学術創成 総合社会科学としての社会・経済における障害の研究
Research on Economy and Disability
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学術創成 総合社会科学としての
社会・経済における障害の研究

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2009年05月10日

【論壇時評・番外編】 障害者雇用と権利条約 (松井彰彦)

ゴールデンウィークが終わり、十分な充電を終え、再び仕事に向かう気力が湧いてきた方も多いだろう。しかし、それは安定した職に就いている人々にだけ許された贅沢というものかもしれない。昨今の景気の悪化で、仕事ができない人やその不安におびえる人にとっては、新緑も恨めしい限りであろう。不況はとくに社会の脆弱な層に対して牙をむく。社会の中でも脆弱な層に多く見られる障害者を取り巻く問題を考察することで、社会に潜むさまざまな矛盾が拡大鏡のように映し出されると同時に、経済学のあるべき姿も問われる。

昨年秋以降の世界同時不況の影響で障害者の解雇が増加しているという。近年、派遣切りなどが問題視されているが、障害者を取り巻く環境の厳しさはその比ではない。就労率のとくに低い知的障害者では、半分以上が最低賃金法の適用除外に当たる作業所などでの就労で、一般の就労は約4分の一であり、その「恵まれた一握りの障害者」の就労形態の多くはハローワークや官公庁ですら非正規職員である。

その必要性にもかかわらず、障害者の権利を守るための障害者権利条約の批准に向けた作業が遅れている。東京大学特任研究員の川島聡氏(法律時報4月号)は、「障害者は『標準とされる社会』に適合できるように障害の克服を宿命づけられ、障害を克服できなければ、ときに福祉制度の下で社会の片隅に追いやられ、ときに優生思想の下で存在自体を否定された」と述べ、そのような社会的排除の撲滅のための障害者権利条約の意義を強調する。

世界精神医療ユーザー・サイバーネットワーク共同議長のティナ・ミンコウィッツ氏(福祉労働冬号)が、条約の精神として挙げるのが、”Nothing about us without us.”(私たち抜きに私たちに関することを決めないでください)という標語である。
例えば、東京大学特任准教授の長瀬修氏(法律時報4月号)は、教育者がその教育手段を押し付けるのではなく、手話言語を選択肢として確保するためにろう学校を維持することの重要性を主張する世界ろう連盟の意見を紹介し、選択の自由の重要性を述べている。自分のことは自分が決めるというのは、人間としての尊厳を保つための重要な条件でもある。

しかし、経済評論家の内橋克人氏(世界5月号)が述べるように、今の日本社会で人間の尊厳を得るためには、就労は重要な要素であろう。大妻女子大学教授の小川浩氏(月刊ノーマライゼーション4月号)は、障害者自立支援法の成立とともに鳴り物入りで始まった就労移行支援事業が支援ノウハウの不足のため掛け声倒れに終わりつつあることに危機感を募らせている。

しかし、日本の福祉事業に本当に欠けているのは経営ノウハウかもしれない。日経ビジネス3月30日号は、障害者主体の企業であるスウェーデン・サムハルの「弱者を見捨てない経営」を紹介する。多くの障害者を福祉手当の受給者から納税者へ転化させたサムハルの生みの親は、28歳で保険社会省の事務次官に就任したゲハルト・ラーソン氏である。同氏は、「障害年金をただ支給するよりも、障害者が働き、納税する方が全体のコストは下がるのではないか」と考えたという。サムハルは優秀な人材から順に一般企業へと送り出していくが、それでも良好な経営を続けている。サムハルが存続している背景には、スウェーデンの底流にある「人を切らない」という哲学もあるのではないか、と記事は締めくくる。

とはいえ、「人を切らない」ことを強制する計画経済のような政策は効果がないだろう。一橋大学准教授の川口大司氏(週刊ダイヤモンド4月4日号)は、そのような政策を採れば、人を採らないことを選択する経営者が増えるだけであるという。北風では旅人のコートを脱がすことはできないのである。
人の心を動かさないかぎり、世の中は変えられない。法律も強制力ではなく、規範力が大切であろう。アメリカ障害者法について、ハーバード大学客員教授のマイケル・スタイン氏(福祉労働冬号)は、就労している障害者の権利が擁護されることで、逆に企業の採用が減少してしまった可能性を示唆しつつも、これまで看過されてきた問題を人々に気付かせ、社会規範を変える効果を持ったと一定の評価をする。だれでも年をとれば「障害者」になるという事実や、一定の割合で障害のある子どもが生まれるという事実を人々が認識することで、障害者が抱える社会・経済問題に対する関心や理解が深まる。障害者を巡る法律は、北風ではなく、太陽のように人々を照らす必要があるのである。

われわれはまた、後戻りに意味がないことも知っている。オーストラリア首相のケヴィン・ラッド氏(世界5月号)は、公共部門の責任と民間部門のインセンティブとの適切なバランスを保つ社会民主主義の必要性を説き、新自由主義を一つの極論としつつも、社会が振り子のように反対の極に振れることをとくに恐れている。同じことは障害者施策でも当てはまる。例えば、現在の障害者施策の根幹にある障害者自立支援法は、応益負担の原則を入浴や排泄といった生きるために不可欠な行為のサポートにまで適用したために、悪法とのレッテルが貼られているが、自分でサポート内容を選択できない「措置」制度の時代に戻ることは、統制経済に戻るように、個人から自由を奪うだけに終わるであろう。
前述の内橋氏は、かつての日本は企業一元支配社会であり、官僚絶対優越社会であったと述べ、企業に「献身を誓わなければ排除され、排除されれば社会的にも排除される」ような社会に本当の人間的な絆はあったのか、と問いかけ、市場原理主義という幻想から古き良き日本経営という幻想へのゆり戻しの動きを警戒している。

今現在でも、打破すべき官僚主導の政治は続いている。例えば、日本では、だれが障害者かということは官僚が決める。そして、知的能力は高いが書き言葉の理解が困難な発達障害など、福祉制度と「ふつう」の制度の狭間で見捨てられた人々には何の手も差し伸べられない。その結果、きちんと教育を施せば社会で活躍できるであろう多くの子どもたちとその親が必要のない痛みを抱えて日々を送っている。

人はひとりでは生きられない。一人ひとりがさまざまな形で他の人の支えを必要としている。環境が変われば、だれもが障害者になり得、だれもが経済的弱者になり得る。障害や失業をすべての人が抱え得る問題であると認識することから、万人のための社会へ向けた動きが始まるだろう。大阪大学教授の堂目卓生氏(中央公論5月号)によれば、経済学の祖アダム・スミスは、「いかにして人間の心に反しない市場が構築されうるかという問題に取り組み、『人間学』(人間本性に関する考察)にもとづく経済学の確立を構想した」という。障害者が安心して暮らせる社会は、われわれみんなが安心して暮らせる社会でもある。かつてのような官僚や企業の権力への服従でもなく、近年続いた市場礼賛でもなく、一人ひとりが自分のことを自分で決められるような成熟した自立社会へ向けて、われわれは世を経(おさ)め民を済(すく)うために創始された経済学の原点に立ち戻らなくてはならない。

松井彰彦(まつい あきひこ)
東京大学大学院経済学研究科 教授
ウェブページ:
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~amatsui/index_j.html