学術創成 総合社会科学としての社会・経済における障害の研究
Research on Economy and Disability
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Research on Economy and Disability
学術創成 総合社会科学としての
社会・経済における障害の研究

〒113-0033
東京都文京区本郷7-3-1
東京大学大学院経済学研究科 READ
研究代表者 松井彰彦
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§障害をめぐる出来事・取り組み

日付順一覧
2012年4月13日

障害者の在宅就労 (丹羽太一)

 障害者という言葉には、障害の二つの側面が含まれている。一つは字義通り障害を持つ者という意味であるが、一方で、その取り囲まれている社会の環境から何らかの障害を受けている者という意味が、同時に発生している。障害を持つ者としての障害は、その程度と与えられる環境の条件によっては、社会的な障害としてはほとんど問題とならない場合がある。逆に、障害が社会で問題とされる場合、それはその環境が障害者に負わせている障害である、ということがあり得る。その時、障害者は障害を持つと同時に、社会的にも障害を受けているのだ。
 バリアフリーという今は一般的になった考え方は、そのわかりやすい例を与えてくれる。元々建築におけるバリアを問題にする言葉であるバリアフリーという概念は、歩行が困難であるという障害を持つ身体障害者が、移動する際に遭遇する様々な物理的障害を取り除くことで、その環境が障害者に与えていた障害を解消することを意味している。そこでは、移動という行為に関しては、障害者が自分の持つ障害を障害と感じずに行える。
 字幕放送も同じように考えられる。テレビを見る聴覚障害者にとって、音が聞こえなくても文字情報があれば、そこで話されている内容に関しては全て理解することが出来るようになる。視覚障害者にとっての点字やテキスト読み上げ機能などもまた同様である。そこで伝えられるべき情報を、環境の側が与えることが出来れば、障害者も健常者と同じ程度に、障害を障害とせずに必要な情報が得られるようになる。つまりこれらの点においては、障害を持っていても環境によっては障害を受けない、という状況が可能になる。

 身体の運動機能に障害を持つ者は、主に移動や行動に関する物理的な不便を感じている。また、視覚に障害がある場合には目から得るべき視覚情報が、聴覚障害者は音声に関する情報が、それぞれ得難い不便がある。もう一方の社会の側から見れば、これらの不便を代替的に補うことの出来る環境があれば、それらは解消できる場合がある。社会が適正な環境を与えられないことで、障害が障害として残されたままになれば、社会がこれらを障害として障害者に与えていることになる。
 このような環境の未整備によって生じる、身体障害者に残された物理的な障害や、視覚・聴覚障害者にとっての情報の障害が問題になるとすれば、社会環境が障害者に与える障害には、物理障害と情報障害の問題があり、バリアフリーを考える場合、障害者を取り巻く社会的環境から、この両者をどのように取り除いていくかが課題になる、ということが言える。

 ドアノブの取れたドアや、ハンドル部分のない蛇口は、捻ることが出来なくて開けられない。物理障害を受ける状態というのは、例えばそんなものであろう。車椅子が通れない扉や通路は、車椅子にとっては開けられないドアと同じで、階段や急斜面も同じように物理障害になる。
 −−機会があれば、車椅子に乗って、自分の生活環境を廻ってみることをお勧めする。普段とは違う身体スケールを感じる、ちょっと変わった体験が出来ると思う。−−
 音を消したテレビ画面や、画像の消えたテレビ音声は、それだけではそこで伝えられていることの全体を理解しきれないだろう。さらに自分の周りが、全てその状態になることを想像してみることはなかなか難しいが、それが実際に情報障害を持っている状態だ。何かを言っている人が見えていても、何を言っているかは聞こえない。声は聞こえるけれど、どんな人がどんな様子でがその声を発しているかは見えない。自分の歩いている先が、どのような状況かが見えない。しかし、そこで欠けた情報を別の媒体で少し補うことが出来ることもある。電光掲示の文字情報で音声を補ったり、点状ブロックで方向を誘導したりということは、そのごく単純な例である。
 −−手話による会話、白杖による感知、状況を説明するガイドとのコミュニケーションと想像力、それは健常者には無い、聴覚障害者の視覚能力、視覚障害者の聴覚能力、彼らの身体感覚が創り出す独自の世界だ。これに関してはさらに深く興味を覚えるのであるが、それはまた別の機会に考えてみたい。−−

 障害者の就労を難しくしている問題に対しても、個々の障害者が持つ障害に応じてそれぞれであるが、雇用をする側から見れば、大きくこの二つの問題− 物理障害と情報障害 −をどう解決するかを考えることが必要になる。

 身体障害者にとっての物理障害は、ここでは通勤と職場環境における障害の問題ということ、つまり交通と建築のバリアになる。
 公共建築のバリアについては、既に1994年のハートビル法によって法的に指針が出され、2000年の交通バリアフリー法で交通に関しても目標が掲げられ、これらを総合する形になる2006年のいわゆるバリアフリー新法によって、公共の施設における、移動困難な高齢者・障害者の障害となる様々な問題を、社会的に解決する方向に進んでいる。
 ただし、法律の施行から実際の整備までは相当な時間を要するし、それで一般的な社会が与える障害が解決していっても、持っている障害によって個々の場面に必要になることに関しては、解決にはさらに努力が必要である。
 通勤に関しては交通機関頼みとなるので、ここでの物理障害はそれぞれが今ある現状を利用しつつ、必要な対応について、まだまだ対象機関に改善を求めていく必要があるだろう。さらに細かい個別の需要に関しても、どこまで対応していけるのかは、これから益々の課題となる。
 一方、オフィスに関しては、公共ではない部分については、対応の有無さえもその企業任せであるということになる。実際、障害者向け求職情報を見ても車椅子不可とあったり、問い合わせてみるとエントランスが階段であったり、ということが少なくない。とはいえ、スロープを付けたり昇降機を設備したり、車椅子のためのスペースやトイレまでを確保するだけでも、雇用する側にとっては負担となり、一朝一夕で整備できるものではないこともまた事実である。
 同様に、物理・情報の二つのバリアの問題に関して、視覚障害者にとっては適切なガイドが、ハード・ソフト両面で必要になるであろうし、聴覚障害者にとっても、コミュニケーションが必要な場面では、その手段を確保しなければならないであろう。

 筆者は車椅子で生活する身体障害者であるが、2年間 READ で在宅就労の形で働いてきた。一般に、障害があってもコンピュータ上で作業出来ることはほとんど対応可能で、業務内容もその範囲にあるとすれば、インターネット環境が整えばそこでの仕事が可能となる。実際に READ では業務開始と終了、必要な作業の応答をメールで伝え、ファイルのやりとりもネットを介して行うことで、ほとんどの業務は成立している。直接やりとりしたいときにはチャットで、顔を見ながら話をする必要があれば Skype で、ということも可能であり、職場に出て打ち合わせをする機会は最小限で済ますことが出来る。
 身体に障害を持つ者としての筆者の、READ での就労を可能にしたのは、インターネットという技術である。通勤と職場環境という社会における物理障害の問題を、通信という手段で補うことで、ここでは直接ではないにしろ回避し、技術的に解決したわけである。

 この在宅就労の形態は、雇用する側は通勤・職場の物理障害を考慮する必要がないため、そのための設備・人材投資が必要ないというメリットがあり、副次的に職務管理も比較的楽に行えるため、事務処理も手間が省け、そのための人件費も押さえられるというメリットにもなる。
 ただし、物理障害の解消に代わって、当然、通信環境を整える必要がある。最近は自宅に回線を持っている場合が多いのだが、月々の使用料のうちどこまでを補助するか、また、昼間の冷暖房費もそれなりの額になると、在宅で働く側の負担となってくる場合はどこまで対応しうるか、こういった、在宅における職場としての環境づくりを、ある程度考慮していく必要が生じることがあるかも知れない。
 あるいは、積極的に雇用者を増やしていくためには、新たな人材開発のために、必要な技術を獲得する機会を設けるなどの、新人教育の場をつくっていくことも考えねばならないだろう。
 また、雇用される側にも、IT リテラシーや技術力が求められたり、ネットを介したコミュニケーション能力が必要となる。これは、働く意志と併せて、就労する障害者に求められるものとして、また別に必要なこととしてある。

 筆者の場合、その上にヘルパーの問題がある。日常生活の様々な場面で介助が必要な場合、現行の制度では賄える範囲は限られているので、在宅就労においてはどうしても家人の負担が避けられない。これは本来、障害者の社会参画を促進するための、制度の問題となるのであるが、公的に未整備であれば、あるいは雇用する側も、取り組んでいく必要がある項目の一つになるかも知れない。

 視覚障害者・聴覚障害者に関しては、インターネットの、情報の空間では、情報のかたちがデジタルになるため、情報障害について、より様々に障害を代替する方法の可能性がある。コンピュータで解決できるデジタルの情報障害がさらに増えていけば、やはりインターネットを介しての就労の可能性は拡がるであろう。モバイルの技術まで拡大して考えれば、通勤や職場環境の情報障害さえも、この先解決していく方法がつくられていくに違いない。
 −−知的障害、精神障害については、また別にいろいろな可能性があると思うが、述べるに暗く、筆者の知見の範疇を超える。さらに専門家諸氏のご意見を待ちたいと思う。−−

 READ に関して言えば、障害者が働く場が大学であるということにも大きな意味がある。バリアフリー環境の、社会に先駆けた先端での促進には、広く啓蒙的な意味がある。学生と障害者が接触する機会が増え、ボランティアや研究など、日常の様々な場面で関わることがあれば、教育的にも大きな意味があるだろう。高等教育機関での障害者雇用に期待されることは多い。

 仕事をしながら自立した生活が出来ることを望む障害者はまだまだたくさんいる。そして大半が、社会の側から物理障害と情報障害を解決することが出来れば、就労可能になるのではないか。在宅就労もその解決策の一つとして、多いに検討すべき就労形態であることは、READ のプロジェクトが実践で証明している。自立支援に本当に必要なのは、障害者の経済的な自立であり、そのための障害者の就労問題の解決だ。

○丹羽太一
READ WEB

2011年3月2日

障害者基本法改正の課題 (長瀬修)

 障害者制度改革が今、大きな節目を迎えている。今国会で内閣から提出される予定の障害者基本法改正案づくりが最終段階を迎えているが、そこに障害者の声が反映されるかどうかの大きな瀬戸際である。

 国連で2006年12月に採択された障害者の権利条約の批准に必要な国内措置を行うために、昨年1月、内閣府に障がい者制度改革推進会議(以下、推進会議)が設置された。この推進会議は構成員のほぼ半分が、精神障害者や知的障害者、身体障害者など、障害の問題を最も切実に感じる障害者自身である点と、手話通訳や筆記など情報面の配慮がなされている点が大きな特徴である。これは、権利条約の交渉の際に国連で繰り返された「わたしたちを抜きにして私たちのことを決めないで」という言葉が日本でも現実のものになりつつあることを示している。

 この推進会議は昨年中に29回の濃密な会合を開き、6月に障害者制度改革の推進のための基本的な方向に関する第一次意見、12月に障害者基本法の改正に関する第二次意見を取りまとめた。

 第1次意見では、①権利の主体としての障害者、②差別のない社会、③社会の障壁の除去、④地域生活、⑤共生社会を基本的考え方として採用した。この第一次意見に基づいて、政府は6月に閣議決定を行い、今年の障害者基本法の抜本改正、来年の障害者自立支援法廃止と障害者総合福祉法制定、2013年の障害者差別禁止法制定という方針を明らかにした。

 この第一次意見と閣議決定に基づいて、障害者基本法の改正の方向性についてまとめたのが、第二次意見である。こうした私たちの意見が、2月14日に示された障害者基本法改正素案では、社会的障壁を明記したほか、障害児支援や、選挙等における配慮、刑事手続き等における配慮、国際協力に関する新たな条文が新設されるなど、反映されている点は心強い。

 しかしながら、依然として反映されていない重要な点が、残念ながら残されている。法案提出に向けた残された時間は少ないが、以下を特に求めたい。①、頻出している「可能な限り」という記述を削除すると共に、権利規定を明確にする。②合理的配慮(例えば、車椅子の人のスロープや、ろう者の手話通訳など、障害に応じた常識的対応)がないことが差別であると定義する。③精神障害のある人の不必要な入院をなくし、地域生活に移行できるようにする。④手話を言語であると認める。⑤障害のある子どもとない子どもが地域で共に学ぶことを原則とし、就学先を決める際には、子どもと保護者の意見を尊重する。⑥複合的差別を経験する、障害のある女性に関する独立した条文を設ける。⑦障害者政策について新設される「障害者政策委員会」の委員の過半数は障害者とする。

 チュニジアをきっかけに中東での民主化の動きが活発化している。しかし、いっそうの民主化は日本を含む、すべての社会の課題でもある。私たちの社会の民主化を進めるためにも、「障害者」と呼ばれ、社会の中心からはともすれば排除されてきた人たちの代表を主役とする推進会議が積み上げてきた議論をもとに、障害者制度改革の第一歩である障害者基本法の抜本的改正を是非、大胆にそして細心に進めたい。その際に、「わたしたちを抜きにして私たちのことを決めないで」を深くかみしめたい。

長瀬修 (ながせ おさむ)
東京大学大学院経済学研究科特任准教授
内閣府障がい者制度改革推進会議構成員

2010年11月22日

映画館における補聴システムの体験報告とバリアフリーな映画について考える (栗原房江)

 過日、出身地の埼玉県深谷市にある『深谷シネマ(http://fukayacinema.jp/)』に、補聴システムが設置されているとの情報を得ました。

 深谷シネマは、2002年に旧銀行の建物を活用して作られ、区画整理のため、2010年旧酒造の酒蔵を改装され、再スタートした映画館です。酒蔵を改造した映画館は、全国でも珍しいとのこと。

 車いす用トイレ・手すり等のハード面のバリアフリー環境や、親子ルームもあり、「たくさんの人に映画を楽しんで欲しい!」という関係者の意気込みが感じられます。また映画を楽しむことに留まらず、市民交流のスペースも設けられており、映画館として、そして地域住民の集う場としての機能を有しています。

深谷シネマの玄関とお庭の写真

深谷シネマの玄関とお庭。私の記憶には、七夕等のお祭りの時、樽酒を振舞っていた造り酒屋さんのイメージが色濃く残っています。

 多くの素晴らしい環境を備えている深谷シネマへ、東京工業大学、中村健太郎教授のご尽力により、補聴システムが加わり、補聴器・人工内耳を装用している方も映画を楽しめるようになったのです。

補聴システム機器の写真

補聴システム機器

 補聴システムは、磁気ループという機器を活用しています。この機器がきこえを補う仕組みを簡単にあらわすと、以下のようになります。

  1. 補聴器・人工内耳を装用している方はモードを『T(テレホン)コイル』に合わせる(その名の通り、電話をする際に活用されている方が多いと思われます)
  2. 磁気ループ内に入る、または、補聴機器を装用する
  3. 近くできいているようにきこえる

(*きこえる人が同じような場面を体験できる場として、ヘッドホンをして音楽をきく・また密室で1対1で会話するというシーンを思い浮かべていただけるとよろしいかと思います)

 ちなみに補聴器・人工内耳は、人や音楽等、当事者がききたいと思っている音と同時に周囲の音をも拾ってしまうという特性があります。

 そのため、この『Tコイル』と磁気ループを組み合わせて、補聴器・人工内耳を装用している方のききたい音をきけるようにすることが、バリアフリーであるといわれています。
 しかし、日本において磁気ループを常設している公共施設は多くありません。また常設されていても、事前に施設・主催者へ連絡して、電源を入れてもらうというシステムの場所もあり、普及しているとはいえない状況です。

 映画は、映像と共に音楽とセリフを楽しみ、同じ館内にいる皆さんと場を共有することに、その意義があると感じています。しかし、聴覚に障害をもつと、セリフと音楽を楽しめなくなるため、次第に足が遠のいてしまいます。または、字幕の出る洋画をよく観るようになるかと思います。これは、私的な経験からも痛感しています。今回、久々に、映画の音楽とセリフを楽しませていただきました。補聴器・人工内耳を装用されておられる皆さまは、是非、深谷シネマにて、映画と共に補聴システムを体験されてみてください。

写真:補聴システム貸出しのご案内

深谷シネマ館内掲示板の見やすい所に、補聴システム貸出しのご案内も掲示されています。

 そして、聴覚障害者が映画を楽しむ際のもう1つのバリアフリーについて書かせていただきます。
 聴覚障害者といえど、きこえの状態は、個々で異なります。
 そのため、補聴器・人工内耳を装用される方とされない方、コミュニケーションは音声・筆談・読話・手話と、それぞれ異なります。聴覚障害者は、これらの方法を併用、または場に応じて使い分け、周囲とコミュニケーションを行っているといえます。

 上のような多様性を踏まえつつ、どのような状態にあろうとも、映画を楽しめることが、聴覚障害者にとってのバリアフリーであると、私は思っています。
 具体的な方法は、「文字により情報を得ること」、つまりきこえの状態に左右されない「視覚」を活用することといえましょう。
 最近は、駅やバス内のテロップ、地上デジタル放送の字幕等、視覚的な方法により、情報を得られる場も増えています。しかし、その多くは、交通情報等の生活に関するものが主であると感じています。

 現代における映画の役割は、「文化的な生活を営む、または感性を養うこと」であると感じています。
 先ほど、映画館で映画を観ることの意義は、「映像と共に音楽とセリフを楽しみ、同じ館内にいる皆さんと場を共有すること」にあると述べました。
 「文化的な生活を営み、感性を養うこと、映像と共に音楽(音楽をきくことが難しい場合は、視覚的な方法へと変換)とセリフを楽しみ、同じ館内にいる皆さんと場を共有すること」は、個々の権利であると私は思っています。
 聴覚障害者からみて、バリアフリーな映画となるためには、音声日本語で制作された映画を、日本語字幕で観られるようになることが必要でしょう。

 ここで映画と同様、文化的な生活を営む、または感性を養う場である演劇や博物館等において、音声日本語を日本語字幕へ変換するシステムを考案、そして実用するために尽力されておられる宮下あけみさんと、国立大学法人筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター 携帯電話を活用した聴覚障がい者向け『モバイル型遠隔情報保障システム』をご紹介させていただきます。
 詳細は、下に示させていただきましたウェブサイトをご覧ください。

人工内耳友の会 東海
☆【パソコン字幕】☆
宮下あけみさん専用ページ
http://www2u.biglobe.ne.jp/~momo1/sub1/akemizo2.htm

国立大学法人 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター
携帯電話を活用した聴覚障がい者向け
『モバイル型遠隔情報保障システム』
http://www.tsukuba-tech.ac.jp/ce/mobile1/index.html

栗原房江 (くりはら ふさえ)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2010年9月22日

ADA(障害をもつアメリカ人法)20周年を迎えたアメリカで
――重層的な声を聞きながら (瀬山紀子)

―ADAを知らせていくことが必要だと思っています。自分は、苦しんでいたときに、ADAについて何も知りませんでした。自分が障害ゆえに仕事を失ったときに、なにか、こういうことについての法律はないのだろうかと思って、いろいろ探しまわった結果、ようやくADAを知って、自分に権利があることを知りました。すくなくとも、私たちは、ADAに書かれている権利について知る必要があると思っています。

 上の言葉は、今年の6月、アメリカのコロラド州デンバーで開かれたADA(アメリカ障害者法)についての研修や情報交換を目的にした「全米ADAシンポジウム」の番外イベントのなかで上映されたドキュメンタリー「インビジブル・ボイシズ」http://www.invisiblevoices.org/の上映後、出演者の一人の方が語ったものだ。

「インビジブル・ボイシズ」という映像作品は、昨年秋にアメリカ・コロラド州のコロラド・スプリングスという町で上演された舞台での作品を映像化したもので、アメリカで暮らす6人の障害がある男女のライフストーリーを当事者であるそれぞれの語り手がリズミカルに語りながら、これまで、聞かれることのなかった声を聞き手に届けるというコンセプトでつくられた作品だ。

作品は、コロラド・スプリングスにある、ロッキーマウンテンADAセンターが、ADAの制定20周年の節目に、全米のさまざまな地域のADAセンターが、障害者の人権をあらためて考えるための研修会や学習会で使えるようにと作ったものだという。

作品のなかでは、幼い頃、町を歩いていて笑い物にされたという視覚障害がある人の経験や、足がない下肢障害で生まれた自分を、医者が、母にはショックが大きいだろうとすぐには見せなかったという話を母から聞かされたという経験、手話を禁じられ、話すことができず、知的障害だと思われて過ごした学校時代の経験、視覚障害の夫とやはり視覚障害がある自分との間に子どもができたとき、育てることができないからと、子どもを養子に出すようにケースワーカーから言われたという経験などが当事者によって語られていく。

そこで語られている語りは、とても個別の語りでありながら、これまでも私が日本でであってきた障害がある友人たちから聞いてきた話とも、とても似通った話のように感じられた。また語りは、なんどか聞いているうちに、その光景がとても具体的に頭に思い浮かぶような語りだったりも した。

出演者は、視覚障害や聴覚障害、下肢障害、頭部外傷がある語り手で、かれらは、それぞれの自分自身の経験を語ると同時に、ADAの成立に至るまでのアメリカ社会のなかで起きた障害に関する歴史的な事柄を拍手によるリズムを交えながら語っていく。社会のなかでいかに障害が否定的なものとみられ、隠されてきたか。障害者自身による自立生活運動がどのようにスタートしたのか。ADAがどのように障害者自身の声によってつくられることになったのか、障害がある人が、時に怖々と、また時に必要以上に遠慮深い接し方で社会のなかに存在させられてきたのか、等々。こうした社会の背景と個々人の歴史が重なりあって、アメリカにおける障害をめぐる重層的な社会の像が浮かび上がる。

「障害がある人に対する周りの態度を変えていきたい」。上演後、制作者はそう語った。どうやったら、障害がある人を、一人の多様な経験を重ねている一人の人と感じ、あたり前に接していく人を増やしていくことができるのか。この作品は、そうした問いへの一つの回答として、一人の人としての障害がある人の豊かな語りを、人々に届けるチャンスになればという願いが込められているという。

ADAができて、20年という月日が重なったアメリカで、現実には、まだ、ADA自体が、人々に広くは浸透していない。さらに、障害がある当事 者自身が、自分の権利を守るものとして法律を使うには至っていない。はじめに引いた言葉のように、法律は、できただけでは、必ずしも、必要な人が使えるものにはならない。できた法律を、使い手が、必要に応じて、自分自身を守る道具として使いこなすためには、まず法律とそれができてきた背景を知り、自分のものとしていくプロセスが重要になる。

今回、この作品が上映された「全米ADAシンポジウム」は、まさに、ADAを使いこなしていくために開かれた、とても実用的で、実践的な集まりだった。シンポジウムの各分科会では、それぞれの参加者が今いる場所で、実際にどんな問題が起きていて、それに対してどんな対応ができてきたのか、現状の課題はどんなことがあるのか、というとても具体的な意見交換を活発にしていた。そこには、さまざまな立場の障害がある当事者も多数参加していたが、同時に、民間の企業から大学などの教育機関、また公的機関といったさまざまな職場で雇用者の立場で働く人々も多数参加していた。そのことは、まさに、ADAという法律ができたことで、誰もが、どのような職場で働く人であろうと、障害の課題と関わりがあるということを示していたと思う。

障害がある人自身が、自分の権利を知ること、そして、異なるバックグラウンドをもつ対等な個人として、周りの人が障害がある人と接していくことができる社会の条件整備が、アメリカでも、大きな課題であることは変わらない。日本でこれから作られていく予定の障害者差別禁止法は、障害問題の裾野を広げる大きなきっかけとなる、そうしていく必要があると、強く感じた時間だった。

瀬山紀子 (せやま のりこ)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2010年8月10日

全米ADAシンポジウムに参加して (臼井久実子)

2010年6月末に、コロラド州デンバーで、全米ADAシンポジウムに参加する機会を得た。
全米ADAシンポジウム[註1](以下、シンポ)は、ほぼ毎年開催されているもので、主催者はADAセンターの全国ネットワーク[註2]である。

ADAとは「障害をもつアメリカ人法」「米国障害者差別禁止法」などと日本語訳されている法律で、今年はちょうど制定20周年を迎え、「障害の定義」などを書き改めた2008年修正ADAの周知と活用が進められている。日本でも「障がい者制度改革推進会議」[註3]が、障害者基本法、差別禁止法の制定にむけ議論を重ねているなか、米国で先行してきた差別禁止法にかかわる最新の情報と人のつながりを得てこようとした。

ADAセンターは、ADAの細則にもとづき、現在、全米を10のエリアに分けた各エリアに一つずつある民間組織で、連邦教育省の予算やファンドを得て運営されている。シンポのなかでADAセンターは「法の執行担当者ではなく、小さい企業や商工会議所とも話し、公民権・障害者差別禁止への心配を取り除き、状況を改善する、情報センターの役割を担っている」とも紹介されていた。

20年記念をかかげた今年のシンポは、数百人の規模で、ホテルのフロアと会議スペースを借り切って、アメリカ手話による通訳や英語の文字通訳をつけて開催された。各地の学校や大学、官公庁や一般企業、障害者団体から、ADAコーディネーター[註4]などが登録者として集まった。ADAは、50人以上の組織にADAコーディネーターを1名はおくことを義務づけていて、ADAコーディネーターは、少なくともADAの水準を満たせるように、職場や地域をふだんから点検し、現場での問題や苦情を受けとめて解決にあたる役割だ。シンポはADAコーディネーターの研修機会を兼ねてきているもので、今年は3日間48コマの分科会が設けられた。分科会の講師の大半は、連邦や州の政府のADA執行に関わる機関や部局、および、民間のADAセンターなどから来ていた。日本からは耳が聞こえない私と英語通訳者、ノートテイカー、共同研究者の瀬山さんが登録した。

分科会は、「修正ADAでこれまでとなにが違うのか」「小さな会社や地方の公共団体がどうやってADAを守ることができるか」など、一つ一つ具体的なテーマを立てていて、登録者は、自分の経験や現場のニーズや関心をもとに事前に参加するところを選ぶかたちだった。

私が参加した分科会の一つは、教育省、法務省、EEOC(雇用差別をなくしていくための連邦政府の部局)から1人ずつ3人のシンポジストが出た。3人とも女性だった。教育省の人は、「180日以内には9割のケースを解決している。子どもが虐待や入学拒否にあったときに、そんなに長い時間をかけていられないので、できるかぎり迅速な解決をこころがけている」と発言していた。もし、教育省が、ある学校が障害児者を差別していると判断を出したときには、学校への連邦補助金を打ち切り、法務省は提訴する。大半はそれまでに解決するが、最後は裁判で争う。具体的に問題があるという連絡を個人や組織から受けたときに、教育省がこのような姿勢で、かつ、他の省庁部局と比べても短期間で解決していることは、今回聞いた話のなかでも印象深かった。

おもしろかったのは、基本理念や初歩的な質問をふまえながら、率直に、到達点と課題を扱う場になっていたことだ。「どんな質問でも意見でもためらわずに出してほしい。出さないことはもっとも愚かなことだから」と前置きする講師もいた。講師の話の途中でも次々と質問やコメントが出され、それを糸口に話が展開し、合間にはクイズが出されたり、誰も退屈している暇はない感じだった。たとえば、大学職員が手をあげて「必要があれば手話通訳者派遣の相談に応じるが、学生からのリクエストを待っていればそれでよいのか」と質問、それに対して講師が「大学は、学生のリクエストを待っているだけでなく、ポスターなどで周知して、障害学生がサービスに容易にコンタクトできるようにする必要がある」と答え、ほかの登録者がまたコメントを加えるといった場面が続き、分科会の最後には、何をすればよいか、今後への課題など、腑におちるまとめがされていた。

それぞれの分科会で、障害とはなにか、どのようなことが差別にあたるか、どうすればよいか、すっきりとは割り切れない難しいケースが講師からも参加者からも出されていて、解決にむけては、障害や病気を理由に別扱いせずに実質的に平等に扱うことが強調された。そして、何が問題で何が必要なことなのか、現場で相互によく話し合っていくことが重要と、繰り返し言われていた。

私たちが帰途にカリフォルニア州オークランドで訪問したパシフィックADAセンターは、地域に多数あるCIL(自立生活センター)や市民活動とも結びついているセンターで、ケアに関する調査研究にも力をいれている。日常の主な活動はフリーホットライン電話やメールによる相談を受けることで、年間約4千件にのぼり、相談者の多くは個人だが、さまざまな組織や機関からも、海外からも、連絡があるとのことだった。

ADAセンターの担い手には、障害別団体やCILを経てきた、障害のある人もいる。パシフィックADAセンターで質問に答えていただいたサリドマイドの女性は、バークレーCILの代表をつとめたこともある弁護士だった。シンポの分科会で、小さな企業とADAについて講師をした地元コロラドのADAセンターの男性スタッフは、以前は関節炎者団体にいた人で、「今はホテルにADAをセールスして回っている」とのことだった。見るからに手慣れたセールスマンという感じで、「よいアクセスはよいビジネスになる」と、よくこなれたパワーポイント資料やビデオを使いながら、駐車場や施設整備の事例、税の減免制度などを引いて説明していた。

ADAシンポジウム会場には、開発メーカーやコンサルタント会社もブースを出していた。たとえば「駐車場の設備がADAの水準を達成するためには、どこをどう直せばよいか」コンピュータ画面でフォームに入力していくと答がでるソフトを持ち込み、セールスしている会社もあった。政府機関の講師の話でも、音声認識・文字認識などの技術・機器の開発と応用普及には大きな費用が投じられていて、たとえば、音声認識の技術を使って液晶画面に音声を文字表示する電話は価格99ドル、聴覚言語障害者・高齢者に非常に普及していると聞いた。そうした面では障害にかかわることは「特殊な人に、この程度のものをあてがっておけばいいだろう」といった恩恵のレベルではなくて、政治経済社会のインフラとして形成されていることがうかがえた。

ADAセンター、政府や州の関係機関、企業、障害者団体など、それぞれの立場は違っていても、発する言葉は似通っていた。社会的経済的格差や困難な問題を抱えつつも、このように異なる立場から障害者差別禁止と公民権を共通の土台に取り組み、法律の効力を高めていく仕組みをもつことは、日本でもこれからの急ぐ課題として求められている。

[註1] The National ADA Symposium
http://www.adasymposium.org/" http://www.adasymposium.org/
プログラムパンフレット
PDF版 http://www.adasymposium.org/ProgramSmallFile.pdf
テキスト版 http://www.adasymposium.org/Program.rtf
[註2]ADAセンターの全国ネットワーク
ADA National Network
http://www.adata.org/Static/Home.aspx
(例)コロラド地域 Rocky Mountain ADA Center
http://www.adainformation.org/
(例)カリフォルニア地域 Pacific ADA Center
http://www.adapacific.org/
[註3]障がい者制度改革推進会議
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/kaikaku.html#kaigi
[註4]ADAコーディネーター
(全米ADAシンポジウムのサイト上のページ)
http://www.adacoordinator.org/
[そのほか]
ADAに関するウェブサイトの一つとして
法務省のADAのページ
http://www.ada.gov/

臼井久実子 (うすい くみこ)

東京大学大学院経済学研究科 特任研究員
ウェブページ:
障害者欠格条項をなくす会

2010年5月10日

障がい者制度改革推進会議 (長瀬修)

歴史的な動きが起きている。今年の1月12日に開始された内閣府の障がい者制度改革推進会議(以下、「推進会議」と略)である。これは新政権がマニフェスト(政権公約)で掲げ、実際にこれまで達成した数少ない項目である。

この推進会議の特徴は、障害者の権利条約の交渉過程で繰り返された“Nothing About us without us”(私たち抜きで私たちのことを決めないで)の原則を、日本の政策立案・決定過程で実現したことである。

それは2点で具体的に示されている。一つは、推進会議の構成員の過半数が障害者やその家族を代表する組織から選出されていることである。日本の障害分野の組織の連合体であり、権利条約の交渉過程を通じて、政府との意見交換を行い、様々な提言を行ってきた日本障害フォーラム(JDF)から、多くの構成員が選出されている。様々な形で、障害者の権利条約交渉に実際に参画した構成員が多い。したがって、障害者自身である構成員が多く、非常に具体的で切実な経験が議論で活かされている。

もう一点は、この推進会議の事務局員に、新たに内閣府の職員として民間から採用された障害者運動のリーダーが含まれていることである。内閣府参与として推進会議の担当室長にはJDFの推薦を受けて、障害者の権利条約交渉過程で、日本政府代表団に顧問として加わった東俊裕弁護士(DPI日本会議所属)が就任している。これも、行政主導と言われてきた従来の審議会と画期的に異なる点である。

このように、ようやく日本でも、政策立案・決定過程への障害者の本格的な参画の仕組みができたことを大変うれしく思う。こうした仕組みが障害分野で機能させることができれば、他分野への好影響も間違いなくあるだろう。

こうした「当事者」中心の仕組みが有効に機能することを証明するという大きな課題を、推進会議は担っている。私自身、この推進会議の構成員にという打診を受けた際に、この歴史的な取り組みの一翼を担うことを光栄に思うと同時に、非常に大きな責任を痛感した。

推進会議は、今夏までの中間取りまとめの作成に向けて、急ピッチで会合を重ね、4月末までにすでに9回会合を開催した。2回目以降は毎回4時間の会議であり、4月と5月は月に3回の会合というハードスケジュールである。2月から4月までは、東室長が提示した論点に対して、構成員は事前に文書で意見書を求められた。全部で24名の構成員からの意見書をまとめると膨大な量になった。例えば、大きな焦点である教育に関する構成員からの意見書は、9万6千字を越え、A4でも100ページ以上である。

推進会議での私たちの議論の詳細については、ぜひ、推進会議のウェブサイト(注)をご覧いただきたい。会議の資料、議事録そして、動画が掲載されている。

こうした推進会議の意見が政治の場で本当に政策に反映されていくのか、それは政治情勢に左右される点も大きく、現時点では不透明な要素が大きい。権利条約の方向性に従った政策変更への抵抗の強さも体感している。

しかし、少なくとも、こうした障害者中心の政策立案・決定機関だけは、どのような政権下でも当然とみなされるような実績だけは残したいと願っている。皆様に是非、強い関心を寄せていただくことを心からお願いする。

(注)
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/
kaikaku.html#kaigi

長瀬修 (ながせ おさむ)
東京大学大学院経済学研究科 特任准教授
ウェブページ:
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~nagaseo/

2010年3月10日

知られていないことのやっかいさ (西倉実季)

「アルビノ殺人」恐れ、1万人が避難 アフリカ南東部

アフリカ南東部のタンザニアとブルンジで、生まれつき色素を持たず皮膚の色が白い「アルビノ」の人々約1万人が、殺人被害を恐れて政府が設置した避難所などに逃げ込んでいることが、国際赤十字の報告で明らかになった。

両国では、「アルビノ」の体には特別な力が宿るという伝統的な考えから、臓器や体の一部など売却する目的で、アルビノの人々が殺されるという悲劇が後を絶たない。2007年以来、タンザニアでは少なくとも44人、ブルンジでは14人が殺されている。

(2009年11月30日 CNNニュース)

「アルビノ」とは、常染色体劣性の遺伝性疾患である。全身のメラニン色素をまったく、またはわずかしかつくることができない。そのため、皮膚は白く、目の色は灰青色、髪の毛や体毛は白や金色など、外見に大きな特徴がみられる。眼球の色素も不足していることから、遺伝タイプによって異なるが、視力障害をともなうことが多い。

「やっぱり実際に起きていることなんだ」。アフリカでのアルビノ殺人については多少知っていたが、現実の確かな出来事として認識できたのは、インターネットでこのニュースを目にしたときだった。

アルビノ殺人を知ったのは、アメリカのNPO団体「Positive Exposure」の活動について調べている過程だった。ニューヨーク在住の写真家リック・グイドッティが1997年に設立したPositive Exposureは、遺伝性疾患をめぐるスティグマの解消と無知の改善をめざして、アルビノなどの疾患をもつ人々を写真に撮影し、その作品を「肯定的に見せる(positively expose)」という活動を続けている。この団体がとくに力を注いでいるのが、アフリカでの教育や啓蒙である。というのは、迷信が根強く残るアフリカのある地域では、アルビノの人々が深刻な被害にあっているためである。たとえばタンザニアでは、アルビノは神秘性を帯びており、その身体部位が「魔法の薬」や「縁起もの」と考えられているため、アルビノの人々が虐殺の対象となっているという。また、ジンバブエでは、アルビノの人と性交渉をするとHIV/AIDSを治すことができると信じられているため、レイプ被害が報告されている。

日本はというと、さすがに殺人は起きていないとはいえ、アルビノが一般に「(正しく)知られていない」という意味では似たような状況にあるのではないだろうか。アルビノの人々の社会生活や心理はほとんど研究されていないうえ、日本で当事者団体が設立されたのはごく最近のことである。2008年に「日本アルビニズムネットワーク」が活動を開始する以前、アルビノの人々はまさに「少数者以前の孤立者」(注1)だった。学術研究や当事者活動が立ち後れたこともあり、アルビノに対する社会的な認知はきわめて低い。「アルビノ」という言葉は聞いたことがある人でも、それがどのような疾患なのか、アルビノの人々がどのような社会生活を送っているのか、正しく理解している人はけっして多くはないだろう。その目立つ外見とは裏腹に、集団としてのアルビノの人々はこれまで不可視化されてきたのである。

 知られていないというのは、当事者にとってさまざまな「やっかいさ」(注2)をもたらす。たとえばある女性は、学生時代に飲食店のアルバイトに応募したところ、「金髪に染めている」と誤解され、面接にさえ応じてもらえなかったという。その外見から「ガイジン」と勘違いされることも頻繁にあるそうだ。

「ねぇ、あの人、ガイジン?」
「えー、違うんじゃない? だって顔立ちがガイジンじゃないよ」
「でも、あの髪の色だよ。肌もすごく白いし」
「うーん、どっちかなぁ」

これは、彼女が再現してくれた街角ですれ違う人たちの会話である。また、ある男性が直面しているのは、弱視者という存在があまり知られていないがゆえのやっかいさだ。向こうから歩いてくる人の顔がはっきり見えないため、知り合いとすれ違っても、自分からあいさつすることができない。しかし、弱視の人は一見しただけでは視覚障害者だとはわかりにくいため、相手には無視をしたと勘違いされたり、「ろくにあいさつもできない無礼なやつ」とよくない印象を持たれてしまうのである。

もちろん、アルビノの人々は、こうしたやっかいさにただ悩まされているだけではない。先述した日本アルビニズムネットワークは、無知や誤解のせいでアルビノの人々やその家族が多大な不利益を被ってしまう状況を何とかするべく、アルビノに関する正しい知識を社会に発信していく活動を展開している。知られていないことを知らせていくこと。たしかに、アルビノの人々が置かれた状況を改善していくためのごく初歩的な取り組みにすぎず、その先をどうしていくかがむしろ重要なのかもしれない。しかし、困難を経験している人々の苦しみや存在さえもが認識されず、また認識されていないことがまさに問題であるとき、「知らせていくこと」は状況を切り開く確かな一歩となるだろう。苦しみや存在の不可視化に抵抗することに研究としてどう関わっていけるか、答えはすぐには見つかりそうにないが、考え続けていきたいと思っている。

  1. これは、顔に疾患や外傷のある人々による当事者団体「ユニークフェイス」にかんする岡知史(上智大学教授/セルフヘルプ・グループ研究)の表現を借りた。
  2. 倉本智明,2006,『だれかふつうを教えてくれ!』理論社, p. 68.

西倉実季 (にしくら みき)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2008年10月5日

障害というコトバ:メモランダム2 (川島聡)

前回に続いて、障害者の権利条約の前文(e)に記された「障害」というコトバについて少し考えてみたい。現在のところ日本政府の仮訳では、“disability”と“impairment”とは訳し分けられていない。両者とも、「障害」と訳されている。しかし思うに、条約正文において両者が使い分けられており、両者が異なる概念である以上、基本的に両者は訳し分けられるべきである。

では、日本語では、どのように訳し分けたら良いだろうか。ひとつの例として、WHOの国際生活機能分類(ICF)の日本語訳(注1)にあるように、“disability”を「障害」と訳し、“impairment”を「機能障害」と訳すのが穏当なのかもしれない。あるいはカタカナを用いて、「ディスアビリティ」と「インペアメント」と訳すのも、原語の意味が明確となり、一部の人にとっては分かりやすいかもしれない。はたまた初出の場合に限っては、丁寧に分かりやすく、「障害(ディスアビリティ)」と「機能障害(インペアメント)」と訳し分けても良いのかもしれない。

前文(e)のこれらの言葉とともに留意すべきは、「障害(ディスアビリティ)のある人」と「機能障害(インペアメント)のある人」という言葉である。この条約の第1条では、「障害(ディスアビリティ)のある人」は、次のように記されている。

“Persons with disabilities include those who have long-term physical, mental, intellectual or sensory impairments….”

この文言を見ると、" Persons with disabilities" (障害のある人)と" persons with long-term physical, mental, intellectual or sensory impairments" (長期の身体的・精神的・知的・感覚的なインペアメントのある人)とは重なり合う言葉であることが分かる。また、" include" (含む)という英単語からわかるように、前者は後者を包摂するヨリ広い言葉である。

ところで、この条約においては、「障害の定義」と「障害のある人の定義」は定められなかった。その代わりに、政治的に「妥当な落とし所」として、この条約では「障害の社会モデル」を反映した、「障害の概念」と「障害のある人の概念」が定められた。

ここで第1に、わたしが「妥協の産物」ではなくて、あえて「妥当な落とし所」と表現したのは、まさしく条約自体(前文(e))に記されているように、“disability”が「形成途上の概念(an evolving concept)」だからである。硬直的な「障害の定義」を設けるのであれば、この条約の発展可能性が閉じられてしまうことになりかねない。また最悪の場合、条約交渉過程において、けっして終わることのない「障害の定義」論争が繰り広げられることで、この条約は成立しなかったかもしれない。柔軟性のある「障害の概念」を盛り込むことにより、それらの問題をさしあたり回避できたものと思われる。よく知られているように、国内法の場合には一般に、「障害の定義」はそれぞれの国のさまざまな法の趣旨と目的に応じて異なる。よって、これだけ包括的な人権条約において、単一の「障害の定義」を定めることはもとより不可能であったと言ってよい。

第2に、わたしは「障害の社会モデルを反映した」と上で述べたが、たとえば欧州を代表するディスアビリティ法研究者であるリサ・ワディントンも、すでに同様の見解を示している(注2)。ワディントンがそのように考える理由と実質的にはおおむね合致すると思われるが、わたしの理解は次のとおりである(注3)。まず「障害の医学モデル」は、障害者の被る不利(disadvantages)の原因を、個人のインペアメントに還元させる。他方、「障害の社会モデル」は、障害者の不利の原因を、個人のインペアメントに対する、社会の否定的なリアクションに求める。この否定的なリアクションは、しばしば否定的な意味合いを込めて「バリア(障壁)」と呼ばれる。この条約では、障害者の不利(障害者の平等な社会参加がなされていない状況)は、個人のインペアメントから生ずるのではなく、インペアメントとバリアとのインターアクションから生ずると記されている。この意味において、本条約における「障害の概念」は、インペアメントの問題性ではなくて、むしろインペアメントとバリアとのインターアクションの問題性に焦点を合わせている。そして、本条約の趣旨と目的に照らせば、何よりも問題視されなければならないのは、人権主体たる「インペアメントのある人」ではない。インペアメントのある人をとりまくバリア(インペアメントに対する否定的なリアクション)が最大の問題なのである。そのバリアを取り除くことにより、その人の権利を保障することが本条約の目的である。したがって本条約における「障害の概念」は、さまざまな「障害の社会モデル」(social models of disability)のうちの一形態というべきものである(注4)


  1. 障害者福祉研究会編『ICF 国際生活機能分類―国際障害分類改定版』(中央法規出版、2002年)。
  2. Lisa Waddington, A New Era in Human Rights Protection in the European Community: The Implications the United Nations' Convention on the Rights of Persons with Disabilities for the European Community (Maastricht Faculty of Law Working Paper 2007/4), Faculty of Law, Universiteit Maastricht, October 2007, p. 4.
  3. この理解は、国連ホームページ上の記述とも、実質的にほぼ合致している。ただし、国連ホームページでは、「障害の社会モデル」という言葉それ自体は用いられていない。
    UN Enable, Frequently Asked Questions regarding the Convention on the Rights of Persons with Disabilities, http://www.un.org/disabilities/documents/
    gid/conventionfaq.doc, last visited 17 September 2008.
  4. しばしば社会モデルの文脈において用いられる「障害(ディスアビリティ)」という言葉は、やや曖昧に用いられるときがある。すなわち、この言葉は、「障害者の不利」と「社会のバリア(社会の障壁)」という両方の意味で用いられる場合が見られる。しかし正確にいえば、「障害(ディスアビリティ)」とは、「社会のバリア」を意味するのではなくて、「(社会のバリアから生ずる)障害者の不利」をいう。この論点につき詳しくは、星加良司『障害とは何か―ディスアビリティの社会理論に向けて』(生活書院、2007年)44〜45頁を参照されたい。

川島聡 (かわしま さとし)

東京大学大学院経済学研究科 特任研究員
ウェブページ:
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~stskwsm/index.html

2008年9月25日

〈分かりやすい障害者の権利条約〉の作成 (長瀬修)

日本政府が昨年(2007年)9月に署名し、批准を検討するという意思を表明した障害者の権利条約の日本語訳は、政府による仮訳以外にも、川島聡さんと私の訳(注)などがあります。この条約の交渉過程では、”Nothing about us without us”、「私たち抜きで私たちに関することを決めないでください」という言葉が障害者から繰り返されましたが、障害者の参加に情報は欠かせません。私たちが2004年1月に作成された条約の作業部会草案以来、翻訳に取り組んできたのは、まさに情報提供の役割を担いたいという気持ちからです。

その情報提供の努力の一環として、知的障害者を念頭に、分かりやすい権利条約づくりに取り組んでいます。「知的障害者」と呼ばれる人たちが直面させられる困難の一つに、情報バリアがあります。難しい表現や言葉は、知的障害者にとっては、ただのお飾りでない、意味ある参加への障壁となる場合があるからです。

私が国際活動委員長を務めている、社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会が昨年の夏から作業を始めています。昨年秋には、ありがたいことに丸紅基金の支援が決まりました。東大本郷キャンパスと新橋の育成会本部とで、これまで25回を超す会合を開いて、知的障害者自身や親を含む作業・編集メンバーと共に取り組んできましたが、私自身、大変勉強になります。

例えば、「勉強する」よりも「学ぶ」の方がやわらかく、やさしい表現だと私はなぜか思い込んでいましたが、知的障害者本人のメンバーから、「勉強」の方がストレートで分かりやすいという指摘がありました。ふつうに最もよく使われている言葉のほうが分かりやすいということです。

また、絵が多いほうが分かりやすいという誤解もしていました。これも、絵が多いとかえって集中できず、分かりづらいという発言が知的障害者本人メンバーからありました。

作業では、条文を分かりやすくしよう、最も大切なところをきちんと表現しようと苦労するのですが、自分自身でよく理解できていないところは核心部分を抜き出して分かりやすくするということがなかなかできません。原文をもう一度読んで意味を再度、考え直したり、ユニセフが作成した子ども向けの分かりやすい条約文(英文)などを参考にしたりします。当然かもしれませんが、自分自身の理解度が高い部分については、かみ砕く作業がやりやすいのです。

何とか年内には刊行にこぎつけたいと願っていますが、まだまだ胸突き八丁の段階です。完成のあかつきには、ぜひ、皆様にも目を通していただきたいと思います。知的障害者全員が分かるというものにはなりませんが、情報の垣根を知的障害者のみならず、ユニバーサルデザイン的に、社会の全員に少しでも低くするものにできればと願っています。

[注]

インターネットでは下記でご覧いただけます。
http://www.normanet.ne.jp/~jdf/shiryo/convention/
index.html

また、長瀬修・東俊裕・川島聡編著、2008年、『障害者の権利条約と日本-概要と展望』(生活書院)では、英語正文と政府仮訳、川島・長瀬訳を掲載しています。

長瀬修 (ながせ おさむ)

東京大学大学院経済学研究科 特任准教授
ウェブページ:
 http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~nagaseo/

2008年5月21日

障害というコトバ:メモランダム (川島聡)

今から30年以上も前になるが、1975年12月9日に「障害者の権利宣言」(Declaration on the Rights of Disabled Persons)が国連総会で採択された。これを受けて、「国際障害者年」(International Year of Disabled Persons)である1981年に、日本政府が12月9日を「障害者の日」と宣言したことは良く知られている。これと似て非なるものが、12月4日の「国際障害者デー」である。

「国際障害者デー」の英語名は、1992年10月14日に国連総会で採択された決議には、“International Day of Disabled Persons”と記されていた(A/RES/47/3, OP2)。しかし、それから15年後の2007年12月18日に採択された国連総会決議により、この英語表記は“International Day of Persons with Disabilities”に改称された(A/RES/62/127, OP15)。

このことは、“persons with disabilities”という表記が、国連で一般化されてきていることの証のひとつである。この表記は、2006年12月13日に採択され、2008年5月3日に発効した障害者の権利条約の英正文(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)でも用いられている。頭文字をとって、“persons with disabilities”はPWDと、障害者の権利条約はCRPDとそれぞれ省略されることがある。

なお、本条約の日本政府仮訳は、“persons with disabilities”を「障害者」と訳しているが、ここでは、「障害者」という邦語表記をめぐる論争には立ち入らないでおこう。

障害者権利条約には、「障害の定義」は設けられていない。その代わりに、「障害の概念」が設けられている(注1)。それは、前文(e)に次のように記されている。

“disability is an evolving concept and that disability results from the interaction between persons with impairments and attitudinal and environmental barriers that hinders their full and effective participation in society on an equal basis with others”

これを訳せば、「障害(ディスアビリティ)は形成途上の概念である。また、障害(ディスアビリティ)は、機能障害(インペアメント)のある者と態度上及び環境上の障壁(バリア)との相互作用であって、機能障害(インペアメント)のある者が他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものから生ずる」となる。

この複雑な文構造を簡単に3つの要素に分けて言えば、(1)「障害」(ディスアビリティ)は「形成途上の概念」である。(2)「障害」は、「機能障害のある者」(インペアメントのある者)とバリアとの相互作用から生ずる。(3)その相互作用は、「機能障害のある者」の平等な社会参加を妨げる。

前文(e)の英正文では、如上の引用部分にあるように、“disability”(ディスアビリティ)と“impairment”(インペアメント)とが使い分けられている。西正文も、“discapacidad”(ディスカパシダド)と“deficiencias”(デフィシエンシア)とに分けられている。仏正文も、“handicap”(アンディカプ)と“incapacites”(アンカパスィテ)とされている。

ちなみに、“handicap”(ハンディキャップ)という英単語は、英語圏では好ましくない表現と言われる場合がある。障害者の権利条約では、この英単語は用いられていない。この点、仏正文では、“handicap”(アンディカプ)という仏単語が使われているのが興味深い、と言う人がいるかもしれないが、この論点はとりあえず脇においておこう。

前文(e)の日本政府仮訳は、「障害が、発展する概念であり、並びに障害者と障害者に対する態度及び環境による障壁との間の相互作用であって、障害者が他の者と平等に社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものによって生ずる」とされている。この政府仮訳において、“disability”(ディスアビリティ)と“impairment”(インペアメント)とが使い分けられていないことに注意する必要がある。

なお、世界保健機関(WHO)の1981年「国際障害分類」の英語版(International Classification of Impairments, Disabilities, and Handicaps: ICIDH)では、“impairment”と“disability”と “handicap”という3つの英単語が使い分けられていた(それぞれの言葉の意味内容と相互関係をめぐる論点は省略する)。これら3つの英単語にそれぞれ該当する仏単語は、“deficiences”と“incapacites”と“desavantages”である。

「国際障害分類」の改訂版である2001年「国際生活機能分類」の英語版(International Classification of Functioning, Disability and Health: ICF)では、英語の“handicap” (ハンディキャップ)が軽蔑的意味を持つという理由で、この英単語は使われていない。ICFでは、“disability”が包括用語として用いられている。この“disability”に対応する言葉は、「国際生活機能分類」の仏語版(Classification internationale du fonctionnement, du handicap et de la sante: CIF)では“handicap”(アンディカプ)であり、日本語訳では「障害」とされている(注2)

  1. 障害者の概念は、次のように、障害者の権利条約第1条に設けられている。“Persons with disabilities include those who have long-term physical, mental, intellectual or sensory impairments which in interaction with various barriers may hinder their full and effective participation in society on an equal basis with others.” この部分の日本政府仮訳は、「障害者には、長期的な身体的、精神的、知的又は感覚的な障害を有する者であって、様々な障壁との相互作用により他の者と平等に社会に完全かつ効果的に参加することを妨げられることのあるものを含む」である。
  2. 障害者福祉研究会編『ICF 国際生活機能分類―国際障害分類改定版』中央法規出版 、2002年

川島聡 (かわしま さとし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員
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