でできるし、気軽に行けていいかな」と、とくに深い考えもないままREADに参加させて頂きました(後先あまり考えないのは悪い癖で、昔から何度も後悔していますが全然反省しないようです)。当初は、就職活動も始まりつつある時期だったので、ほんのお手伝い程度の感覚でした(なので、まさか4年生になった時にここでのアルバイトが継続していて、かつ内定をもらった後毎日のように通うことになるなんて夢にも思いませんでした)。
最も、お話を初めてお聞きした時から松井先生は今までイメージしていた『経済学者』とは違う独特の考え方をする人だという印象があり、抽象的な経済理論の根幹部分の研究を続けてきた方が、障害と経済に関する実証研究という現実に近く学問的には境界に属するような領域にどうして関心を持ったのか、仕事を通じて知りたいという気持ちもあったように思います。
アルバイトは、今振り返ってみるととても有意義なものでした。
業務の中心は回収されてきたアンケート調査票のデータをexcelファイルに入力するという、ともすれば単純作業になりがちな行為で、実際私も最初のころはほとんど初めて動かすexcelに四苦八苦しつつ「なんだか単調な時間が流れていくなあ」と思ったりしたものです。しかし、アンケートは回答して下さった方が自分の実情をどうにか伝えたいと思うあまり作成者が意図しない回答も多々見受けられ、その度にどのように対処すればいいのかを仲間内で話し合ったり、時には先生方から「この障害はこういう特性があるから、この回答はこういう意図が含まれている」と丁寧な説明を頂いたりしながら入力を進めていく形になり、当初思った以上に頭を使う業務でした。
私は大雑把な人間で統計調査にも関わったことが無かったので「どちらでもいいじゃないか」と思うことも多かったのですが、データの扱いへの真摯さに「研究」とはこういうものかと恐れ入るばかりでした(そして自分の性格じゃ研究者は無理だろうなぁと、長年の夢を徐々にあきらめていったりもしました)。
慣れてくると、そういった個々の調整についてある程度裁量を頂きながら作業を進めていけるようになりました。頭をひねって一つ一つ課題を解決していくのは達成感も強く、また私たちが打ち込んだデータが統計調査の根幹資料になるということで地味ながらも重要な仕事を預かっているという自覚もあり、「自分が役に立っている」と感じることが出来てとても遣り甲斐があるものでした。
そして、入力を進め様々な人たちの生活実態が書かれているデータを見たり、先生方からデータを扱ううえでの背景知識として各障害の障害者を取り巻く環境を聞いたりする中で、障害のある方々という自分と同じ社会の中で生活しつつも全く関わってこなかった方々がいることに思いを馳せるようになりました。
僕自身はそれまで障害のある人と関わったことはなく、障害者を想定した社会の必要性を、理念としてはわかっていても実感を持って共感することは出来ずにいました。例えば、高校時代に授業の一環で車イスに乗ったりアイマスクをして歩きまわったりことがありますが、それは「一時的な体験」以上の意味を持たず、そこから、車イスに乗ってあるいは視覚障害となって生きていくということがどのような生活を意味しているのかを想像するに至ることはあまりない、といった感じです。
そんな環境で生きてきたわけですが、プロジェクトに携わっている方の中に障害のある方もいらっしゃり、いろいろなお話を聞かせていただくことが出来ていままで見えていなかった世界が見えてくるようになりました。障害のある方と関わったことが無かった私には彼らの発する実感のこもった言葉一つ一つがとても印象的で、私がなんでもないと思うようなことに困難を抱えているという生の声に、障害のある人達への施策 (身近なところで言えば、点字ブロックや駅のエレベーター)がどれほど重要なのか初めてはっきりと感じることが出来ました。
その一方、「障害者」という括りで語られる場合どうしても健常者との差異ばかり強調されてしまいがちで、私も「自分とは違う特殊な人」という固定観念があったのですが、業務以外で話した内容と言えばニュースの話や美味しいお店の話、旅行の話など障害のない友人などともするような話題が中心であり、私と同じようなことに喜んだり憤ったりされていて、幾つかの固有の困難を除けば決して特別な人たちではない、という確認するのも憚られる様な極めて当たり前のことに改めて気付かされたりもしました。
また、入力で目にしていたデータも障害者の生活実態を私に訴えかけてきました。
上述の通り私は統計関係に疎くデータも数字の羅列という程度にしか見ていなかったのですが、アンケートに目を通すたびに、それを書いて下さった方々がどのような生活をしているのか、まざまざと眼に浮かぶということが何度もありました(情報保護の重要性を初めて痛感させられた出来事でもありました)。特に、「障害と経済」という枠組みでの調査である以上、障害のある人達の経済実態、とくに就労に関しての質問項目が多かったのですが、障害を理由として就労できずにいる人たちが苦しい生活を強いられているのを見るにつけ、ちょうど自分が就職活動をしていたことも相まって生活のために仕事をしたいのに仕事ができない辛さがひしひしと伝わってきたものです(仕事をしているということが偉い、とかそういうことを言いたいわけではありませんが、経済的自立が精神的な自由や自尊感情を高めることは事実だと思いますし、自助努力でどうしようもない部分で就労へのハードルが上がるのは望ましいことではありません)。
日本の大多数の人たちは、障害のある人たちがどんな生活をしているのか知らない、もしくは知っていたとしてもその全体像は見えていないのが現状だと思います。今後障害者施策としてどのような対応をしていくにせよ、まずは現状を知ることからすべてが始まるはずです(こういうことは、以前は偽善的な態度でしかないという気が自分自身していましたが、しかし同じ社会に暮らす人たちに気を配ることに何の遠慮がいるのでしょうか。それに「やらない善よりやる偽善」という言葉もあります。自分の周りに少しでも笑顔が増えた方がいいと思いませんか?)。READの研究成果が広く世間に認知され、健常者と障害をもつ方々が分け隔てなく生活できる社会の構築へのきっかけとなることを、このプロジェクトにささやかながらも関わらせて頂いた者として願って止みません。
終りまで携われないのは残念でなりませんが、優秀な後輩たちをリクルートして仕事を託せたので、私の務めは十二分に果たせたことでしょう。
最後に本プロジェクトの成功をお祈りし、筆を擱(お)かせていただくこととします。
國井 志朗(くにい しろう)
福島県出身
福島県立安積高校卒業
東京大学経済学部・経済学科4年(松井ゼミ)