学術創成 総合社会科学としての社会・経済における障害の研究
Research on Economy and Disability
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Research on Economy and Disability
学術創成 総合社会科学としての
社会・経済における障害の研究

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東京都文京区本郷7-3-1
東京大学大学院経済学研究科 READ
研究代表者 松井彰彦
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§入門・経済と障害の研究

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2010年4月25日

意識される/されない欲求 (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:23

さて,それでは今回はいよいよ「ゴキブリは入っていないコーヒー」の問題に挑んでゆきます.

ここでは前回用いたのと基本的には同じ設定を用います.つまり,「コーヒーは苦い」「オレンジジュースは甘い」「オレンジジュースは苦くない」そして「コーヒーはオレンジジュースではない」という制約によって構成された知識Kをもつエージェントを考えます.

コーヒー|-K苦い,
オレンジジュース|-K甘い,
オレンジジュース,苦い|-K
コーヒー,オレンジジュース|-K

ただしこのエージェントは,前回とは異なり「コーヒーが欲しい」という制約

|-DCコーヒー

を含む欲求DCをもつものとします.この制約はそして,与えられた2つの選択肢を比較することで喚起された欲求であるものとします.

この欲求DCには更にもう1つ「ゴキブリは入っていない方がよい」という制約が含まれるものとします.つまり,

|-DCゴキブリ無し

という制約です.この制約は,先の制約とは異なり,特に「ゴキブリ」と関わるタイプが示されることで意識される欲求であるとします.そして,それぞれの欲求において意識されている制約を明示するため,ここでは,意識に上っている制約に含まれるタイプを欲求の後に「|」を挟んで示すことにします.たとえば,欲求DCに含まれる制約のうち 「ゴキブリは入っていない方がよい」という制約と「コーヒーが欲しい」という制約のみが意識されている場合,この欲求を「DC|コゴ」で表します.

ここでは,更に「ゴキブリ」という言葉に関わる2種類の異なったタイプを区別します.1つは「実際にゴキブリが入っていないことをエージェント自身が確認した」ことを表すタイプで,これを「ゴキブリ無し」で表すことにします(これを「ゴ」と略記することにします).

もう1つは「ゴキブリは入っていない」と説明されていることを表すタイプです.つまり,誰かが「ゴキブリは入っていないとみなしている」ことを表すタイプをここでは,「ゴキブリ無し」と区別して「[ゴキブリ無し]」で表すこととします(これを「[ゴ]」と略記することにします).

たとえば,欲求DCに含まれている

|-DCゴキブリ無し

という制約は,この記法に従うなら,それゆえ「エージェント自身がゴキブリが入っていないことを確認した」ものが欲しいことを表していると考えることができます(つまり,いくら「[ゴキブリ無し]」であることが確認されたとしても,上記の制約が満たされることとは無関係である点に注意してください).

以上で設定が整いました.この設定のもとで,「ゴキブリは入っていないコーヒー」を嫌う行動を説明することができるようになります.具体的に確認してゆきましょう.

問題となる選択問題は,そして,以下のようなものでした.

選択問題1:aとbのどちらが飲みたいですか?
a:オレンジジュース
b:ゴキブリは入っていないコーヒー

これらの選択肢は,前々回確認したとおり,それぞれ以下の観察の対象OおよびOで表現することができます(ただし,上で説明したように,ゴキブリに関するタイプの書き方を少し変えましたので注意して下さい).

|=O オレンジジュース
1
|=O コーヒー [ゴキブリ無し]
1 1

ここではまず観察の対象 Oに注目します.観察の対象 Oが与えられた場合「コーヒーが欲しい」という制約のみが意識に上りますので,欲求は「DC|コ」という形でエージェントに意識されます.そして,この欲求DC|コの対象は以下で与えられます.

|=Cla(DC | コ) コーヒー
〈コーヒー〉 1

このとき,注意の範囲は以下のDに限られます.

D = {オレンジジュース,コーヒー}

ところで,知識Kには「コ-ヒーはオレンジジュースではない」という制約が含まれていましたから, 欲求 DC|コ,観察Oおよび知識Kから,以下の認識の対象CogO(K | D)が形成されます.

|=CogO(K | Da) オレンジジュース コーヒー
〈オレンジジュース〉 1 0

ここから,観察の対象Oと欲求の対象 Cla(DC|コ)の間には,認識の対象CogO(K | Da)を媒介したタイプ同一的なチャンネルは形成されないことが確認できます.これは,認識の対象CogO(K|Da)が「コーヒーではない」トークンのみによって構成されているのに対し,欲求の対象 Cla(DC|コ)が「コーヒーである」トークンのみによって構成されていることによります.

イメージ

次に,観察の対象Oに注目します.Oが与えられた場合,この観察は「コーヒー」と「[ゴキブリ無し]」というタイプをもちますので,欲求は今度は「DC|コゴ」という形で意識されます. そして,この欲求DC|コゴの対象は以下で与えられます.

|=Cla(DC | コゴ) コーヒー ゴキブリ無し
〈ゴキブリ無しコーヒー〉 1 1

すでに確認したとおり,ここでは観察および欲求の対象にそれぞれゴキブリに関係するタイプが含まれていますので,このときの注意の範囲は以下のDで与えられます.

D={コーヒー,[ゴキブリ無し],ゴキブリ無し}

ところで,知識 K はゴキブリに関係する制約を1つも含みません.これはたとえばエージェント自身が 「ゴキブリが入っていないと書かれているからといって 「本当に」ゴキブリが入っていないとは限らないよなぁ」 と考えているものと解釈することができます.つまり,「[ゴキブリ無し]」であることがわかっていても 「ゴキブリ無し」であるとは限らない,とこのエージェントは考えているのです.以上より,欲求 DC|コゴ,観察Oおよび知識Kから,以下の認識の対象 CogO(K|D)が形成されることが分かります.

|=CogO(K | Da) コーヒー [ゴキブリ無し] ゴキブリ無し
〈[ゴ]ゴコ〉 1 1 1
〈[ゴ]非ゴコ〉 1 1 0

ここから,観察の対象Oと欲求の対象Cla(DC | コゴ)の間には,認識の対象CogO(K|Da)を媒介したタイプ同一的なチャンネルは形成されないことが確認できます.これは,欲求の対象Cla(DC | コゴ)が「ゴキブリが入っていない」ことが確認されたトークンのみによって構成されているにもかかわらず,認識の対象CogO(K|Da)にはそのことが確認できないトークンが含まれてしまっていることによります.

イメージ

さて,困りました.どちらの選択肢も,ここで考えた「(ゴキブリは入っていない)コーヒーが欲しい」という欲求を満たしてはくれないようです.というのも,選択肢aはコーヒーではありませんし, bは(ゴキブリは入っていない)といういわば暗黙の前提を満たしているのかどうか確信がもてないからです.

こんなとき,わたしたちはいったいどうやって選択肢を絞り込んでいるでしょうか?サイコロを振るのもよいかもしれませんし,誰かに決めてもらうのもよいかもしれません.この場合にはしかし,もう少しよい方法があるように思えます.つまり,欲求をある程度諦めることで選択肢の間に差をつけられるようになる場合があるからです.このような対処策をわたしたちは,そして「欲求の段階」という構造を導入することで表現します.次回は,この「欲求の段階」がどのように機能し,どうやってこの問題を解決することになるか検討してゆきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2010年3月25日

選好の形成(2) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:22

前回わたしたちは,選好が形成される仕組みを定式化するために,まず,欲求,知識,観察という3つの構造を導入しました.そして,それらの構造によって構成される「対象」を分類を用いて表現し,ある観察の対象が欲求の対象と認識を媒介して接続されるとき(つまり,認識の対象をコアとしたチャンネルによって接続されるとき),この観察の対象は「欲求を満たす」とよぶことにしたのでした.今回は,そして,この「欲求を満たす」という表現を用いることで,観察された対象の間に選好を形成する仕組みを導入します.

最初に結論から書くと,この仕組は非常に簡単なものです. それは「欲求を満たす」という表現そのものから自然に思い浮かべられるとおり,「欲求を満たす」対象を「欲求を満たせない」対象よりも選好する, という具合に定義されます. もう少し正確に言うなら,ある観察の対象Aが満たすことのできる欲求を 他の観察の対象Bがやはりすべて満たすことができるとき 「BはAより選好される」と定義されます(選好がここで複数の欲求を前提して定義されているのは次の理由によります.つまり「欲求の段階」という構造を表現するためには複数の欲求を同時に考える必要が出てくるのです.「欲求の段階」が問題になる例については次回以降検討することになります).

前回の例に戻って,具体的に確認してみましょう.前回わたしたちは,「オレンジジュース」として観察された対象Oと 「コーヒー」として観察された対象Oの2つを検討しました. そして,「コーヒーは苦い」「オレンジジュースは甘い」「オレンジジュースは苦くない」更に「コーヒーはオレンジジュースではない」という制約を知識としてもつエージェントを考え,この知識の構造にしたがってこれらの観察の対象が「欲求を満たす」かどうか確認したのでした.

O については,そして,認識の対象CogO(K|Da)を媒介した以下の図式で表されるチャンネルが欲求の対象Cla(D)との間に形成され「欲求を満たす」ことが確認されました.

イメージ

これに対しOについては,以下の図式に示される通り,認識の対象CogO(K|Db)を媒介したチャンネルが欲求の対象 Cla(D) との間に形成されません.このことからO は「欲求を満たせない」ことが確認されたのでした.

イメージ

以上より,この2つの観察の対象の間に,以下の選好関係≦〈O,K,D〉が形成されることが分かります.

O〈O,K,D〉O

つまり,「オレンジジュース」であるO は「甘いものが欲しい」という欲求Dと「オレンジジュースは甘い」とみなす知識Kのもとで「コーヒー」であるOより選好されることがこの選好関係によって表現されているのです(選好関係≦の右下に付された添字〈O,K,D〉がこのことを示しています).

ところで,この選好関係は,観察O={O, O},知識K欲求Dの3つの構造のもとで形成された限定的な秩序にすぎない点にここで留意しておきましょう.というのも,この選好関係は与えられた観察,知識,欲求のうちのどれか1つでも構造が変わればその関係が変化する可能性に開かれているからです.具体的に確認してみましょう.

たとえば欲求が「コーヒーが欲しい」という制約のみを含むD'に変わった場合を考えてみましょう.このとき,OとOの間に形成される選好関係は逆転します.というのも,知識Kは「コーヒーはコーヒーである」という自明な制約を含みます.このため「コーヒー」として観察された対象Oと欲求の対象Cla(D')との間には,認識の対象を媒介したチャンネルが形成されます.ここから Oが欲求D'を満たすことを確認することができます.

これに対しOはD'を満たすことはできません.というのも知識Kは「コーヒーはオレンジジュースではない」という制約を含みました.この

コーヒー,オレンジジュース|-K 

という制約は「オレンジジュースはコーヒーではない」と解釈することもできます.このため 「オレンジジュース」として観察された対象Oと欲求の対象Cla(D)との間に 認識の対象を媒介したチャンネルは形成されず,Cla(D')との接続が形成されないからです. そして,以上の2点から,先程とは逆転した以下の選好関係≦〈O, K, D'〉が形成されるのです.

O〈O, K, D'〉O

このように,ここで構成された選好関係は,観察,知識,そして欲求の何らかの変化に応じて その構造が変わる余地に開かれていることが分かります (ここでは欲求の変化しか扱いませんでしたが,知識や観察のされ方の変化が選好の形成に影響を及ぼすだろうことは,この例だけからも十分に推測できるだろうと思います).この余地が存在することが,そして,ちょっとした環境の変化や些細な情報の有無に左右され,一見非単調に見える変化すら容易にひきおこすわたしたち自身の選択行動を 「合理的」に説明する可能性を切り開いてくれるのです.

ここで最後に,対象と情報射の表現の仕方を整理する新たな方法を導入しておきたいと思います.わたしたちは前回と今回,分類と情報射の内部の構造を無視した単純な図式を用いました.次回以降はそして,これらの図式をさらにまとめた,以下の方式を採用することにします. つまり,観察,認識,欲求の全ての対象と,その間の情報射全てを1つにまとめて表記した図式です.以下で図示されるこの図式を,とりあえずここでは「認識の圏」と呼ぶことにします.

イメージ

次回は,いよいよ「ゴキブリは入っていないコーヒー」の問題に挑みます.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2010年2月25日

選好の形成(1) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:21

わたしたちは前々回,わたしたち自身の認識(必ずしも単調性を満たすとは限らない認識)を表現するための枠組みとして,表象システムを導入しました.この表象システムを用いることでわたしたちは,この連載の当初の目的であった,「ゴキブリは入っていないコーヒー」において観察される選好の変化,および,「障害」の概念の使用において観察される概念の「緩さ」を記述する枠組みを提示してゆきたいと思います.今回は,選好の変化を記述するための準備として,次回と2回に分けて,ある種の認識作用の結果として選好が形成される仕組みを表象システムを用いて定式化してゆきたいと思います.

わたしたちはこれまで,オレンジジュースとコーヒーの例を用いることで,わたしたち自身がどちらを「欲しい」と判断するか,という認識のあり方を確認してきました.他方で選好とは,この連載の第2回にも確認した通り,財などの選択肢の間の「好み」を表現した数学的な概念でした.わたしたちはこれまでこの連載において両者をとりたてて区別してきませんでしたが,今回からこの両者を明確に区別します.つまり,特定の欲求からある認識作用を媒介として形成される構築物として選好を捉え直すのです.

わたしたちがこれから前提にするのは,以下の3つの構造です.すなわち,欲求,知識,観察の3つがそれです.そして,これらの3つの構造の間の相互作用によって選好関係が形成される,と考えるのです.大雑把にまとめるとこういうことです.つまりまず,観察されたある対象が,知識を媒介として,欲求された対象と結びつけられるとき,この対象は「欲求を満たす」とよびます.このときそして,この対象は「欲求を満たす」ことができない他の対象よりも選好される (そのような選好関係が形成される)と考えるのです.

具体的に考えてみましょう.ここでは連載第2回で検討した以下の選択問題を考えます.

選択問題1:aとbのどちらが飲みたいですか?
a:オレンジジュース
b:ゴキブリは入っていないコーヒー

ここで与えられた選択肢を,まず,それぞれ異なった「観察」によって表現します.つまり,選択肢aについては,以下の観察Oによって,

|=O オレンジジュース
1

選択肢bについては,以下の観察Oによって,

|=O ゴキブリは入っていない コーヒー
1 1

それぞれ表現します.これらの観察を,それぞれ観察された対象とよびます.

次に,これらの観察された対象が満たすべき「欲求」を導入します.この欲求をわたしたちは,そして,理論によって表現します.たとえば「甘いものが欲しい」という欲求Dを表現するために, わたしたちは,以下の制約を用います.

|-D 甘い

つまり,{甘い}というタイプの集合の上に定義された理論D=〈{甘い},|-D〉によって,欲求を表します.そして,この欲求の構造をもとにして,この欲求が指し示す対象を,以下のような分類Cla(D)によって与えます.

|=Cla(D) 甘い
〈甘いもの〉 1

この分類のトークンである〈甘いもの〉は,この欲求Dの制約を満たす全てのトークンによって構成される分類であることに注意してください.このように,ある理論T(正確にはTの正則閉包)から,その制約を全て満たす全てのトークンによって構成される分類を一般に,理論Tの対象と呼び,Cla(T)で表します.

最後に「知識」です.わたしたちは知識を,欲求と同様に,理論によって表現します.つまり,たとえば「コーヒーは苦い」「オレンジジュースは甘い」「オレンジジュースは苦くない」そして「コーヒーはオレンジジュースではない」と考えているエージェントの知識を,以下の制約を含む(最小の正則な)理論 K =〈{コーヒー,オレンジジュース,苦い,甘い},|-K〉によって表現します.

コーヒー |-K 苦い,
オレンジジュース |-K 甘い,
オレンジジュース,苦い |-K
コーヒー,オレンジジュース |-K

なお,わたしたちは以下で,エージェントは必ずしも知識の全ての制約を思い浮かべているわけではないものとします.つまり,限られた注意の範囲のもとで意識される制約のみを考えるものとします.具体的には,たとえば欲求されるタイプ「甘い」と観察されたタイプ「オレンジジュース」のみに注意の範囲が絞られている場合,この範囲を便宜的に

Da={甘い,オレンジジュース}

というタイプの集合で表します.そして,その範囲に含まれるKの制約のみで構成される知識(の正則閉包)を「K|Da」で表記し,「K の注意の範囲が欲求Dと観察Oに制限された知識」と呼ぶことにします.また,この知識には,上記のKの制約のうち,以下の制約のみが含まれる点にも注意してください.

オレンジジュース|-K|Da甘い.

知識に関連して,最後に,知識から形成される特殊な分類を導入しておきます.欲求の場合同様,まず知識K|Daから形成された対象Cla(K|Da)を考えます.これは,以下で与えられます.

|=Cla(K|Da) オレンジジュース 甘い
〈甘いオレンジジュース〉 1 1
〈甘い非オレンジジュース〉 0 1
〈甘くない非オレンジジュース〉 0 0

この分類Cla(K|Da)から,次に,観察の対象Oと同じタイプをもつトークンのみを抜き出します.このようにして構成された分類を以下ではCogO(K|Da)で表し,欲求D,観察O,および知識Kから形成された認識の対象と呼ぶことにします.ところで,Oのトークンは「オレンジジュース」のみをタイプに持ちましたから,ここでの認識の対象CogO(K|Da) は以下で与えられることになります.

|=CogO(K|Da) オレンジジュース 甘い
〈甘いオレンジジュース〉 1 1

ところで認識の対象には,観察と欲求の範囲内で知識の制約と整合的なトークンのみが含まれています.このような意味において,この対象を,ある限定された範囲で知識の構造を表現した分類と考えることができます.この分類を,特に認識の対象と呼ぶのは,このような理由によります.

さて,以上の道具立てを用いることで,どの選択肢が「欲求を満たす」ことができるか表現することができるようになります.ここでは「甘いものが欲しい」という欲求Dを抱いているときに 選択問題1を与えられた状況を考えてみましょう.選択肢aを提示されたとき,知識はまずDa の範囲に制限されると考えることができます.つまり,「甘いものが欲しい」という欲求と,観察によって与えられた「オレンジジュース」というタイプにのみ 注意が絞られるような状況です.

Daに注意の範囲が制限された知識は,K|Daで表されました.そして,この知識から,上に示した認識の対象CogO(K|Da)を形成することができます.このとき,観察の対象Oと,欲求の対象Cla(D)の間に,認識の対象CogO(K|Da)をコアとした(同じタイプ同士を対応させる)チャンネルを形成することができます.このチャンネルは,以下の図式で表現することができます(ただし「オレンジジュース」を「オレ」と略記している点に注意してください).

イメージ

このチャンネルのもとでは,観察された対象aが 「オレンジジュースは甘い」という知識の制約から形成された認識の対象CogO(K|Da)を媒介して,「甘いもの」である欲求の対象 Cla(D)に接続されていることが確認できます.つまり,認識を通じて形成されたこのチャンネルを通じてこのエージェントは,「オレンジジュース」として観察された対象Oを 「甘いもの」として認識することができているのです.そして,このように,観察の対象が認識を通じて形成されたチャンネルを通じて欲求の対象と接続されるとき,この観察の対象は「欲求を満たす」と言うことにします.

このチャンネルは,また,それぞれの分類の内部の構造を無視することで,以下の簡単な図式で表現することもできます.

イメージ

次に,同じ選択問題で与えられた,もう一つの観察の対象であるOについて考えてみましょう.ここでエージェントの注意の範囲は,やはり同じく欲求されるタイプ「甘い」に加えて,選択肢bによって観察されたタイプ「コーヒー」によって構成されると考えることができます.この範囲をここでも便宜的に

Db={甘い,コーヒー}

というタイプの集合で表すことにします.エージェントの認識は,この場合それゆえ,Dbに範囲を制限された知識K|Dbによって形成されることになります.

ここで注意すべき点は,知識 K が,「甘さ」と「コーヒー」というタイプの間に些細ではない制約を1つも含んでいない点にあります.このため,知識K|Dbから形成される認識の対象CogO(K|Db)は,以下の通り,2種類のトークンを含むことになります.

|=CogO(K|Db) コーヒー 甘い
〈甘いコーヒー〉 1 1
〈甘くないコーヒー〉 1 0

そして,認識の対象CogO(K|Db)がトークンを2つ含むため,Oの場合とは対照的に,観察の対象Oと欲求の対象Cla(D)の間にチャンネルを形成することはできません.つまり,同じタイプ同士を対応させるチャンネルを形成しようとしても,〈甘くないコーヒー〉を対応させるための適切なトークン(情報射の条件を満たすトークン)が欲求の対象 Cla(D)の中には存在しないため,Cla(D)からCogO(K|Db)への情報射を形成することができないのです.この様子を,ここでは以下の図式で表現してみました(ただし,ここでは「コ」で「コーヒー」を,「非甘」で「甘くない」をそれぞれ略記している点に注意してください).

イメージ

このように,観察の対象と欲求の対象の間に認識を媒介したチャンネルが形成できないとき, この観察の対象は「欲求を満たすことができない」と言うことにします.なお,この図式も,それぞれの分類の内部の構造を無視することで,以下のような簡単な図式で表現することができます.

イメージ

分類の内部の構造を無視した2つの図式を比較してもらえば分かるように「欲求を満たす」ことができるか否かの違いが,ここでは,欲求の対象からの情報射の有無によって区別されています.認識を通じて形成される選好の構造を捉える際,情報射のこの有無が大きな役割を果たすことになりますので注意しておきましょう.

今回は,欲求,知識,観察の対象をそれぞれ与えることで,「欲求を満たす」ということを形式的に表現する方法を確認してきました.次回は,この表現を用いることで認識から選好が形成される仕組みを確認してゆきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2010年1月25日

概念の使用 (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:20

前回わたしたちは,表象システムを導入しました.この枠組を用いることでこれから,この連載の最初に提示した問題「緩い概念」という問題に1つの形式的な表現を与えてゆきたいと思います.

ところで,わたしたちが「緩い概念」という問題に着目したそもそものきっかけは,障害という概念のあり方にありました.つまり,障害という概念を有意義に捉えようとするとき,その働きの「緩さ」を無視することはできない,というのも「緩さ」というこの特徴を通じてこそ,障害という概念に特徴的な働きのひとつが示されているからである,と考えたからでした.

たとえば「障害とはなにか?」という問いを考えてみましょう.わたしたちは多くの場合この問いに対し,現在直面している状況をうまく説明できる答えが得られればそれで当面満足し,それ以上この問いを深く突き詰めて考えようとはしないだろうと思われます.つまり「唯一の正しい答え」が得られることを,この問いに対してそもそも期待してはいないように思われます.

と同時にわたしたちの多くは,にもかかわらずこの問いを問うこと自体を無意味な行為だとはみなさないだろうことも確かだと思います.つまり,たとえ誰もが納得する「唯一の正しい答え」が得られないとしてもなお,それを問うことに意義を見出しうるようなものとして 「障害とはなにか?」という問いはあるのです.そして,このような問いを誘発せずにはおかない点にこそ「障害」という概念の特徴的なはたらきのひとつが示されていると考えることができるでしょう.

概念の「緩さ」を考えることは,そして「障害」という概念のこのような働きを捉えようとするとき, おそらく不可欠になります.というのも「障害とは何か?」といった問いは,多くの場合,対象との対応関係を改めて問い直すものとして提示されるからです.たとえば,これまでそれを「障害」であるとは考えたこともないような経験の存在に気づくこと,あるいは逆にこれは典型的な「障害」だろうと思っていたことが実は単なる思い込みであったらしいことに気づかされること, このような変化をもたらす契機としておそらく「障害」という概念は機能しているのです.

ところで,わたしたちが概念の緩さを考えるうえで注目したもう1つの構造に選好がありました. つまり,わたしたち自身の選択行動を適切に表現しようとするとき 「コーヒー」や「オレンジジュース」といった概念のもつ「緩さ」が やはり問題になるということを,たとえば推論の非単調性という問題を通じて 確認してきたのでした.

一見すると「コーヒー」や「オレンジジュース」という概念のあり方は「障害」と大きく異なるようにも思えます.たとえばそれは「H2O」といった概念と同じ「硬さ」を持つようにも思われます.というのもまず第一にこれらの概念は,だれもが納得するような対象を 目の前に置き,指差すことができるように思えるからです.実際わたしたちは「障害とはなにか?」とは問うても「コーヒーとはなにか?」と問うことはまれでしょう.万が一聞かれたとしても,目の前にコーヒーを置いて, それを指差し「これがコーヒーです」と答えればことは済むようにも思われます.

しかし問題はそう単純ではありません.すでに繰り返し確認してきたとおり,わたしたちはどのようなコーヒーでも「コーヒー」であるとみなすとは限らないからです.たとえば「コーヒー」が欲しいと思っている人に ゴキブリの入ったコーヒーを差し出しても満足されないでしょう. あるいは逆に「ゴキブリは入っていません」と但し書きしてしまうこともまたかえって逆効果であるに違いありません. そして,先のような単純な指差し行為だけでは 「コーヒー」という概念の使用に関して前提されるこのようなニュアンスを伝えることはできないのです.つまり,ただ「コーヒー」なるものを指示するという行為自体にも それぞれの文脈に応じて既に複雑な要因が作用しているにもかかわらず,あたかもそのような複雑さが存在しないかのように錯覚する程度に, その「緩さ」はこれらの概念の使用において根深く前提されてしまっているのです(そしてこの「緩さ」は,程度の差こそあれ,それが使用される限りにおいて「硬い概念」においても前提されざるを得ない点にも注意が必要です).

そして,まさにこのような錯覚においてこそ,わたしたちの用いる概念の「緩さ」の,より重要な働きが示されていると考えることができるのです.つまり,概念の使用そのものによってもたらされる実践的な作用とでも言うべき機能がそれです.

もし「コーヒー」にゴキブリが入っていてはいけない,という条件だけが求められるのであれば話は簡単です. すべてのコーヒーを確認して「ゴキブリは入っていません」 というラベルを貼ればよいだけだからです.重要な点はむしろ「ゴキブリは入っていない」と但し書きしてはいけない, という点にあります.というのもそれは「ゴキブリが入っているかもしれない可能性」を意識させてしまうからです.つまりわたしたちは単に「ゴキブリは入っていない」ことだけを求めているのではなく 「ゴキブリが入っているかもしれない可能性」の存在そのものをそもそも意識せずにいられることを欲しているのです.

このような欲求は,それでは,どうすれば実現できるでしょうか?答えは簡単です. ゴキブリの存在そのものを消し去ればよいのです. 実際,ゴキブリがいなくなれば 「ゴキブリが入っている可能性」など気にとめる必要もなくなりますし,「ゴキブリは入っていません」と,わざわざ断る必要もなくなるからです.つまり,「ゴキブリは入っていない」ことだけではなく, そう但し書きされてすらいないようなあり方として「コーヒー」なる概念を用いること, このことは,ゴキブリの存在しない世界のあり方そのものを相手に対し求め,働きかけることを含意していると考えることができるのです.

もちろん,この世界からゴキブリの存在そのものを消し去ることなどできようはずもありません (し,たとえできたとしてもすべきではないでしょう).しかし,それをあたかも存在しないかのように目の前から消し去る程度のことならできるでしょう.そしてその試みは,少なくともわたしたちの生活環境に関する限り,十分に成功しているように思われます.実際わたしたちは,多くの場合ゴキブリが入っている可能性に心煩わされることなくコーヒーを楽しむことができているはずです.

さて,ここで本題に戻りましょう.わたしたちは「コーヒー」という概念の含む「緩さ」を検討することで,その機能の実践的な側面を確認してきました.同様の機能は,そして,「障害」という概念の使用においても確認できます.あるいはむしろ,「障害」という概念においてこそ, それはより本質的に機能していると考えることができるでしょう.

たとえば本連載の第1回目に確認した例を思い出しましょう.ここでS(筆者をここでは便宜的にSと書くことにします)は,鏡のないエレベーターに乗ることが車椅子を利用している人にとっては障害の経験になりうることを,Nの指摘を通じて理解することができたのでした.Nに指摘されるまでSは,そして,鏡のないエレベーターに乗ることが障害たりうるなどということを 想像すらしたことがなかったと言えるでしょう.というのもSの周りには,そのような経験をしている親しい知人が,それまで一人もいなかったからです.つまり,Sの生活環境に,そのような経験は存在しなかったのです.

しかしそのような経験は確かに存在します.Nは,そして,Sが想像だにしなかったそのような経験が現に存在し,そのような経験を強いられている人が存在する事実を,Sに指し示したのです.このときSは,自分がそのような経験の存在に気づいてこなかった事実に気付かされるだけではなく,次のような事実にも思い当たらされます.この事実に気づいていなかったのはおそらく自分だけではない,という事実です.というのも,誰もがこの事実に気づいているのであれば,鏡のないエレベーターなど,そもそもこの世に存在するはずがないからです.

「障害」という概念が機能するのは,そして,まさにこのような場面においてなのです.Nが強いられている障害の経験は,既に確認したとおり,建物の設計にかかわった人々が車椅子を利用する人々の生活を想像できなかったことによって準備され,生み出されると考えることができるでしょう.つまり,特定の経験に対する無知と想像力の欠如こそが障害を生み出す原因になっていたのです. そして,このような経験そのものを浮かび上がらせる概念として「障害」はまず第一に機能するのです.

「障害」なる概念の機能は,しかし,これだけには留まりません.無知によって生み出されるこのような経験として「障害」を使用するとき,わたしたちは「障害」の経験の具体的な対象を1つ知る以上の事実に向き合わされることになるからです.すなわち,他ならぬわたしたち自身がこの「障害」の経験を これまで知らずに生活していることが可能であったという事実に,です.

この事実は,わたしたちの単なる無知以上のことを意味します.つまりそれは,わたしたちが「ふつう」に生活している限り,誰かが現に経験しつつある「障害」を知らずにいることが可能であること,を示しているからです(実際Sは,Nに指摘されるまでこの障害の経験に気付かずにいることができていましたし,鏡のないエレベーターも現に存在し続けています).これまで何の不自由も感じずに利用してきた環境が,誰かの不利益になりうる, この事実を知らなかったという事実が確かに存在する.ここに,「わたしたちがまだ知らない「障害」の経験が存在しうるだろう」 という,第3回にSが抱いていた感覚が具体的な根拠をもつことになるのです.そして,このような感覚に根拠を与えることこそが 「障害」という概念を具体的に使用することの果たすもう1つの重要な働きなのです.

今回わたしたちは,概念の使用を通じてもたらされる機能の2つの対照的な側面を確認してきました.一方は,ある対象の存在を隠蔽するように働き,他方は,存在しないことにされている対象の存在を明るみに出すように機能するものでした.対照的に機能する両者にも,しかし,共通していることが少なくとも1つあります.それは,概念を使用することそれ自体が, わたしたちの世界のあり方そのものを規定し,形成するという事実です.つまり,前者においてはある対象が存在しないように,後者においては隠蔽された経験の存在を可視化するように,それぞれ世界のあり方そのものが形成されていると考えることができるのです.

あらゆる概念は程度の差こそあれ「硬く」もあり「緩く」もあります.もし概念が「硬い」ものとして前者のように使用されるならば,その限りで,その対象は世界において隠蔽され続けるでしょう.しかし同時に,隠蔽されているこの対象を世界の明るみの下に引き出すのもまたこの同じ概念なのです.この概念の「緩い」使用こそが,それを可能にするのです.

このような視点に立つときわたしたちは,そして,「障害とは何か?」という問いに「唯一の正しい答え」が得られないとしてもなお,それを問うことに意義を見出しうるものとわたしたちがみなしている理由を理解するひとつの解釈を得ることができます.つまり,このような問いを問うことでわたしたちが問うているのは,おそらく,わたしと他者がともに生活する世界のあり方そのものなのだ,という解釈がそれです.

わたしたちの暮らす世界が,特定の人々だけを暗黙のうちに排除するようになってはいないか?わたしたちの理解は,これらの経験を十分に捉えられているだろうか?このような問いを問うことを通じて わたしたちは「障害」の概念のあり方を絶えず変化させ続けていると考えることができるでしょう.そして,「障害」の概念をこのように具体的に使用する事を通じてわたしたちは,世界のあり方そのものをわたしたち自身にとって「よい」と納得できるものへ変えていこうとしているのだろうと思われます.

もちろん,わたしたち自身にとって「よい」と納得できるものは,あらかじめ与えられたものではありません.それは,わたしと他者との関わりの中から探り当て,形成してゆくしかないものでしょう.このような営みの一つとして,また「障害とは何か?」という問いもあるはずです.

と同時に,この問いは常に特定の文脈において問われざるを得ないため,そこから得られる答えが場当たり的なものにならざるを得ない点にも注意が必要です.その答えが,別の文脈に照らして判断するとき不適切な思い込みを含みえてしまうということもまた,それを「緩い」ものとして使用する限り,避けることのできない可能性だろうと思われます.「障害」の概念のあり方そのものが世界のあり方を規定し,形成するものであることを考えるならば,更に,この問いに対する答えそのものが,逆にある特定の人々を排除する結果を生み出すことすらあるでしょう. そして,そのような危険を予め知ることは,わたしたちが「ふつう」に暮らしている限り,多くの場合できないのです.

「障害とは何か?」という問いが「唯一の答え」を持つことがありえず,終りを迎えることもありえない理由の1つは,おそらくここにあります.つまりその問いは,不適切な思い込みを含まない答えの存在を確証できないため,既に得られた答えそのものに対し,絶えず, 同じ問いを繰り返し問い直すことを強いるのです.その問いが問い直されるごとに,そして,わたしたちが当たり前に前提している「よい」もまた揺さぶられるのです.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2009年12月25日

表象システム(3) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:19

準備は整いました.今回はいよいよ,表象システムを具体的に構築してゆきたいと思います.

表象システムは,形式的には以下のように定義されます.

Ch を分類Cをコアとした2つの分類AとBの間のチャンネルとする. つまり,Ch は分類AからCへの情報射 f と BからCへの情報射 g によって構成される情報射の集合とする (第7回に確認したとおり,チャンネルの左に置かれた分類(ここではA)をソース, 右に置かれた分類(ここではB)をターゲット,とそれぞれよぶ). 更に L をCを分類として含み Cのタイプを注意の範囲とする理論によって構成される局所論理とする (このような局所論理を,C上の局所論理とよぶ). このとき,このチャンネル Ch および,局所論理 L によって構成される対 R = 〈Ch, L〉を表象システムとよぶ.

チャンネルの説明を加えているためにやや長くなっていますが,局所論理の構造をもつチャンネルというのが表象システムの正体です. 局所論理をもつことによって表象システムは,そして, 個々の表象作用の「適切さ」を判別することを可能にします.つまり,表象作用を形成するコアのトークンがノーマルであるか否かに従って,それらの表象作用が「適切」であるか否かを判別することを可能にするのです.

表象システムのこの働きを具体的に確認するため,前々回(第17回)に検討した例を,ここでもう一度思い起こしましょう.わたしたちはここで「コーヒー」の概念から形成される表象作用を確認したのでした.つまり,「香ばしい香り」と「苦味」のある「飲み物」それが「コーヒー」だ,という内包をもつ以下の概念をまず考えます.

〈{coffee},{コーヒー,香ばしい香り,苦味,飲み物}〉

そして,この概念から形成される分類を用いることで,いくつかの表象作用を確認したのでした.

前々回に問題になったのは,以下の表象作用の例でした.つまり,この「コーヒー」の概念によって,それが「ゴキブリ入り」であるか否かを表象しようとする場合です.「コーヒー」の概念から得られる分類は,以下で与えられていました.

|=CFC コーヒー 香ばしい香り 苦味 飲み物 ゴキブリ入り
coffee 1 1 1 1 1 1
coffee 0 1 1 1 1 0

そして,このような分類をコアとしてチャンネルを形成する限り,わたしたちは「ゴキブリ入りのコーヒー」を暗黙のうちに排除しているわたしたち自身の認識を 適切に表現することができないのでした.というのも,この表象作用の下では,「コーヒー」をタイプに持つトークンが「ゴキブリ入り」のトークンに接続されてしまうからです.この表象作用は,以下の簡略化されたチャンネルによって確認することができます(具体的には,ソースOのトークンzと,ターゲットI'のトークンmが接続されていることによってこの表象作用の存在を確認することができます).

イメージ

この表象作用は,ところで,本連載の第16回に登場したロジシャンの指摘と同じ可能性を指し示していることが分かります.すなわち,

でも,ゴキブリ入のコーヒーも,コーヒーですよね?
なんで欲しくないんですか?

という指摘です.ここでは「欲しい」かどうかは問題にしていませんから,後半部分は関係ありません.関係するのは前半です.つまり,「ゴキブリ入りのコーヒーも,コーヒーですよね?」という部分がそれです.「コーヒー」の概念そのものは,上で例示した表象作用において既に確認したとおり, それが「ゴキブリ入り」である可能性を否定しません.先のロジシャンの指摘も,そして,まさに このような可能性の存在を指し示したものでした.つまり,両者は同じ可能性を指し示していると考えることができるのです.

しかしわたしたちは,このようなロジシャンの指摘を,なかなかに飲み込めないものとして違和感を感じていたのでした.それは,やはり16回に確認したわたしたち自身の素朴な判断から導出される制約によって表現することができます.すなわち,「コーヒーにはふつうゴキブリは入っていないでしょ?」という制約です.

コーヒー,ゴキブリ入り|-T

わたしたちはふつう 「コーヒー」に「ゴキブリ」が入っている可能性を思い浮かべることはありません.それはおそらく,そのようなことが多くの場合起こらないことによると考えることができるでしょう.つまりこの制約は,その可能性を現実に突きつけられるまでは多くの場合注意の範囲に入ってこないような(しかし,そうなっていることがあたりまえに満たされていることが求められているような)そういった類いの制約であると考えることができます.ロジシャンによって指し示された推論や概念の働きは,そして,このようなわたしたちの日常的な判断を考慮してくれません.これが,恐らくこの違和感の大きな要因の1つをなしていると考えることができるでしょう.この制約は,そして,概念や古典的な推論の働きに対するこの違和感を表した制約として解釈することができるのです.

さて,それではこの制約のみを含む理論Tと,「コーヒー」の概念から形成された分類CFC によって,局所論理を構成してみましょう.この局所論理Lは以下で与えられます.

1.分類: CFC = 〈{coffee 1, coffee 0}, {コーヒー,香ばしい香り,苦味,飲み物,ゴキブリ入り}, |=CFC
2.理論: T = 〈{コーヒー,香ばしい香り,苦味,飲み物,ゴキブリ入り}, |-T
3.ノーマルトークン: N = {coffee 0}

一目見れば分かるとおり,この局所論理Lの下では「コーヒーにはゴキブリが入っている」という表象作用を実現するトークン「coffee 1」がノーマルトークンには含まれていません.これは正に,このトークンが「コーヒーにゴキブリは入っていない」という制約を満たさないことによります.これに対し,この制約を満たすトークン「coffee0」はノーマルトークンに含まれています.つまり,この表象システムの下では「ゴキブリ入りのコーヒー」と「ゴキブリの入っていないコーヒー」という2つの表象作用が,ノーマルなトークンによって接続されているか否かという基準に従って互いに区別されていることが確認できます.

表象システムにおいては,このように,接続するトークンがノーマルであるか否かに従って,表象作用が区別されます.この区別に従って,そして,表象の「適切さ」を以下のように定義することができます.

ソース A のトークンを,表象システム R =〈Ch, L〉 の表象とよぶ. ソース A のトークンが,コア C のトークン c を媒介してターゲット B のトークン b と接続されているとき, a を b の表象とよぶ. 更に,c が L のノーマルトークンであるとき, a を bの適切な表象とよぶ.

表象システムRの例に戻って考えてみましょう.局所論理Lのノーマルトークンである「coffee0」によって接続されているのは「コーヒー」であるトークンzと「ゴキブリ入り」ではないトークンnでした.このため,トークンzは,この表象システムRのもとでトークンnの適切な表象になっていることが分かります.これに対しトークンzは,ノーマルではないトークン「coffee 1」によって「ゴキブリ入り」のトークンmに接続されています.このため zはトークンmの適切な表象にはなっていないことが分かります.

表象の適切さに従ってなされたこの区別は,そして,わたしたちの日常的な感覚に照らしても,妥当であると考えることができるでしょう.というのもここでは「コーヒーにゴキブリは入っていない」という あたりまえな感覚と整合的な表象作用のみが適切なものとみなされ,「コーヒーにはゴキブリが入っている」というあたりまえではない表象作用から区別されているからです.

もちろん,この結果は驚くべきことでも何でもありません.というのも,それぞれの表象が「適切」であるか否か判断するためにここで導入したのが,そもそも 「コーヒーにゴキブリは入っていない」という,わたしたち自身の日常的な感覚を表現した制約であったからです.ですからこの結果そのものは,あたりまえの感覚に従ってあたりまえに導出されたあたりまえの帰結に過ぎません.

重要なのはむしろ,2つの異なった認識作用がここでは1人のエージェントの認識作用として記述されている点にあります.つまり,理論によって表現されたわたしたち自身のあたりまえな認識作用と,チャンネルによって表現された概念による形式的な認識作用,の2つです.2つの異なった認識作用を同時にもつものとして1人のエージェントを記述するこのような枠組みそのものが,そして,わたしたちが感じる「違和感」そのものをモデルすることを可能にしている点こそが重要なのです.

ここでもう一度思い出しましょう.わたしたちは,ロジシャンの指摘に違和感を持ちつつも,それが「正しい」指摘であることを納得することは少なくともできていたことを.つまりわたしたちは, ロジシャンの指摘に違和感を抱いているとき,それがある種の「正しさ」をもつことは理解できていたはずです.しかしその認識は,他方でそれと相容れない他の認識の存在を意識させる契機にもなっていました.すなわち,わたしたちの日常的な認識がそれです.そして,この日常的な認識に照らして浮かび上がるズレこそが「正しい」認識に対してわたしたちが抱くこの違和感を構成していたはずなのです.つまり,2つ以上の異なった認識の間のズレとして,違和感はおそらく認識されていたのです.

2つの異なった認識をもつということ,これは,そして,認識の変化といった現象一般を捉えようとする際に不可欠になる枠組みでもあると思われます.というのもわたしたちは,認識のある側面を変化させるためには 変化させるための基準となる認識をも同時にわたしたち自身の中に持つ必要があるからです.つまり,ある1つの認識に照らして「不適切」だと判断されるもう1つの認識を,わたしたちは改めているはずなのです.

わたしたちは今回,表象システムという枠組みを通して,ある判断に対してわたしたち自身が感じる「違和感」に1つの表現を与えてきました.この枠組みは,そして,認識の変化といった現象を記述する際にも有用であろうことを,最後に確認しました.次回以降わたしたちは,この枠組みを用いることで,わたしたち自身の認識をどのように表現することができるようになるか,より詳しく確認してゆきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2009年11月25日

表象システム(2) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:18

前回わたしたちは,局所論理の形式的な定義を与えました.局所論理は,既に導入したチャンネルとともに表象システムを構成することになる 2つの概念のうちの1つです. 今回は,これまでに確認してきた「ゴキブリ入りのコーヒー」の例を用いることで,この局所論理の働きを確認したいと思います.

ここでまず,「ゴキブリ入りのコーヒー」の例を通じて確認してきたわたしたち自身の認識の特徴を まとめておきたいと思います.それは,主に以下の3点で要約することができます.

(1)わたしたちはふつう,コーヒーにゴキブリが入っているとは思わない.
(2)しかし,「コーヒー」そのものはゴキブリが入っていないことを保証しない.
(3)(2)を指摘されると,わたしたちは,それはその通りだ,と認め,認識を改めることができる.

つまり,わたしたちが「ふつう」に行っている推論や判断(1)は,多くの場合,古典的な論理法則(とりわけ「単調性」)(2)と整合的になされるわけではありません.しかしわたしたちは,同時に,たとえば人から指摘されることでこの不整合自体を自覚し,認識を改めることはできる(3)のでした.

以下では,これらのそれぞれの点に局所論理を用いた表現を与えることで,その特徴を改めて確認してゆきたいと思います.

さて,それではまず最初に,以下のような分類から考えてみたいと思います.

|=C0 コーヒー 欲しい
coffee 0 1 1
orange juice 0 0 0

この分類は,「コーヒー」が「欲しい」,と思っているエージェントの認識を観察したものとみなすことができます.たとえば,前々回(第16回)に確認した,コーヒーを欲しいと思っているエージェントの欲求は,この観察によって表現することができます.

次に,「コーヒーが欲しい」という欲求そのものを,理論の制約によって表現してみましょう. これは前々回確認した通り,以下の制約によって表現することができます.

コーヒー|-T0欲しい

そして,注意の範囲をB0={コーヒー,欲しい}に固定するとき,この観察と理論から1つの局所論理L0=〈A0,B0,|=C0,|-T0,N0〉を構成することができます.つまり,

1.分類: C0 = 〈{coffee 0, orange juice 0}, {コーヒー,欲しい}, |=C0
2.理論: T0 = 〈{コーヒー,欲しい}, |-T0
3.ノーマルトークン: N0 = {coffee 0, orange juice 0}

です.ただし,理論T0は,注意の範囲B0内で「コーヒーが欲しい」という上記の制約を含む最小のレギュラーな理論とします.

局所論理の機能は,ところで,前回確認したとおり,「理論と整合的であるトークンを判別する」点にあります.つまり,理論と整合的であるか否かに従って,トークンを「ノーマル」なものとそうでないものに判別する機能をもつのです.このため,ノーマルではないトークンを確認することで,局所論理を構成する理論と観察の間に潜在する不整合を明らかにすることが可能になるのです.

具体的に確認してみましょう.この局所論理L0では,すべてのトークンがノーマルであることが分かります.これは,coffee0もorange juice0も,それぞれ,「コーヒーが欲しい」という理論 T0の制約を満たすことから確認できます.

あるトークンaが「Γ |- Δ」という制約を満たす,ということの定義は,ところで,本連載の第15回において,以下のように与えられていました.つまり,「Γに含まれるタイプをトークンaがもつなら,Δに含まれるタイプのうち少なくとも1つをもつ」という条件です.coffee0は「コーヒー」と「欲しい」をタイプにもちますからこの条件を満たします.orange juice0は,そもそも「コーヒー」をタイプにもちませんからこの条件を自明に満たします.以上から,この2つのトークンが,ともに「コーヒーが欲しい」という制約を満たすことができることが確認できます.つまり,この段階において,エージェント自身の欲求に対する観察と理論の間には,なんら不整合が存在しないことが確認できるのです.

さて,それでは次の段階に進みましょう.このエージェントは,次に,以下のような質問をされたのでした.

ゴキブリの入ったコーヒーとオレンジジュースのどちらが飲みたいですか?

このとき,わたしたちの多くは,たとえコーヒーが好きだとしても,ゴキブリの入ったコーヒーよりはオレンジジュースを欲するだろうことを,既に確認しました.この認識に対する観察は,以下で与えられます.

|=C1 コーヒー ゴキブリ入り 欲しい
coffee 1 1 1 0
orange juice 1 0 0 1

そしてこのとき,これも既に前々回確認したとおり,わたしたちの多くは,たとえば以下のような戸惑いを感じるのでした.つまり「コーヒーは欲しいのだけれど,ゴキブリ入りはちょっとねぇ…」 というような戸惑いです.そして,この戸惑いの後半部分が,以下のような制約で表現されたのでした.

ゴキブリ入り,欲しい |-T1

このときB1={コーヒー,ゴキブリ入り,欲しい}を注意の範囲とし,上記の2つの制約を含む最小のレギュラーな知識を T1 とすれば,このT1と,上記の観察C1によって,以下の局所論理L1を構成することができます.

1.分類: C1 = 〈{coffee 1, orange juice 1}, {コーヒー,ゴキブリ入り,欲しい}, |=C0
2.理論: T1 = 〈{コーヒー,ゴキブリ入り,欲しい}, |-T1
3.ノーマルトークン: N1 = {orange juice 1}

ここでも,先ほどと同様に,ノーマルトークンを確認してみましょう.一目見てすぐ分かるように, ここでは,先ほどの局所論理 L0には含まれていた coffee0に対応するトークン coffee 1が含まれていません.これは,coffee1が「コーヒーが欲しい」という制約に反することによります.つまり,先ほどの局所論理L0の下では存在しなかった観察と理論の間の不整合が,ここではcoffee 1というトークンにおいて表面化しているのです.

紛れもない「コーヒー」に他ならないcoffee1を「欲しい」と思わないこと,これは,よく考えてみれば,別段,不思議なことではありません.というのも,これは「ふつうのコーヒー」ではないからです.既に(1)でも確認したとおり,わたしたちはふつう,コーヒーにゴキブリが入っている可能性を思い浮かべることは稀です.「コーヒー」によってわたしたちがふつうに思い浮かべるのは「香り」や「苦味」といった要素であり,「ゴキブリ入り」というタイプではありません.「ゴキブリ入り」というタイプはむしろ,ないことが当たり前の前提とされる類いの属性なのです.そして,ないことが当たり前とされるこれらのタイプをもってしまっているという まさにその事実によって,この「コーヒー」は,わたしたちの多くから「いらない」ものとみなされてしまうのです.

coffee1がノーマルなトークンとみなされないことも,全く同じ理由から説明することができます.前々回わたしたちは,「コーヒーが欲しい」という制約と「ゴキブリ入りのものはいらない」という2つの制約から 「ゴキブリ入りのコーヒーは存在しない」という制約が導出されることを確認しました.これは,たとえば以下の証明図で確認することができます.

コーヒー|-T1欲しい         ゴキ入り,欲しい|-T1      
ーーーーーーーーーー Weakening ーーーーーーーーーーー Weakening
ゴキ入り,コーヒー|-T1欲しい    ゴキ入り,コーヒー,欲しい|-T1      
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー Global Cut
ゴキ入り,コーヒー |-T1

しかし,このような制約は一般にあらゆるトークンによって満たされるわけではありません.というのも,すでに(2)で確認したとおり,「コーヒー」そのものはゴキブリが入っていないことを保証しないからです.実際,coffee1なるトークンは,それ自身がまさに「ゴキブリ入りのコーヒー」であることによって,この制約を満たすことができません.coffee1がノーマルとみなされないのは,そして,まさにこのためであると考えることができます.つまりcoffee1はここで,「ゴキブリ入りのコーヒーは存在しない」という制約との不整合にひとまず目をつぶるために,とりあえず「例外」として処理されていると考えることができるのです.

さて,それではいよいよ最後の段階に進みましょう.つまり,(3)で示されたように,この不整合を自覚したエージェントが,理論をcoffee1と整合性を保つように更新する段階です.

理論をcoffee1と整合的なものとするために必要な更新の仕方の1つの例についても, わたしたちは既に第15回に確認しています.それは「コーヒーが欲しい」および「ゴキブリ入りのものはいらない」という2つの制約を,それぞれ「ゴキブリの入っていないコーヒーが欲しい」および 「ゴキブリの入ったコーヒーは欲しくない」に更新する,というものでした.これらは,それぞれ以下の制約によって表現されました.

コーヒー|-T2ゴキブリ入り,欲しい
コーヒー,ゴキブリ入り,欲しい|-T2                

これらはそれぞれ,「ふつうのコーヒー」の中身を,「ゴキブリ入り」というタイプを考慮に入れることで 具体的に書き改めた制約であるとみなすこともできます. たとえばここに,coffee1という具体的な個物を契機としてもたらされた エージェント自身の認識の深化をみることもできるかもしれません.

そして,この2つの制約を含む最小のレギュラーな理論をT2とすれば,同じ注意の範囲B1のもとで,観察C1と理論T2によって,以下の局所論理 L2を構成することができます.

1.分類: C2 = C1
2.理論: T2 = 〈{コーヒー,ゴキブリ入り,欲しい}, |-T2
3.ノーマルトークン: N2 = {coffee 1, orange juice 1}

ここでもこれまでと同様,この更新によって,本当に理論が coffee 1と整合的なものに改められているか,ノーマルトークンに注目することで確認してみましょう.一目見てすぐ分かるように, ここでは,先ほどの局所論理L1には含まれていなかったトークンcoffee1が含まれていることが分かります. これは,coffee1が,理論 T2のどの制約とも抵触しないことを示しています.つまり,理論の更新が,coffee1と整合的になされたことが, coffee1がノーマルであるというこの事実から確認することができるのです.

今回は,これまで何回かにわたって確認してきたわたしたち自身の特徴的な推論を,局所論理という新たな枠組みを通して検討しなおしてきました. 局所論理の大きな特徴は,観察と理論の間の不整合を,ノーマルトークンの構造によって捉えることができる点にありました. つまり,一方で,ノーマルではないトークンの存在を通じて ある理論が暗黙の前提としている「例外」の存在を浮き彫りにし,他方で,すべてのトークンがノーマルであることを通じて理論の観察との整合性を確認することを可能にするのでした.次回は,このような局所論理の特徴が表象作用において果たす機能を,表象システムを導入することで確認してゆきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2009年10月25日

表象システム(1) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:17

今回から何回かにわたって,本連載のタイトルでもあった「表象システム」という体系を導入します.表象システムとは,大まかに言えば,あるものをあるものとみなす表象作用を記述するための体系です.この体系を用いることでわたしたちは「あたりまえなもののあたりまえではない振る舞い」に形式的な表現を与え,更に,当初その記述を目指していた「緩い概念」の形式化を試みます.

ところでわたしたちは,表象作用を記述するための枠組みを既に導入しています.この連載の第7回目に導入した,チャンネルという概念がそれです.つまり,ある観察や分類を文脈として形成されるチャンネルによって,異なった2つのトークンの間に関係を形成する働きを表象作用と呼び,その働きをチャンネルとよばれる情報射の対によって表現したのでした.

これから導入する表象システムも,やはりチャンネルを用いた体系です.ただし表象システムは,個々のチャンネルで形成されるトークン間の結びつきのある種の妥当性を判別する構造として理論を持つ点において,単なる表象作用と異なります.つまり,これまで何回かにわたって確認してきた理論の構造に従って,異なるトークンの間の結びつきの適切さを評価する能力をもつのが表象システムという体系なのです.

トークン間の結びつきの妥当性を判別するなどといったことがなぜ必要になるのか,具体例に即して確認してみましょう.たとえばわたしたちが,「コーヒー」の概念として,次のような外延と内包の対を考えているものとしましょう.

〈{coffee},{コーヒー,香ばしい香り,苦味,飲み物}〉

つまり,「香ばしい香り」と「苦味」のある「飲み物」それが「コーヒー」だ,というような概念です.

この概念から,そして,以下の分類CFを形成することができます.

|=CF コーヒー 香ばしい香り 苦味 飲み物
coffee 1 1 1 1

そして,このような概念を持つ限り,わたしたちは,「コーヒー」という名前をもつトークンを, たとえば以下の図式で表現されるように,「香ばしい香り」と「苦味」のある「飲み物」として表象することができます. この点については,第7回と8回の2回にわけて確認しました.

Image091025_1

しかし,他方でわたしたちは,第12回から前回までの5回を通して,注意の範囲が広がるとき,わたしたち自身の推論の単調性が保たれるわけではないことを確認してきました.たとえば,「ゴキブリ入り」というタイプがわたしたちの注意の範囲に入ってきたとき,「コーヒー」に関する推論の単調性は満たされません.つまり,「ゴキブリ入りのコーヒー」という,単調な推論では排除されない可能性が,わたしたちの推論からは暗黙のうちに排除されてしまうのです.そして,古典的な論理学などで与えられる形式的な枠組みによってわたしたちの日常的な推論を表現しようとするとき,このような非単調な性質がやっかいな壁としてわたしたちの前に立ちはだかってくるのでした.

概念の構造のみを考える限り,この同じ問題は,表象作用においても避けることはできません. たとえば,先に挙げた「コーヒー」の概念の内包から,以下のような分類CFCを形成することができます (この分類CFCを文脈として形成される「コーヒー」の概念の内包が,先の「コーヒー」の概念の内包と一致する点に注意して下さい).

|=CFC コーヒー 香ばしい香り 苦味 飲み物 ゴキブリ入り
coffee 1 1 1 1 1 1
coffee 0 1 1 1 1 0

そして,このような分類をコアとしてチャンネルを形成する限り,わたしたちは「ゴキブリ入りのコーヒー」を暗黙のうちに排除しているわたしたち自身の認識を適切に表現することができないのです.実際に,この分類をコアとする表象作用を表したチャンネルを図示して確認してみましょう(ただしここでは,図を見やすくするため「香ばしい香り」「苦味」「飲み物」という3つのタイプを省略している点に注意して下さい).

Image091025_2

この図式は,たとえば「ゴキブリ入りのコーヒーも,コーヒーである」ことを意識しているエージェントの認識を表現したものとしては適切であると言えるでしょう.というのもここでは,「コーヒー」であるトークンzが,「ゴキブリ入りではない」トークンnだけではなく,「ゴキブリ入りである」トークンmにも接続されているからです.

しかし,既に確認したとおり,わたしたちはcoffee1というコアのトークンによって形成されるつながり(つまり,「コーヒー」とは「香ばしい香り」と「苦味」をもつ「ゴキブリ入り」の「飲み物」であるとみなすつながり)の存在を,多くの場合そもそも意識していません.むしろ,そのような接続がありうるということそれ自体に少なからぬ違和感をもつはずです.この図式では,そして,coffee 1 による接続によってもたらされる違和感,おそらくは暗黙のうちにわたしたちが抱いている認識と現実のズレによってもたらされるだろうこの違和感が表現されていないのです.

ここで,冒頭の説明に戻りましょう.表象システムとは「個々のチャンネルで形成されるトークン間の結びつきのある種の妥当性を判別する構造を持つ」体系であると述べました. つまり,表象システムは,たとえばcoffee1によって実現される接続によってもたらされるこの認識のズレを,ある種の妥当性を満たさないものとして判別する機能を持ちます.それを可能にするのが,そして,(これまでに非単調な推論を扱いうるものとしてその構造が整えられてきた)理論なのです.

さて,それでは表象システムは,どのように理論の構造を取り入れているのでしょうか? それは,チャンネルの共通の行き先である分類=コアと,理論,およびノーマルトークンとよばれるトークンの集合の3つ組によって構成される「局所論理」とよばれる構造として具体的には導入されます.つまり,チャンネルと局所論理の対として,表象システムは構成されることになります. なお,局所論理は,形式的には以下のように定義されます.

Aをトークンの集合,Bを注意の範囲(タイプの集合)とする.このとき 局所論理L=〈A,B,|=,|-,N〉 は,以下で構成される.
1.分類: cla(L) = 〈A,B,|=
2.理論: th(L) = 〈B,|-
3.ノーマルトークン: N ⊆ A.ただし,Nは,理論 th(L) のすべての制約を満たすトークンの集合.

機械的に記述しているのでやや分かりづらい感じがするかもしれませんが,ここで注意しておいて欲しいのは,以下の点です.まず,局所論理が,同じ注意の範囲(タイプの集合)をもつ分類と理論によって構成されているという点です.このことにより,局所論理のもとでは, 理論のそれぞれの制約と分類のトークンとの間にある対応関係を形成することができるようになっています. 具体的にはこの対応関係は,第15回で与えたように, 「トークンが制約と整合的であること」を表す条件によって与えられます.そして,この整合性に基づいて,局所論理の構造のもとでは, 個々のトークンが理論と整合的であるかどうか (理論を「満たす」かどうか) を判別することが可能になります.この判別の結果構成されるのが,そして,ノーマルトークンなのです.

チャンネルで形成されるトークン間の接続の妥当性は,そして,その接続を形成するコアのトークンがノーマルであるか否かによって判別されるようになります.上記の例で言えば,たとえば coffee 1 がある理論に照らしてノーマルではない場合,その接続は妥当ではないとみなされます. これに対し,coffee0がノーマルであるならば,その接続は妥当なものとみなされることになります.

今回は,表象システムを構成するもう1つの概念である「局所論理」を導入し,ごく簡単にその機能を紹介しました.次回は,これまでの例にそって局所論理の機能を,もう少し詳しく確認してゆきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2009年9月25日

推論の非単調性(5) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:16

これまで何回かにわたってわたしたちは,次のような例を考えてきました.つまり,「コーヒーが飲みたい」と思っている殆ど全ての人が,

ゴキブリの入ったコーヒーとオレンジジュースのどちらが飲みたいですか?

と聞かれた時には「オレンジジュース」と答える,という現象です.常識的にはあたりまえのこの反応が,しかし,「単調性」という推論の基本的な性質に反するものである,というのが,これまでわたしたちが確認してきた問題です.

この現象を整合的に説明するためにわたしたちが注目したのが,そして,「注意の範囲」という構造でした.「注意の範囲」という構造を導入することによって,前回わたしたちは,推論の「非単調性」とよばれる性質を整合的に表現できる形式的な枠組みを提示しました.しかし前回は,やや駆け足で多くの事柄を詰め込んでしまったため,「注意の範囲」という構造の働きを十分に描き出すことができなかったように思います.今回は,そこで,前回駆け足で説明した内容を,少し違った視点からもう一度確認してみたいと思います.

ここでもう一度,

ゴキブリの入ったコーヒーとオレンジジュースのどちらが飲みたいですか?

と聞かれた時にわたしたちが経験する常識的な感覚と,そこで感じる戸惑いを,確認しておきましょう.

「コーヒーが欲しい」と思っている人の多くが,上記のような質問を浴びせられたときにまず思い浮かべるのが,「ゴキブリの入ったものは飲みたくない」という欲求であるだろうことは容易に想像できると思います.この欲求に照らして「オレンジジュース」が「ゴキブリ入りのコーヒー」よりも 望ましい選択肢であることも,また明らかでしょう.ここから,多くの人は「オレンジジュース」を選ぶだろうと解釈することができます.そして,これが,わたしたちの常識的な判断の少なくとも1つのあり方であると言えるだろうと思います.

この判断は,前回の枠組みを用いて表現するなら,以下の制約を含む理論 T'1として表わすことができます.つまり,「コーヒーが欲しい」という感覚を表す制約と, 「ゴキブリの入ったものは飲みたくない」という感覚を表す制約を含む 最小のレギュラーな理論です.

「コーヒーが欲しい」という感覚は,前回確認した通り,以下の制約で表現することができます.

コーヒー|-T'1欲しい

また「ゴキブリの入ったものは飲みたくない」という感覚は, 以下の制約で表現することができます.

ゴキブリ入り,欲しい |-T'1

つまり,理論T'1は,この2つの制約から,レギュラーな操作のみによって導出される制約全体の集まりであると考えることができます.

ここで,この理論T'1を,前回検討した「コーヒーが欲しい」という制約のみから構成された理論 T1と比べてみましょう.簡単に分かるとおり,T'1 には,T1には含まれていない「ゴキブリの入ったものは飲みたくない」という制約が付け加えられていることがわかります.これは,いわば,「ゴキブリ入り」というタイプがわたしたちの「注意の範囲」に入りこむことで気付かされた制約であると考えることができるでしょう.つまりT'1には「ゴキブリ入りのコーヒー」という選択肢が示されたときにわたしたち自身が感じるであろう常識的な感覚が反映されていると考えることができるのです.

さて,ここに,ロジシャンが登場します.このロジシャンは,上記の推論過程を吟味した上で,こう言います.

でも,ゴキブリ入のコーヒーも,コーヒーですよね?
なんで欲しくないんですか?

そうそう,頭の固い人って,だから嫌われるんだよね,という感覚をここではぐっと飲み込んで, このロジシャンの主張をよく確認してみましょう.

T'1には「コーヒーが欲しい」という制約と「ゴキブリの入ったものは飲みたくない」という制約の2つが含まれていました. そして,レギュラーな推論規則に従えば,この2つの制約から,それぞれ,以下の2つの制約が導出されます.

ゴキ入り,コーヒー |-T'1 欲しい   ゴキ入り,コーヒー,欲しい |-T'1

つまり,「ゴキブリ入りのコーヒーが欲しい」という制約と,「ゴキブリ入りのコーヒーは欲しくない」という制約です.

この2つの制約は,それぞれ,「ゴキブリ入りのコーヒー」に対して,相対立した欲求を表現していると考えることができます.というのも,前者はそれを「欲しい」と表現しているのに対し, 後者はそれを「欲しくない」と表現しているからです.先のロジシャンは,そして,常識的な判断からは無視されている前者も論理的には導出されることを示すために「なんで欲しくないんですか?」と発言していると解釈することができるのです.

なるほど,このロジシャンの指摘は,正しいだけに厄介なものです.それではこのロジシャンの言葉に,わたしたちは常に耳を傾けるべきでしょうか?いや,そうとは限りません. というのも,このロジシャンの発話は,ある「あたりまえな状況」を考える限り無視することができるからです.つまり,「ゴキブリ入りのコーヒーなどありえない」ような状況です.

もし「ゴキブリ入りのコーヒーなどありえない」のであるならば,それを「欲しい」と同時に「欲しくない」と思うことはなんら不都合を生じません.それらはそもそも,どちらもあり得ない事柄について主張されていることだからです.この限りにおいてわたしたちは,ロジシャンの疑問をやり過ごすことができるのです.

これは実際,上記の2つの制約から導出される帰結でもあります.事実,上記の2つの制約から,以下の証明図で示されるとおり,「ゴキブリ入りのコーヒーは存在しない」という制約が導出されます.

ゴキ入り,コーヒー |-T'1 欲しい  ゴキ入り,コーヒー,欲しい |-T'1
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー Global Cut
ゴキ入り,コーヒー |-T'1

つまり,わたしたちがあたりまえに思い浮かべるであろう「コーヒーが欲しい」という欲求と 「ゴキブリ入りのものは欲しくない」という2つの欲求は,「ゴキブリ入りのコーヒーなどありえない」とみなす限りにおいて,なんら齟齬を来すことなく,有効に機能する制約であると考えることができるのです.

しかし,この2つの制約は,もちろん,常に両立できるわけではありません.というのも,これまで確認してきた通り,「ゴキブリ入りのコーヒー」が存在する状況は確かに存在するからです(決してあたりまえではないけれども). わたしたちは,そして, わたしたち自身の認識を,現在直面している状況と整合的なものとしようとする限り,これらの制約の一部を訂正する必要を認めざるをえないのです.

さて,ここで話はふたたび前回に戻ります.それではわたしたちは,わたしたち自身の認識をどのように更新すれば良いのでしょうか?この問いに対する1つの答えとしてわたしたちが示したのが,そして,前回与えた理論T2なのです.つまり「コーヒーが欲しい」というT'1の制約を 「ゴキブリの入っていないコーヒーが欲しい」という制約に置き換えた理論です.

「コーヒーが欲しい」という制約を 「ゴキブリの入っていないコーヒーが欲しい」という制約に置き換えること,これは正にわたしたちが,ロジシャンのような融通の利かない人から自分の間違いを指摘された時に,たとえば,そりゃそうだけど,「コーヒー」って言ったら 「ゴキブリの入っていないコーヒー」に決まってるでしょ?という気持ちを抑えながら,しぶしぶ認めざるを得ない訂正であると言えるでしょう.と同時に,それは,「あたりまえではないかもしれないけれども確かに存在する状況」をも考慮しうる変化を促すという意味において,世界のありようをより適切に反映した変化であると言うことができます.つまり,そのような認識のあり方は 「あたりまえな状況」に対する認識のあり方を拡げるという意味において,積極的な側面を持っていると考えることもできるのです.

もちろん,このような制約の更新は,わたしたちの多くにとって,恐らくあまり嬉しいものではないのも事実だろうと思います.というのも,わたしたちはこの制約の更新によって,恐らく積極的には意識したくないだろう現実を,常に意識せざるを得なくなってしまうからです.つまり,「ゴキブリの入ったコーヒーがありうる」という現実です.

わたしたちが日常的には,多くの場合T0で示された認識に留まり「意識したくない現実」を意識せずに済ませているのは,そして,このような感覚と無縁ではないでしょう.実際わたしたちは,ありうるあらゆる「意識したくない現実」を意識して日常生活を行うことはできないだろうし,してもいないはずです.「意識したくない現実」を意識せざるを得なくなった時に限り,たとえば,あぁ,嫌な事を意識しなくちゃいけなくなったなぁ…,と半ば諦めながらそれを考慮に入れ,自身の認識を調整しているのだろうと思います.「ゴキブリ入り」というタイプが「注意の範囲」に入ることで わたしたちの認識がT0 からT'1へ変化させられ,更にロジシャンの指摘を受けてT2へと更新されたように.恐らくそれは,必要であると同時に嫌なことでもあるでしょう.であるがゆえに,わたしたちは,それをたとえばロジシャンのような人間に指摘されるのをこんなにも嫌うのかもしれません.

さて,「注意の範囲」という構造を明示することでわたしたちは,例外的な事柄に対するわたしたちの認識の例外的なふるまいの一側面を浮かび上がらせてきました.この構造の有用性は,しかし,ここで扱った現象にのみ限られるわけではありません.むしろ,第13回に触れた「あたりまえなものの例外的なふるまい」を捉える際に,それはより有効に機能します.次回以降は,この問題を捉えるために,本連載のタイトルでもあった「表象システム」という枠組み(本連載で導入する最後の枠組み)を築き上げてゆきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2009年8月25日

推論の非単調性(4) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:15

前回わたしたちは,わたしたち自身の推論や判断を表現するための形式的な枠組みとして, シークエント計算の体系を流用した枠組みを導入しました.つまり,前提されるシークエントから結論として推論されるシークエントを 形式的に導出する枠組みです.前回は特に名前を与えませんでしたが, これをここでは「理論」とよぶことにします(形式的には,タイプの集合ΣTと,シークエントの集合|-Tの対,〈ΣT, |-T〉で理論 T を表現します.なお,|-Tに含まれるシークエントを,ここでは,理論Tの「制約」とよぶことにします).今回は,この「理論」を用いることで,「注意の範囲」の違いによってもたらされる推論の変化を確認してゆきたいと思います.

まず最初に,「注意の範囲」の違いがわたしたちの推論に与える影響を確認するため,以下の簡単な理論に従って推論するエージェントを考えます.つまり,タイプとして「コーヒー」「オレンジジュース」そして「欲しい」のみを含み (形式的にはこれを,ΣT0 = コーヒー,オレンジジュース,欲しい}で表します),「コーヒーが欲しい」と解釈することのできる以下の制約を含む最小のレギュラーな理論 T0=〈ΣT0, -T0〉です.

コーヒー|-T0欲しい

ここでは,そして,理論 T0が「コーヒーが欲しい」という制約を含んでいることを,エージェント自身が「コーヒーが欲しい」と思っていることを表していることとして解釈します.

なお,ここでは明示していませんが,T0はレギュラーな理論ですので,「コーヒーはコーヒーである」を意味する以下の制約や,

コーヒー|-T0コーヒー

「コーヒーはコーヒーかオレンジジュースのどちらかである」を意味する以下の制約

コーヒー|-T0コーヒー,オレンジジュース

なども,含まれる点に注意して下さい.

また,この理論T0では,ΣT0に含まれるタイプの間の帰結関係のみが 問題にされている点にも注意して下さい. つまり,この理論は,「コーヒー」,「オレンジジュース」および 「欲しい」というタイプの間の帰結関係を特定しているだけで,ΣT0に含まれていないタイプとの間の帰結関係は与えていません.更に,他のタイプをΣT0に付け加えたとき 既にある帰結関係にどのような影響が生じるか,ということも定められてはいません.このような意味においてこの理論T0は,タイプの集合ΣT0に規定された理論であると考えることができます.ここでは,そして,この集合ΣT0を,理論T0の制約が有効である「注意の範囲」とみなすことにします.

さて,それではこの理論T0に従って推論するエージェントが,これまで確認してきた選択問題をどのように認識しうるか確認してみましょう.ここではまず,この連載の12回目で選択問題0として与え直した「コーヒー」と「オレンジジュース」の どちらが好きかを問う選択問題を考えます.ただしここでは,「コーヒー」を「欲しい」と思ったエージェント自身の欲求も含めた観察O'0を以下で与え,この観察O'0について考えることにします.

|=O'0 オレンジジュース コーヒー 欲しい
a 1 0 0
b 0 1 1

ここでまず最初に確認できることは,この観察O'0で与えられたタイプが,理論 T0の注意の範囲に収まっている点です.つまり,観察されたタイプは, 全てタイプの集合ΣK0に収まっていることが確認できます.

次に確認できることは,この観察で与えられたトークンが,全て先に与えた理論T0 の制約である「コーヒーが欲しい」と整合的であるということです.ただしここでは,トークンがある制約と「整合的である」ということを,以下の条件を満たすこととして捉えることとします.つまり,ある制約 Γ|-Δに対し,ΓのタイプをすべてもつならΔのタイプを少なくとも1つはもつとき, そのトークンをこの制約と整合的なトークンとよびます.また,この条件を満たさないトークンを, この制約に対する反例とよびます.

この条件は,ところで,前回与えたシークエントの直感的な意味と正確に対応していることに注意して下さい.前回与えたシークエントの意味は次のようなものでした.すなわち 「前提部のタイプの条件がすべて満たされるとき,帰結部のタイプの条件のうち少なくとも1つが満たされる」 というものです.そして,この条件の「満たされる」を「もつ」に読み換えれば,両者が一致することが分かります.

ところで,シークエントの意味をこのように解釈するとき,あるシークエントが理論に制約として含まれることと,その制約に対する反例が観察に存在しないことを,正確に対応付けることができます.つまり,この意味を通じて,ある制約が存在することと,反例が存在しないことを同一視することができるのです.シークエントにこのような「直感的な意味」を与える理由について前回は詳しく触れませんでしたが,このように解釈することでわたしたちは,両者を上記のように対応づけて理解するという立場を採用していたのです.

さて,それでは,この定義に従って,この観察の2つのトークンが 「コーヒーが欲しい」という制約と整合的であることを確認してみましょう.トークンbがこの制約を満たすことは簡単に確認できます. というのもbは「コーヒー」というタイプをもち,かつ「欲しい」というタイプをもつからです. これに対し,トークンaは「コーヒー」というタイプをもちません.ここで定義に立返って考えるなら,シークエントの前提部のタイプをもたないとき,このトークンは帰結部のタイプをもつか否かに関わりなく制約を満たすことが分かります.このため,トークン a は「コーヒーが欲しい」という制約を満たすことが分かります.以上より,どちらのトークンも「コーヒーが欲しい」という制約と整合的であることが確認できました.

それでは次に,この連載の12回目で選択問題2として与えた「ゴキブリ入りのコーヒー」と「オレンジジュース」の間の選択問題を,観察O'0の場合と同様にして考えてみましょう.ここではこの観察を,以下の分類O'2で表すこととします.

|=O'2 オレンジジュース コーヒー ゴキブリ入り 欲しい
c 1 0 0 1
d 0 1 1 0

既にこれまで何度か確認してきたとおり,ここでのトークンdの振る舞いには,われわれ自身の判断の非単調な特徴が現れています.つまり,「コーヒーが欲しい」のであれば,コーヒーの一種である「ゴキブリ入りのコーヒー」 も「欲しい」ものでなければなりません.にも関わらず,わたしたちは「ゴキブリ入りのコーヒー」を「欲しい」とは思わないからです.

ここで,先に検討した理論 T0の注意の範囲 ΣT0 に「ゴキブリ入り」というタイプを付け加え(つまり ΣT2T0∪{ゴキブリ入り}に注意の範囲を拡げ),T0と同じ「コーヒーが欲しい」という制約を含んだ最小のレギュラーな理論 T1=〈ΣT2, |-T1〉を考えてみましょう.

この理論T1は,理論T0を単調に(古典的に)拡張した理論であるため,そこにはT0と同じ「コーヒーが欲しい」という制約が含まれるだけではなく,「ゴキブリ入りのコーヒーが欲しい」という制約も含まれます.このため,理論 T1を用いて推論する限り,トークン d と整合性を保つことはできません.つまり,dは「ゴキブリ入りのコーヒーが欲しい」という制約に対する反例になるのです.

このような不整合は,しかし,以下のような理論を考えることで解消することができます.つまり,以下のシークエントで表現される「ゴキブリの入っていないコーヒーが欲しい」および 「ゴキブリの入ったコーヒーは欲しくない」という制約を含むレギュラーな最小の理論 T2=〈ΣT2, -T2〉です.

コーヒー|-T2ゴキブリ入り,欲しい
コーヒー,ゴキブリ入り,欲しい|-T2                

ここではただし,「notゴキブリ入り|-」というシークエントを 「|- ゴキブリ入り」で,「|-not欲しい」というシークエントを「欲しい|-」で, それぞれ表現していることに注意して下さい (一般には,任意のタイプαについて「Γ,notα|-Δ」を「Γ|- α, Δ」というシークエントで, 「Γ|-notα,Δ」を「Γ,α|-Δ」というシークエントで,それぞれ表現します).

この理論T2で表現されているエージェント自身の欲求は,T1に含まれている制約と2つの点でズレていることが分かります.つまり T2は,「ゴキブリの入ったコーヒーが欲しい」という制約を含まないという点,および「ゴキブリの入ったコーヒーは欲しくない」という制約を含むという点の2点において,それぞれT1とズレているのです.

この2つのズレは,そして,この制約に対する反例を考えることで確認することができます. 「コーヒー」,「ゴキブリ入り」および「欲しい」というタイプにのみ注目するなら, 理論 T1に含まれる「コーヒーが欲しい」という制約に対する反例は,以下の表のhとkの2種類のパターンをもつトークンに対応することが分かります.つまり,「コーヒー」というタイプをもち「欲しい」というタイプをもたないトークンです.

コーヒー ゴキブリ入り 欲しい
h 1 0 0
k 1 1 0
j 1 1 1

これに対し,「ゴキブリの入っていないコーヒーが欲しい」という制約に対する反例は,hのパターンをもつトークンに対応し,「ゴキブリの入ったコーヒーは欲しくない」という制約に対する反例は,jのパターンのトークンに,それぞれ対応することが分かります.つまり,T2において表現された欲求は,kを反例に持たず,jを反例に持つという点で,T1とズレているのです.

T2が観察O'2と整合性を保つことができるのは,そして,まさに,含む制約のこのズレによります. 実際,kのパターンをもつトークンを反例に持たないため,理論T2はトークンdと整合性を保つことができるだけでなく,反例としてjのパターンをもつトークンを含むことから,観察O'2がT2と整合的である限り,「ゴキブリ入りのコーヒーを欲する」ことを表すトークンが含まれえないことを保証してくれてもいるのです.

そして更に重要なことが,T2の含むこの制約のズレこそが,T2とT0の間の単調性という関係を失う元凶にもなっている点です.つまりT2は,T0が含む「ゴキブリの入ったコーヒーが欲しい」という制約を排除し,更に「ゴキブリの入ったコーヒーは欲しくない」という制約を追加することによって,T0の制約との間の単調な関係を失っているのです.

わたしたちの枠組みの特徴は,そして,ここに端的に見いだすことができます.つまりわたしたちは,わたしたち自身の推論の非単調性の元凶を,注意の範囲の変化に求めているのです.すなわち,注意の範囲が定まっている限り人々の推論は単調になされるが,それが異なったものに変化する場合には単調性が保存されるとは限らない,と考えることで非単調な推論を(単調な枠組みを用いて)表現しようとしているのです.

実際わたしたちは,「コーヒー」および「オレンジジュース」と「欲しい」というタイプの間の関係を考える際に,「ゴキブリ入り」というタイプを考えに入れることは稀でしょう.このようなタイプを明示的に考えるのは,おそらく「ゴキブリ入り」と選択肢に明示されている場合か,実際にまわりに「ゴキブリ」が這い回っているような場合に限られるでしょう.つまり,それが自然に「注意の範囲」に入らざるをえないような場合です.そしてその時,わたしたち自身が思い浮かべる制約が異なってくることは,十分に考えられる事態だろうと思います.

このような立場は,そして,たとえばこの連載の第13回目に紹介したデフォルト論理の枠組みとは 議論の方向がかなり異なることが分かると思います.デフォルト論理の枠組みでは,非単調な推論を表現するために, あらかじめ「例外」を書き出しておく必要がありました.つまり,予め定められた例外を排除する限りにおいて推論の単調性が保証されるのです.これに対し,わたしたちの枠組みでは, 注意の範囲が変化することで理論自体が別のものに変化することを許します. 例外は,そして,この変化の結果見いだされるのです (上記の例で言えば,k のタイプのトークン,具体的には観察 O'2 のトークン d が,注意の範囲が変化した結果見いだされる例外(理論T0の視点からは例外と見なされざるをえない対象)に対応します).

ところで,この連載の13回目でデフォルト論理に触れたとき,その欠点の1つとして,「「あたりまえなものの例外的なふるまい」を記述することができない」 という点にも触れました.次回以降は,今回の議論を更に発展させることで,この問題を扱いうる枠組みを組み立ててゆきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2009年7月25日

推論の非単調性(3) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:14

前回と前々回の2回に分けて,わたしたちは,わたしたち自身の推論や判断を特徴づける「非単調性」という性質について確認してきました.そして前回は,「非単調性」と関係する重要な要素として「注意の範囲」の存在を指摘しました.今回から何回かに分けて, この「注意の範囲」の違いを明示することで,推論や判断の「非単調性」をいかに描き出すことができるようになるか確認してゆきたいと思います.

ところで,前回わたしたちは,以下のような命題を検討しました.

人間は死ぬ

そして,推論が単調になされるのであれば,この命題から以下の命題が導出されなければならないことを確認しました.

人間エゼキエーレは死ぬ

今回はまず,このような推論に形式的な表現を与えたいと思います.ここで用いるのは,シークエント計算とよばれる(証明論の)体系を流用したものです. しかしその前にここで,証明論(あるいは構文論)がどのような枠組みであるか説明しておいた方がよいでしょう.

証明論とは,ある与えられた公理や前提から,与えられた推論規則のみを用いて導出できる論理式を特定する形式的な枠組みを指します.わたしたちが日常的な場面で,ある事柄を推論する際,何を前提し,どのような推論規則を用いているのかはっきり意識することは稀かもしれません.これらの構造をはっきりさせ,何が推論できるか明らかにしようとするのが, 証明論の試みの1つの意義であると考えることができるだろうと思います.

わたしたちは,たとえば,「人間は死ぬ」「エゼキエーレは人間である」という2つの命題を与えられたなら,そこから「エゼキエーレは死ぬ」という命題を導出することができるでしょう.しかしこのとき,わたしたちが,何を前提とし,どのような法則に従ってこの結論を導出したのかは, 必ずしも明らかではないだろうと思います.このような構造を,ここでは,証明論の枠組みを用いることで, 明らかにしてみようというわけです.

証明論の枠組みの1つであるシークエント計算の体系では,個々の論理式はシークエントとよばれる記号列で表現されます.ここでは,これを簡略化し,複数個のタイプ(0個も含みます)で構成される集合の順番の付いたペアを シークエントと呼ぶことにします.具体的には,1つ目の集まり(前件)を前提部,2つ目(後件)を帰結部とみなし,両者の間に論理的帰結関係を表す「|-」という記号を置く事でシークエントを構成します.たとえば,ここで最初に確認した命題は,「人間」という1つのタイプの集まりと,「死ぬ」というこれまた1つのタイプで構成される集まりの,2つによって構成された,以下のようなシークエントによって表現することができます.

人間 |- 死ぬ

これに対し2つ目の命題は,前提部に「エゼキエーレ」を加えた,以下のシークエントによって 表現することができます.

人間,エゼキエーレ |- 死ぬ

そして,わたしたちは,これらのシークエントの「意味」を,ここでは便宜的に,以下のように解釈することとします.つまり,帰結関係「|-」を「ならば」を意味する記号とみなし,前提部のタイプの条件がすべて満たされるとき, 帰結部のタイプの条件のうち少なくとも1つが満たされる, と解釈するのです.

このような解釈に従うならば,たとえば最初の命題「人間|-死ぬ」は「人間ならば死ぬ」として,次の命題「人間,エゼキエーレ|-死ぬ」は「人間かつエゼキエーレであるならば死ぬ」 として,それぞれ解釈することができます(ところで,シークエントとは,本来意味とは独立した概念なので,このような解釈が一般に妥当であるとは限りません. このような解釈は,あくまで便宜的なものに過ぎない点に注意して下さい. なお,ここでこのように解釈することが妥当である理由については,次回,簡単に確認する予定です).

次に,シークエントによって表現される推論の性質を判別するための条件をいくつか導入します.ここでは,公理と推論規則に対応する,以下の3つの性質に注目します. つまり,公理に対応するIdentityという性質と,推論規則に対応するWeakening,およびGlobal Cutとよばれる2つの性質です.そして,ある推論が,この3つの性質に従ってなされるとき, わたしたちはこの推論をレギュラーである,とよぶことにします.

Identity: α|-α
Weakening: Γ|-Δ ならばΦ,Γ - Δ,Λ
Global Cut: Θ上のすべてのパーティション〈Φ,Λ〉について,
Γ,Φ |- Λ,Δ ならば Γ |- Δ

ただしここでは,αをタイプ,Γ,Δ,Φ,Λ,Θを,すべてタイプの集まり(集合)とし,Θ上のパーティションによって集合Θを2つの集合に分けたペアを指すものとします(形式的には Φ∪Λ=Θ と Φ∩Λ=0 をみたす順序対〈Φ,Λ〉を指します).

1つ目の性質は,たとえば「人間は人間である」ことを求める条件ですから,直感的にもその意味や妥当性は明らかだろうと思います.2つ目の性質は,前回確認した「単調性」に対応するものです.3つ目の性質はここで初めて出てきたものですので,少し詳しく確認しておきましょう.

Global Cutの働きを具体的に確認するため,ここでは,以下の2つのシークエントを考えます.

人間,元気 |- 死ぬ
人間 |- 元気,死ぬ

それぞれ,「元気な人間も死ぬ」および 「人間は,元気であるか死ぬかどちらかである」と解釈することのできるシークエントです.

よく見れば分かるように,この2つのシークエントは,「人間 |- 死ぬ」という共通したシークエントの前提部と帰結部に,それぞれ,「元気」というタイプを付け加えることで構成されていることが分かります. また,「元気」というタイプのみによって構成される集合Θを考えるなら,Θ上のパーティションは,〈元気,0〉と,〈0,元気〉の2つのみであることが分かります.つまり,この2つのシークエントは,「人間 |- 死ぬ」というシークエントの前提部と帰結部に,それぞれ,対応するΘ上のパーティションの要素を付け加えることで構成されていることが分かります.このようなとき,そして,Global Cutにより「人間|-死ぬ」というシークエントを導出することができるのです.

この導出過程は,また,前提されるシークエントを上に,結論されるシークエントを下に書き,適用される推論規則を右横に書き添えた横線によって両者を分断することで構成される,証明図という図式を用いて以下のように表現することができます.

人間,元気|-死ぬ     人間|-元気,死ぬ
--------------------- Global Cut
人間|- 死ぬ

「元気な人間も死ぬ」というシークエントと,「人間は,元気であるか死ぬかどちらかである」というシークエントが与えられた場合,「人間は死ぬ」というシークエントを導出して良いだろうことは,直感的に考えてみてもある程度納得できると思います.というのも,2番目のシークエントから「人間は,元気であるか死ぬかどちらかである」 ことが分かるのですから,もし死なないのであれば,その「人間」は「元気」であることが分かります.そして,最初のシークエントから「元気な人間も死ぬ」ことが分かっているわけですから,結局「人間は死ぬ」ことになるからです.

さて,推論がレギュラーになされるとき,先にあげた「人間は死ぬ」と「エゼキエーレは人間である」から,「エゼキエーレは死ぬ」を導出することができるようになります.ここで最後に,練習もかねて,これらの2つの前提から「エゼキエーレは死ぬ」という結論を導出しておきたいと思います.

 

まず最初に,「人間は死ぬ」という前提からWeakeningにより 「人間エゼキエーレは死ぬ」という結論①が導出されます.

人間|-死ぬ
------------- Weakening
エゼキエーレ,人間|-死ぬ  ①

 

同様にして,「エゼキエーレは人間である」という前提からWeakeningにより 「エゼキエーレは人間であるか死ぬかどちらかである」という結論②が導出されます.

エゼキエーレ|-人間
------------- Weakening
エゼキエー |-人間,死ぬ  ②

そして,結論①と②から,Global Cutにより,「エゼキエーレは死ぬ」が導出されます.

エゼキエーレ,人間|-死ぬ   エゼキエーレ|-人間,死ぬ
------------------------- Global Cut
エゼキエーレ|-死ぬ

以上で,推論の過程を表現するための枠組みが整いました.あとは,ここに「注意の範囲」に相当する構造を導入すればよいのですが, この点については,次回改めて検討したいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2009年6月25日

推論の非単調性(2) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:13

今回はまず,次のような命題から考えてみたいと思います.

鳥は飛ぶ

この命題をおかしいと感じられる方はどの程度いるでしょうか?実際に調べたことはないので分かりませんが, おそらく多くの方はそれほどおかしな命題であるとは感じないだろうと思います.

次に,これと似た以下の命題を考えます.

ペンギンという鳥は飛ぶ

今度はどうでしょうか?空飛ぶペンギンを見てみたい,と思われる方はいるかもしれません. しかし,その場合を含めても,この命題が正しくないと感じられる方は,おそらく先ほどの場合よりはるかに多いでしょう.

「鳥は飛ぶ」を認めながら,他方で「ペンギンという鳥は飛ぶ」を認めないこと,わたしたちの多くが下すだろうこの判断は,そして,論理的には奇妙な構造を持つことが知られています.というのも,もし鳥が飛ぶのであれば,鳥の一種であるペンギンも飛べなければなりません.にもかかわらずここでは,「ペンギンは飛べない鳥である」ということが例外的に認められてしまっているからです.わたしたちの日常的な判断においてしばしば見いだされるこのような例外を許す構造,これが,認知心理学や人工知能の分野において知られてきた 判断や推論の「非単調性」という構造の一例です.

ところで,わたしたちは前回,コーヒーかオレンジジュースを選ぶ選択問題を考えました. とりわけ詳しく分析したのが,以下の選択問題2でした.

選択問題2:cとdのどちらが飲みたいですか?
c:オレンジジュース
d:ゴキブリの入ったコーヒー

そして,この選択問題において観察されるわたしたちの判断の特徴も,やはり「非単調性」が観察される1つの典型的な例として解釈することができます.というのも,もし被験者が「コーヒー」が好きならば,コーヒーの一種である「ゴキブリの入ったコーヒー」も好きでなければなりません.にもかかわらずわたしたちは,「ゴキブリ入りのコーヒー」を好むことはほとんどないからです.いわば,「ゴキブリ入りのコーヒー」を「例外」として排除することで,「コーヒーが好きである」ことと 「ゴキブリ入りのコーヒーを好まない」ことの間にある矛盾をやり過ごしているのです.

この構造が「非単調性」と呼ばれるのは,以下の理由によります.論理学の1分野である証明論(あるいは構文論)の古典的な体系において,ある命題が証明できるか判別する際に要請される最も基本的な性質の1つに「単調性」があります.たとえばシークエント計算という体系では,この性質は「Weakening」という推論規則によって表現されます.これは,大雑把に言うならば,ある命題を前提するとき,その命題をよりユルくした命題もやはり証明できることを (もう少し正確には,その命題の前提をキツくするか,結論をユルくするかした命題もやはり証明できることを)求める性質です.

例えば,以下のような命題が証明できると仮定してみましょう.

人間は死ぬ

推論が単調になされるのであれば,このとき,たとえば以下のような命題もやはり証明できなければなりません.

人間エゼキエーレは死ぬ

ここで注意して頂きたいのは,この命題では,先の命題で前提されていた「人間」という一般的な対象が 「エゼキエーレ」という個人に限定されている点です.つまり,ここでは 「エゼキエーレ」という一人の人間が「死ぬ」という特殊な事柄のみが主張されているに過ぎません.人類全般が死ぬことを実際に確認するのはそもそも原理的に不可能な気がしますが(少なくとも,自分が死ぬことは確認できない気がします),仮にこの命題が確認できたとすれば,後者がそこから必然的に導かれるだろうことは,直感的にも明らかでしょう.このような意味においてこの命題は,先の命題よりもユルいとみなすことができるのです.そして,単調性という条件に従う限り,このような,前提とされる命題よりもユルい命題もやはり証明可能であることが求められるのです.

さて,わたしたちの日常的な推論や判断が必ずしもこの規則と整合的になされるわけではないことは,すでに冒頭の例で確認した通りです.これらが「非単調」であると言われるのは,そして,それがまさにこの「単調性」という規則を満たさないことによります.飛べない鳥である「ペンギン」や「ゴキブリ入りのコーヒー」といった例外の存在,これらがわたしたちの推論や判断を「非単調」なものにする元凶になっているのです.

ところで,人間的な判断や推論を特徴づけるこのような構造が見いだされて以降,人工知能や論理学などの分野では「非単調」な論理の枠組みが様々に探求されてきました.たとえば, それらの試みのなかでも有力な枠組みの1つであるデフォルト論理の枠組みで採用された対処法は,(少なくとも意識されている)例外をあらかじめすべて記述しておく,というものであったと言えると思います.

たとえば,デフォルト論理の枠組みでは,「飛ぶ」に加え「普通は飛ぶ」という術語を用意します. そして,「普通」であるか否か判別するための論理式のリストをこれに加えて用意し,「ペンギン」や「ダチョウ」といった鳥を例外として判別できるようにしておきます.こうすることで,「ペンギン」が「飛べない鳥である」ことと「鳥は普通飛ぶ」ことを,矛盾することなく両立させているのです.

このような対処法を用いることで,デフォルト論理の枠組みは,「非単調」な判断や推論を形式的に表現することに一定程度成功したと言えると思います.しかし,これではまだ不十分であるように思えるのも,また事実だと思います.まず第一に,例外をすべて書き尽くすという試み自体が非現実的であるように思われますし,第二に,そのような作業自体がなによりわたしたち自身の実感とかけ離れているように思えます.そもそもわたしたちは,例外を予めすべて意識しているわけでは決してないでしょう.むしろ,自分の発話や文章の矛盾を他人から指摘されて,はじめて,無意識のうちに例外扱いしていた対象の存在に気付く,というのが実状であるように思われます.しかし,例外を予めすべて書き下してしまうと,このような「気付く」という経験が蒸発してしまうのです.

他人から指摘されてはじめてそこにある矛盾に気付くこと,このような実感を捉えようとするとき重要になるのは,例外そのものというよりはむしろ,そのときわたしたちの意識に上っている「注意の範囲」といった構造の違いであるように思われます.たとえばわたしたちが「鳥は飛ぶ」という命題をもっともらしいと考えているときや,「コーヒーが飲みたい」と思っているとき,飛べない鳥たる「ペンギン」や「ゴキブリ入りのコーヒー」といった対象は,単に意識に上っていないように思われます.それらは決して「例外」として予め意識されているわけではありません.おそらく,「ペンギンは飛びませんよね」とか「ゴキブリ入りのコーヒーもコーヒーですよね」と言われた結果として,(たとえば「つまらない屁理屈を言う人もいるもんだな」という徒労感とともに) はじめて,それらが「例外」であったことが意識されるのです.

「例外」のみに着目する対処法には,更に本質的な問題があります.それは,「あたりまえなもの(=例外的ではないもの)」の「例外的なふるまい」を記述することができない,という問題です.たとえば,この連載の第2回目に確認した「ゴキブリの入っていないコーヒー」の問題を思い起こしてみましょう.「ゴキブリの入っていないコーヒー」は,よく考えてみるまでもなく「あたりまえなコーヒー」であるはずです (でなければ困ります).そして,わたしたちが好むのが「あたりまえなコーヒー」なのだとしたら,「ゴキブリの入っていないコーヒー」を好まない理由は, 何一つ存在しないことになってしまいます.しかしわたしたちの多くは,「ゴキブリの入っていないコーヒー」と言われることで,確かに嫌な感じを受けるのです.

この問題も,やはり,「注意の範囲」という構造を明示することで説明されるべき問題であるように思われます.おそらくわたしたちの多くは,「ほんとはこのコーヒーにゴキブリが入っていない保証なんかないんだよね,入っているときは入っているんだよね」ということを(たとえその時意識していないにせよ)どこかで認めているのかもしれません.であるがゆえに,「ゴキブリの入っていないコーヒー」と言われることで,ゴキブリの入っている可能性を意識せざるをえなくなってしまうのです.つまり,考えたくもない可能性が(そして決して否定できない可能性が) 無理矢理「注意の範囲」に入ってきてしまうのです.

このような「注意の範囲」という構造を捉えるには,そして,これまでここで扱ってきた表象の枠組みが有効に機能します.次回は,今回少し触れた,シークエント計算という枠組みを導入することで,表象の枠組みにおいてこれらの問題をどのように表現できるかということを確認してゆきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2009年5月25日

推論の非単調性(1) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:12

これまで,この連載3回分を通してわたしたちは,表象作用のきめの細かさを,状態空間という枠組みを用いることで確率的な問題として表現する方法を確認してきました.前回はそして,この表現方法が,実際に確率的な問題を表現しうる特徴を備えていることを大雑把に確認しました.今回は,この枠組みを用いることで,通常の確率的な枠組みでは表現することの難しい われわれ自身の認識のあり方の特徴を浮かび上がらせたいと思います.

ところでわたしたちは,この連載の第2回にある選択問題を考えました.コーヒーかオレンジジュースを選ぶ選択問題です.ただしこれらの選択肢には,普通ではないところが1つありました. つまり,片方の選択肢にのみ以下のような「嫌な」説明がついていたのです.

選択問題1:aとbのどちらが飲みたいですか?
a:オレンジジュース
b:ゴキブリは入っていないコーヒー

そして,コーヒーの方が好きだと事前に答えた被験者の多くが,この選択問題ではオレンジジュースを選択したのでした.

多くの人にとっておそらく共感できるだろうこの被験者の行動を 理論的にも納得のできる形で理解することが意外に難しいことを,わたしたちはこの回に確認しました.そこで指摘したポイントの1つに,情報の問題がありました.つまり,「ゴキブリは入っていない」という説明を字義通り受け取るなら, 多くの場合その情報量は0に等しいと考えることができます.というのも,それはごく当たり前の情報に過ぎないからです.にも関わらず多くの被験者は,この情報の有無に従って,自身の選択行動を変更したのです.つまり,情報量が0の情報によってわたしたちは判断を変えることがありうるという事実を示す例として,この結果を解釈することができるのです.

ところで,「ゴキブリは入っていない」という情報が情報量を持たないとみなすことが妥当であるためには,ある前提が必要になります.「コーヒーにはふつうゴキブリは入っていない」という前提です.この前提は,たとえば日本という環境の下では,多くの場合当たり前すぎて意識すらしない前提であると言えると思います.しかし,これは必ずしも常に満たされている条件ではありません.実際,ゴキブリが平気で這い回っているような環境はありますし,そのような環境下でなら,この情報は,それに対価を支払うだけの情報量をもつ情報とみなされることすらあるでしょう.つまり,この情報の情報量を0とみなすことが妥当であるためには,コーヒーにゴキブリが入っていないことが当たり前の事柄として前提される必要が存在するのです.

ある情報を(意識すらしない程度にまで)当たり前のものとみなすこと.これは,わたしたちが意思決定の過程を単純化するために,日常的に(ほとんど無意識のうちに)行っている行為であると言えると思います.実際わたしたちは,コーヒー一つ選ぶ際に,ゴキブリやネズミ, あるいは他の予想すらできない異物たちが混入していないかどうか いちいち確認することはないでしょうし,そもそもそのような可能性を考えることすらしないでしょう.それらは,敢えて意識するまでもなく「当たり前」に満たされているべき条件として 無視されているからです.しかし,このようなわたしたち自身の認識行為は,決して形式的に「当たり前」の構造をもつわけではありません.その奇妙な特徴を浮かび上がらせるために,次に,先の選択問題を単純化した以下の選択問題2を考えてみたいと思います.

選択問題2:aとbのどちらが飲みたいですか?
c:オレンジジュース
d:ゴキブリの入ったコーヒー

ここで,被験者がどちらの選択肢を選ぶか考えてみましょう.この答えは簡単でしょう.というのも,おそらく殆ど全ての被験者がcを選ぶだろうことが予測できるからです.ゴキブリの入った飲み物を飲みたいとは誰も思わないでしょうし,それはどの被験者にも共通するだろうからです.

しかし,この問題はよく考えると,奇妙な「ねじれ」を含んでいることが分かります.事前にコーヒーを選択した被験者の立場に立って考えてみましょう.「コーヒー」というタイプそのものには, 「ゴキブリが入っていないこと」は含まれていません.このため,わたしたちは「コーヒー」に「ゴキブリが入っていない」ことを 事前に知ることはできません.それゆえここには,不確実性が存在してると考えることができます.にもかかわらず被験者は,おそらく,そのような可能性を事前に思い浮かべることはせずに「コーヒー」を選択していたのです.わたしたちはむしろ,「ゴキブリが入っている」という情報を与えられることではじめて,そのような危険性が存在していたことに気付かされたと言うべきでしょう.つまり,情報が与えられることで,これまで意識せずにいた不確実性に逆に気付かされる,という「ねじれ」がここには存在するのです.

この「ねじれ」がどのように現れるかより厳密に確認するため,次に, この選択問題を,状態空間によって表現し直してみたいと思います. まず,ベンチマークとして,オレンジジュースとコーヒーのどちらが好きか聴かれた時点での観察を確認します.これは,以下のような観察O0で表現することができます.

|=O0 オレンジジュース コーヒー
a 1 0
b 0 1

この観察O0においては,どちらの選択肢も 「オレンジジュース」と「コーヒー」以外のタイプをもたない点に注意して下さい.

この観察O0から,そして,前回までに確認したとおり,以下の状態空間Ssp(O0)を構成することができます.

イメージ

ここで注意していただきたい点は,この状態空間Ssp(O0)の下では,「オレンジジュースであり,コーヒーではない」状態と「コーヒーであり,オレンジジュースではない」状態のみが実現されている点です.とりわけ,「コーヒーであり,オレンジジュースではない」状態が 選択肢bによって実現されている点に注意して下さい.

次に,選択問題2においてなされている観察を確認します.選択問題2において被験者によって思い浮かべられる観察は,以下のO2で表現することができます.

|=O2 オレンジジュース コーヒー ゴキブリ入り
c 1 0 0
d 0 1 1

そして,この観察O2から,同様にして,以下の状態空間Ssp(O2)を構成することができます.

イメージ

さて,それではこの状態空間Ssp(O2)の構造を,先に与えられた状態空間Ssp(O0)と比較してみましょう.まず確認できることは,この状態空間Ssp(O2)が Ssp(O0)よりもきめ細かく分割されていることです.つまり,状態の集合ΩO0はオレンジジュース」と「コーヒー」という2つのタイプに従って4分割されていたのに対し,ΩO2は「ゴキブリ入り」というタイプを加えた3つのタイプで8分割されています.たとえば,以下の図で紫色の線で囲われた「コーヒーであり,オレンジジュースではない」状態は,

イメージ

Ssp(O2)の下では,「ゴキブリ入りのコーヒーであり,オレンジジュースではない」状態と「ゴキブリの入っていないコーヒーであり,オレンジジュースではない」状態の2つに細分化されていることが分かります.

イメージ

つまり,より多くのタイプに従って細かく特定されることによって,Ssp(O2)上では,Ssp(O0)上で1つの領域を構成していた状態が,2つの状態へと細分化されているのです.

ここで,事前に与えられた選択問題においてわたしたちが,これらの選択肢をどのように認識していたか 思い起こしてみましょう.日本という環境の下でわたしたちは「コーヒーにゴキブリが入っていない」ことを 当たり前とみなしているだろうことを確認しました.これは,この図式を用いることで以下のように表現することができます.つまり,「コーヒー」なる選択肢によって実現されているのは,「ゴキブリが入っていないコーヒーであり,オレンジジュースではない」状態のみである.「ゴキブリが入っている」方の状態は暗黙のうちに「例外」として排除されているのだ,と.つまり,以下で図示したように,この選択肢によって実現された状態からは,斜線で示された「ゴキブリが入っている」方の状態が暗黙のうちに排除されていた,あるいはそもそも「意識されていなかった」と解釈することができるのです.

イメージ

このように考えることで,そして,指摘されることではじめてその危険の存在に気付く情報構造の「ねじれ」を整合的に理解することができます.つまり,「ゴキブリ入り」というタイプが示すのは,コーヒーに「ゴキブリが入っている」という予め予想された不確実性を解消する事実ではおそらくありません.むしろ,「コーヒーであり,オレンジジュースではない」状態そのものから暗黙のうちに排除され,人々の意識から隠蔽されている「ゴキブリが入っているかもしれない可能性そのもの」の存在に気付かせてくれる点こそが重要なのです.つまり,その「可能性」の存在そのものをそもそも考えていなかったからこそ,わたしたちは「ゴキブリが入っているかもしれないコーヒー」を一度は選択することができたのであり,同時に,選択肢dを示されることでその危険性の存在に気付くことも可能であったのです.

このような「可能性」の存在は,また,「ゴキブリ入り」といったタイプに従って状態空間を再構成することでしか見いだすことができない構造である点にも注意が必要です.実際,状態空間Ssp(OO2)上で明示されている 「ゴキブリが入っているコーヒーであり,オレンジジュースではない」状態,いわば「ふつう」ではない状態の存在は,状態空間Ssp(OO0)の下では隠蔽されてしまっています.そして,「コーヒーにゴキブリが入っていない」ことが当たり前とみなされる限り,この可能性の存在そのものがわたしたちの意識に上ることはありません.選択問題2のように,その危険が明示されることを通じてわたしたちははじめて,「コーヒーであり,オレンジジュースではない」状態から暗黙のうちに排除されていた 「ふつう」ではない状態の存在に気付くことができるのです.

ところで,今回確認した問題は,認知心理学や人工知能研究,論理学の分野などで「非単調推論」の問題として知られる現象と同じ特徴をもつと考えることができます.次回は,今回扱った問題を,非単調推論という視点からもう一度整理してみたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2009年4月25日

表象と状態空間 (3) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:11

前回と前々回の2回にかけてわたしたちは,表象のきめの細かさという問題を別の視点から捉え直すために,「状態空間」と「解釈」という概念を導入してきました.そして前回,ある状態空間から別の状態空間に解釈が存在することと,それらの状態空間をつくる2つの分類の間に情報射が存在することが一致することを,ごく大雑把に確認しました.今回は,前回導入したこの解釈を用いることで,チャンネルと表象をどのような視点から新たに見ることができるようになるか 確認してゆきたいと思います.

さっそく前回確認していた問題に戻りたいと思います.前回わたしたちは,第8回に確認した「みかん」であることしか分からないトークンzについて考えていました.このトークンzについては,第8回に確認したのと同様のチャンネルを形成することで,それが「すっぱい」か「すっぱくない」か判別できないことを確認することができます.

イメージ

このチャンネルでは,トークンzが,BEというコアを媒介することで,「酸味」のあるトークンhと「酸味のない」トークンkの両者に 接続されていることが分かります.このことから, トークンzを「酸味」があるかないか判断できないエージェントの認識が,このチャンネルによって表現されていると考えることができたのでした.

このチャンネルは,そして,解釈を用いることで,以下のように表現し直すことができます.

イメージ

解釈の復習も兼ねて,この図式が解釈を形成していることを,改めて確認してみましょう.ΩO'からΩBEへの関数fが解釈を構成していることは前回確認しましたので, ここではΩSからΩBEへの関数gが解釈を構成していることを確認します.関数gは,ΩSのタイプ「酸味」を,ΩBEの同じタイプ「酸味」へ写しています.これが,ΩSとΩBEの間の緑色の点線で示されています.この関数gが解釈であるためには,そして,ΩS上で実現されていない状態〈Γ,Δ〉について,それをΩBEの上にgで写し,ΩBE上のパーティションに細分化して得られる全ての状態がやはり実現されていない必要がありました.ところで,ΩSを状態の集合とする状態空間Ssp(S)は,実現されていない状態を1つも含みません(これはΩSが紫色の領域を含まないことから確認できます).このため,ΩSからΩBEへの関数は べて解釈を形成することが分かります.もちろんgもそうした関数のうちのひとつですから,gが解釈であることがここから確認できます.

次に,このチャンネルが,エージェントのどのような確率的な認識を 表していると考えることができるか確認してみましょう.ここでエージェントが知りたいと思っているのは,目の前の観察されたトークンであるみかんが「すっぱい」かどうか,という情報でした.つまりこのエージェントは,「すっぱい」か「すっぱくない」か,という2つの状態に従って世界を分割していると考えることができます.そしてこの状態空間が,図の一番上に描かれたΩSによって表現されているのでした. これに対して,観察によって与えられたのは,目の前のトークンが「みかん」である,という 「すっぱさ」とは独立した情報のみでした.この状態空間が,そして,図の一番下に描かれた ΩO'によって表現されています.そして,これら2つの独立した状態空間の間にある特定の関係を形成する働きをなしているのが,この2つの状態空間の間に位置した状態空間ΩBEです.

ΩBEをみてまず最初に気付くことは,他の2つの状態の集合に比べて,実現されていない紫色の領域が大きい点にあります.これは,ΩBEに属する状態が,より多くのタイプに従って細分化され細かく特定されているため,状態を実現するトークンの数が同じでも,その全体に占める割合が小さくなっていることによります. つまり,トークンeにしろbにしろ,ただの「みかん」ではなく「青くて酸っぱいみかん」や「甘いみかん」といった,より詳しい情報をもった状態のみを実現することになるため,全体に占める実現された状態の割合が少なくなってしまうのです.しかし他方で,このように細分化されていることが, ΩBEのもつ情報量を増やしてもいます.

たとえばΩO'の上で「みかん」である状態を実現しているトークンzは,それが「青い」かどうかという点や,「甘い」かどうかという点については何の情報も与えてくれません. ここから分かるのは,「青いみかん」や「青くないみかん」,あるいは 「甘いみかん」や「甘くないみかん」といった状態は,いずれも等しく実現されうるという可能性だけです.これに対し,ΩBE上の状態は異なります.第7回で与えた過去の経験を文脈として形成されたこれらの状態は,「みかん」として過去に実現された状態が,トークンeによって実現された「青くてすっぱいみかん」という状態と,トークンbによって実現された「甘いみかん」という状態の2種類に限られることを教えてくれます.つまり,ΩBE上ではこれらの特定の「みかん」のみが実現されたことが分かるのです.

この状態空間ΩBEを媒介することで,そして,観察されたトークンzのもつ情報を補うことが可能になります.つまり,「みかん」として過去に実現されたものは「青くてすっぱいみかん」と「甘いみかん」の2つだけであったという経験から,この「みかん」であるトークンzは,「青くてすっぱい」か「甘い」かのどちらかであるに違いない,という帰納的な判断を下すことを可能にするのです.

同様にして,「すっぱい」か「すっぱくない」か,というΩSに属する状態の情報を補うこともできます.つまり,「すっぱい」ものとして過去に実現されたものは「青くてすっぱいみかん」だけであり,「すっぱくない」ものとして実現されたものは「甘いみかん」だけであったというそれぞれの経験から,「すっぱい」ものであるトークンhは「青くてすっぱいみかん」であるトークンeに対応し,「すっぱくない」ものであるトークンkは「甘いみかん」であるトークンbに対応するだろうことを,それぞれ判断することを可能にするのです.

これらの判断を媒介することで,そして,「みかん」であることしか分からないトークンzと, 「すっぱい」トークンh,および「すっぱくない」トークンkの間に, 概念を媒介した関係を形成することが可能になります.つまり「青くてすっぱいみかん」であるトークンeによって媒介された関係と, 「甘いみかん」であるトークンbによって媒介された関係です.図の中では,これらの関係が,上下に伸びた矢印で示されています.そして,これらの関係から,トークンzについて, それが「すっぱい」可能性と「すっぱくない」可能性の両者がありうることを推論するある種の確率的判断を下すことが可能になるのです.

さて,それではここで,このチャンネルによって表現された判断の特徴を確認しておきたいと思います.この判断をある種の確率的な判断として捉えるとき,チャンネルの興味深い特色が見えてきます.その最も際立った特徴は,この確率的な判断が,エージェント自身の認識に従ってなされている点にあります. たとえば「みかん」という情報は,「酸味」や「甘味」といった情報とは本来なんの関係も持ちません.これらはそもそも,互いに独立した情報であると考えることができます.しかし,上記のチャンネルを通じてこのエージェントは,この「みかん」という情報から,「酸味」や「甘味」についての情報を引き出しているのです.つまり,このエージェントは,過去の経験から形成された概念を媒介することで,本来無関係の情報の間にあるチャンネルを形成しているのです.

概念を媒介として形成された判断であるということは,同時に,媒介として用いる概念が異なれば,下される確率的判断が変わることも意味しています.つまり,これまでになされてきた過去の観察が異なったり,あるいは,エージェント自身の認識が変わることで,下される確率的な判断も異なってくるのです.

また,ここで下されている判断が確率的な判断である限り,「酸味」とは独立な情報であっても,それが過去の経験と何らかの関係をもつ限り,それらの情報が増えることで判断をより細かくすることも可能になります.つまり,望ましい状態を実現する可能性を,よりきめ細かく判別することが可能になるのです.

たとえば,第7回に確認した,「青いみかん」として観察されたトークンxを思い出しましょう.このトークンxには,トークンzがもつ「みかん」という情報に加え 「青い」という情報が加わっています.「青い」という情報そのものは「酸味」と独立した情報であるという点で「みかん」から分かる以上の情報を含んでいるわけではありません.しかし,この「青い」という情報が, エージェントの認識にとっては大きな意味を持つことになります. というのも,このエージェントは,「みかん」として実現された状態として 「青くて酸っぱいみかん」と「甘いみかん」の存在しか知らないため,「青い」という情報をこの過去の経験と照らし合わせることで,トークンxが「すっぱい」だろうことを推論できるようになるからです.このエージェントの認識は,そして以下の図で表現することができます.

イメージ

このように,チャンネルとして表現された確率的な判断は,その判断の土台となる状態とは無関係な情報についても, 過去の経験によって培われた概念を媒介することで,両者の間に関係を形成し,情報構造を絞り込むことを可能にするのです.

次回は,この図式を用いることで,より人間的な特徴をもつ確率的判断について考えてみたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2009年3月25日

表象と状態空間(2) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:10

さて,ここで三たび第7回と第8回でどのような状況を考えていたか思い出しましょう.わたしたちは,果物屋の店先で どのみかんが,すっぱいか,すっぱくないか判断しようとしていたのでした. このような状況は,状態空間の考え方に照らしてみるなら,果物屋の店先に並ぶ果物たちを,「すっぱいもの」と「すっぱくないもの」の2種類の状態によって整理しようとする行為として考えることができます.つまり,目の前のすべての果物たちを,これらの状態のどちらかに必ず関係づけることができる,というある種の確率的判断のもとに観察していると考えることができるのです.そしてこのような認識は,頭の中に思い描かれたイメージSから,以下のような状態空間Ssp(S)を構成することとして表現することができます.ただしここでは,「すっぱい」で〈{酸味},0〉という状態を,「すっぱくない」で〈0,{酸味}〉という状態を,それぞれ略記している点に注意して下さい.

|=S 酸味
h 1
k 0
 
|=Ssp(S) すっぱい すっぱくない
h 1 0
k 0 1

また,これらの状態の集合をΩSと表すことで,この状態空間Ssp(S)を以下のように図示できることも前回確認しました.ただしここでは,状態の集合の中に想像されたトークンを直接書き入れることで表記を簡略化している点に注意して下さい.

イメージ1

わたしたちが果物屋の店先で考えていた問題は,そして,観察されたそれぞれのトークンが, この状態空間のどの領域に属すると判断されるべきか,という問題として表現し直すことができます.つまり,それが「すっぱい」のか「すっぱくない」のか,あるいはどちらの可能性も排除できないのか, といった最も素朴な確率的な判断としてです.以下では,そこで,第7回と8回で確認したそれぞれの表象作用において,それぞれのトークンがどの領域に属すると判断されていたか確認してゆきたいと思います.

ここではまず,第8回に検討したトークンzから確認してみたいと思います.トークンzについての観察O’は,以下で与えられていました.つまり「みかん」であることのみが分かるようなトークンです.この観察から,これまでと同様にして状態空間Ssp(O')を形成することができます.

|=O' みかん
z 1
 
|=Ssp(O') ミカン ミカンじゃない
z 1 0

ただし,ここでも同様に,〈{みかん},0〉という状態を「ミカン」で,〈0,{みかん}〉という状態を「ミカンじゃない」で, それぞれ略記しています.

この観察O’も,Sの場合と同様に,状態の集合ΩO'を用いることで以下のとおり図示することができます.ただしここでは,紫色の部分が「実現されていない状態」,つまり,それに対応するトークンが存在しない状態に対応します.

イメージ2

第8回で確認した表象作用は,そして,この観察O’と イメージSの間に形成されるチャンネルによって表現されていました.そのチャンネルを形成するための核を形成していたのが,そして, 概念BEから形成される分類BEでした.つまり「みかん」を内包に含む概念から形成される分類BEです.このBEについても,これまでと同様にして,状態空間Ssp(BE)を形成し,図示することができます.これらは,それぞれ以下で与えられます.ただし,この状態空間Ssp(BE)の分類表は,大きくなってしまうので,それぞれのトークンによって実現された状態のみをタイプとして用いています.また,状態の集合ΩBE上では,緑色とオレンジ色をした領域のみが「実現された状態」に対応している点にも注意して下さい.

|=BE 青い 甘味 酸味 みかん
b 0 1 0 1
e 1 0 1 1
 
|=Ssp(BE) 0101 1011
b 1 0
e 0 1

イメージ3

表象作用を記述するためには,次に,これらの状態空間の間に「情報射」に対応する関係を 導入する必要があります.つまり,たとえばO'からBEに情報射が存在することと一致する ΩO'からΩBEへの関係です.ここではこの関係を,以下のような特徴をもつ「解釈」という関数で与えます.

状態空間Ssp(A)のタイプtyp(A)から状態空間Ssp(B)のタイプtyp(B)への関数fが 以下の条件を満たすとき,fをSsp(A)からSsp(B)への解釈とよぶ.

条件:Ssp(A)の状態〈Γ,Δ〉が実現されていないなら, f[Γ]⊆Λおよびf[Δ]⊆Θ を満たすSsp(B)の全ての状態〈Λ, Θ〉も実現されていない.

この定義からなかなかすぐには分かり辛いかもしれませんが,ある分類AからBへ情報射が存在することと,それぞれの分類から形成された状態空間Ssp(A)からSsp(B)への解釈が存在することは一致します.なぜ両者が一致していると言えるのか,ここでは, 図を用いてごく大雑把に確認したいと思います.下に,例として,状態空間Ssp(O')からSsp(BE)への解釈fを図示しました.

イメージ4

ここで赤い点線で示されているのが,O’のタイプ「みかん」をBEのタイプ「みかん」にそのまま移すことで構成される解釈fを表しています.状態空間における解釈は,このように,ある状態空間を区分けする線を,もう1つの状態空間を区分けする線に対応させることと考えることができます.

fが解釈を形成していることは,そして,次のようにして確認することができます.まず,ΩO'において実現されていない状態の領域に注目します.これは,既に確認した通り,紫色に塗られた領域,つまり「みかん」というタイプによって区切られた「ミカンじゃない」状態のみによって構成される領域に対応します.次に,この領域がfによって移された先のΩBE上の領域を確認します.これは,やはり「みかん」というタイプによって区切られた赤い境界線よりも左下の領域,8つの状態によって構成される領域に対応することが分かります.そして,この図を見る限り,この領域が,ΩO'の場合と同じように,全て紫色に塗られていることが分かります.つまり,「ミカンではない」状態に対応するΩBE上の8つ全ての状態が,やはり実現されていないことが確認できます.このことによって,fが解釈を構成していることが確認できるのです.

解釈が成立しているのであれば,そして,この解釈をもとに情報射を構成することが簡単にできます.ΩBEのもとで実現されている状態のトークンを,ΩO'のもとで実現されている状態のトークンにそれぞれ対応させればよいのです.このように構成されたトークン上の関数をfとし,f=fとすれば,fとfの対が情報射を構成することが分かります.解釈に求められている条件は,つまり,ΩO'上に,ΩBEで実現されている状態に対応する 実現された状態が必ず存在することを保証するための条件と考えることができるのです.

ここでは念のため,解釈を形成しない例も確認しておきましょう.たとえば,以下で図示された関数gは,ΩO'からΩBEへの解釈を形成しません.

イメージ5

gは,先ほどのfと異なり,「みかん」というO'のタイプを「酸味」というBEのタイプに移す関数です.このため,ΩO'を左上から右下に切るタイプの境界線が,先ほどの図と異なりここでは,ΩBEを左下から右上に切る「酸味」に相当するタイプの境界線に移されています.そして,g が解釈を構成するためには,ΩBE上の「すっぱくない」すべての状態が 実現されていない必要があります.ところが,ΩBE上には,bというトークンが存在しています. そしてこのトークンは,「甘くて酸っぱくも青くもないみかん」に対応する状態「0101」 を実現してしまっています.このため,gは解釈を構成することができないのです.これは,bからΩO'上の実現されたトークンへ,情報射を構成する関数を構成できないことからも確認することができます.

さて,本来であれば今回は,状態空間を使ってチャンネルを記述するところまで行きたかったのですが,すでに大分長くなってしまいましたので,チャンネルについては次回改めて扱いたいと思います.ここでは最後に,数学的な関心をお持ちの方だけに興味をもっていただけるだろう 「解釈」の性質について紹介しておきたいと思います.今回導入した「解釈」という概念は,以前に導入した「情報射」という関係概念に新たな表現を与えるものでした.しかし,「情報射」の表現方法はこれだけに留まるものではありません.実は,数学的にもっと親しみのあるだろう「連続関数」という概念としてそれを表現することも可能です.つまり,この状態空間上に,これまでに導入した概念によって位相を導入することで,「情報射」を「連続関数」として表現することが可能なのです.このような解釈は,そして,異なる文脈における「意味の連続性」といったことを, 直感的にも,そして数学的にも納得できる形で表現することを可能にしてくれます.この点については,この先に,一段落した頃,改めて紹介したいと考えています.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2009年2月25日

表象と状態空間 (1) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:9

前回と,前々回の2回に分けてわたしたちは,概念と表象の関係について確認してきました. 特に前回は,「すっぱいみかん」を例にして表象のきめの細かさの問題を確認しました.今回と次回は,この表象のきめの細かさの問題を,「状態空間」という,物事を確率的に捉えようとするときの土台にもなる考え方と照らし合わせることで確認してみたいと思います.

まず最初に,状態空間とはなにか確認しておきましょう.状態空間をここでは,ある特殊な分類によって捉えます.つまり,それぞれのトークンaが厳密に1つのタイプαのみをもつ分類,すなわち,それぞれのトークンaに対し,a|=Aαが成立するαが唯一存在する分類Aを状態空間とよびます.そして,この状態空間のタイプを「状態」とよびます.

ところで,状態空間というと,通常「ありうる可能性のすべてを列挙したリスト」などと説明されることが多いと思います.そして,その例として天気をあらわした集合{晴れ,雨,曇り}などが 挙げられます.しかし,このような要素は,ここでの「状態」を必ずしも構成しません.たとえば「天気雨」に相当する出来事をトークンaで表すものとします.このときこのトークンaは「晴れ」と「雨」という2つのタイプを持ってしまいます.このように「晴れ」や「雨」というタイプは,「天気雨」に対応する出来事を唯一のタイプで表現することができないため,状態を構成することができないのです.このように,1つの出来事を説明するのに2つのタイプが必要とされてしまうようなタイプを,ここでは状態とはみなさないことに注意して下さい.たとえば「薄曇り」といったタイプも,それをタイプとして持つことで「曇り」という他のタイプをももつことになるため,やはり状態にはなりません.

このように考えてみると,一般に状態の集合を考えるのはとても難しいような気がするかもしれません.というのも,それぞれのトークンを唯一のタイプで説明することは,普通に考えると困難であるように思われるからです.しかし,この問題は簡単に解決することができます.1つの解決策は,「天気雨」のような出来事を考えない,というものです.ただ,これではあまり生産的ではありません.そこでここでは,どのような出来事がトークンとして与えられた場合にでも状態空間が作れる,一般的な方法を確認しておきます.

まず適当に与えられた分類Aを考えます.このとき,Aのタイプ全体の集合を2つの背反な部分集合に分けた順序対を,typ(A)の2項パーティションとよぶことにします.つまり,Γ∪Δ=typ(A)とΓ∩Δ=0が成立するとき,〈Γ,Δ〉をtyp(A)の2項パーティションとよびます. そして,この2項パーティション〈Γ,Δ〉をタイプとし,Aのトークンaをトークンとする分類を考えます.ただしトークンとタイプの間の2項関係を以下で与えます.

a|=Ssp(A)〈Γ,Δ〉⇔typ(a)=Γ

ただし,typ(a)で,aのもつ全てのタイプの集合,つまり,typ(a)={α∈typ(A)|a|=Aα}を表すものとします.そして,このように構成された分類を,Aから形成された状態空間とよび,Ssp(A)で表します.また,Aのタイプの全ての2項パーティションで構成される集合を,Aから形成された全ての状態の集合とよび,ΩAで表します.

さて,それではある分類からその状態空間がどのようにして形成され,それぞれの状態が具体的にどのような状態を示しているのか,例に沿って確認してみましょう.ここでは,分かり易いように,先に例として用いた天気を表した以下の分類をもとにして確認することにします.

|=天気 晴れ 曇り
a 1 0 0
b 0 1 0
c 1 1 0
d 1 0 1

まず最初に,この分類を確認しておきましょう.トークンaは「晴れ」に対応する出来事であることが分かります.これは,aがタイプとして「晴れ」のみを持つことから確認することができます.同様にして,bが「雨」に対応する出来事であることも分かります.これに対しトークンcは「晴れ」と「雨」の2つのタイプを持つことが分かります.ここからcは,「天気雨」のような出来事に対応することが分かります.更にdは,「薄曇り」のような天気に対応すると考えることができます.そして,トークンcとdが,それぞれ2つのタイプをもつことから,この天気の分類が状態空間を構成しないことが確認できます.

次に,この分類から形成される状態空間Ssp(天気)を考えます.これは,以下の分類によって表現されます.

|=Ssp(天気) 111 110 101 100 011 010 001 000
a 0 0 0 1 0 0 0 0
b 0 0 0 0 0 1 0 0
c 0 1 0 0 0 0 0 0
d 0 0 1 0 0 0 0 0

ただし,ここではタイプを略記している点に注意して下さい.例えば「100」というタイプは,〈{晴れ},{雨,曇り}〉を表しています.つまり,「100」の左端の桁が「晴れ」, 真ん中の桁が「雨」,右端の桁が「曇り」に,それぞれ対応しています.そして,たとえば左端の値が「1」である場合,このタイプは「晴れ」をタイプとして含むことを表し,順序対〈Γ,Δ〉の左側の「Γ」に「晴れ」が含まれることを意味します.同様にして,値が「0」の場合には, このタイプが「晴れ」をタイプとしてもたないことを表し,右側の「Δ」に含まれることを意味します.つまり,「100」というタイプは,左端の「晴れ」というタイプのみが「Γ」に含まれ, 「雨」と「曇り」というタイプは「Δ」に含まれることを意味し,「晴れ」であり,かつ「雨」でも「曇り」でもない状態を表していることが分かります.このようにして,このタイプが〈{晴れ},{雨,曇り}〉という状態を 表していることが確認されます(また 「100」という値が,天気の分類のトークンaの行の値と一致している点にも注意して下さい).

イメージ

そして,以上から,この分類Ssp(天気)の全てのトークンが,ただ1つのタイプのみをもち,この分類Ssp(天気)が実際に状態空間を構成することが確認できます.

さて,このようにして状態空間を考えると,天気に関わる出来事をすべてただ1つの状態によって説明できるだけでなく,あらゆる事柄を状態の集合Ω天気に属する 1つの状態によって説明できることが分かります.具体的に考えてみましょう.「晴れ」や「天気雨」が唯一の状態によって説明されることは既に確認しました.それでは「雪」はどうでしょうか?これは「晴れ」でも「雨」でも「曇り」でもないので,「000」というただ1つの状態によって表現することができます.更にこの状態空間は,天気とは関係ない事柄を表すこともできます.たとえば「犬」といった個体です.これもやはり「晴れ」でも「雨」でも「曇り」でもありません.ですから,これもやはり「000」という同じ状態によって表現することができます.このように,この状態空間は,それが分類で表現される限り,すべてのトークンに対して唯一の状態を対応させることを可能にするのです.

それでは,この状態空間によって表象作用を捉えることでどのようなことが見えてくるか, という点が重要なのですが,この問題については次回詳しく扱うことにします.ここでは最後に,この状態の集合Ω天気の図示の仕方を確認しておきます. この集合は,たとえば以下のような図で表すことができます.ただし,個々の状態が「点」ではなく「領域」で表されている点に注意して下さい. たとえば〈{晴れ,雨,曇り},0〉で表される状態は「111」の領域で,〈{曇り},{晴れ,雨}〉で表される状態は「001」の領域で,それぞれ表されています.

イメージ

そして,状態を「点」ではなく「領域」として捉えることが,われわれ自身の認識のあり方を捉えるとき,非常に重要な役割を果たすことになります.

この状態の集合Ω天気を用いることで,また,状態空間Ssp(天気)を,以下のように図示することができます.

イメージ

ここで斜線がひかれている状態は,対応するトークンが存在しない状態を表します.これらの領域には,たまたま対応するトークンが存在しない状態も, そもそも対応するトークンが存在すると思えない状態も区別なく含まれます.たとえば〈0,{晴れ,雨,曇り}〉を表す状態「000」は,対応するトークンをもちません.しかしこの状態に対応するトークンは,先に確認した通り,想像することができます.これに対し,「晴れ」であり「雨」であり,かつ「曇り」であるような状態 「111」に対応するトークンは,なかなか想像することが難しいと思います(ないとは言い切れない気がしますが).しかしこの斜線の領域は,これらの状態をすべてひとまとめにして含んでいるのです.

これに対し,〈{晴れ,曇り},{雨}〉という状態には,それに対応するトークンが存在します. つまりトークンdが,この状態に対応していることが分かります.このことは,この領域とdを結ぶ線が存在することによって示されてもいます.このように,その状態に対応するトークンをもつ状態を, その状態に対する現実の対応物が存在するという意味で「実現された状態」とよび, その全体の集合をΩR天気で表します.なお,この状態空間Ssp(天気)には,図から明らかな通り 「110」「101」「100」「010」という4つの実現された状態が存在します.

今回は,状態空間という枠組みを導入し,その性質を確認してきました.次回は,この枠組みを用いることで,表象作用のもついくつかの特徴を浮かび上がらせてゆきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2009年1月25日

概念と表象 (2) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:8

前回わたしたちは,表象作用において果たす概念の役割を,やや駆け足で確認しました.今回は,前回十分に触れることのできなかった側面について,より詳しく確認してゆきたいと思います.

前回考えていた例は,次のようなものでした.わたしたちは,くだもの屋の店頭で「すっぱくないみかん」を探していたのでした.ただし,店頭ではみかんの外見しか判断できません.このため,どれが「すっぱくない」か直接観察することはできません.しかしわたしたちは,このとき 「青くてすっぱいみかん」に対応する概念〈e,青酸み〉を持っているならば,少なくとも「青いみかん」は「すっぱい」と想像できるだろうと考えたのでした.そして,この想像力の作用を,「青いみかん」であるトークンを 頭の中に思い描かれる「すっぱい」もののイメージと接続する概念〈e,青酸み〉の働きによって記述し, これを表象作用の地盤とみなすことにしたのでした.

さて,前回は先を急いだため詳しく触れることができませんでしたが,前回記述した表象のあり方をわたしたちは,1つの特殊ケースと考えることができます.つまり,表象する対象が唯一に絞り込まれる表象のあり方,という意味においてです.表象する対象は,一般には唯一に絞り込まれるとは限りません.多くの場合それは複数存在します.つまり,与えられた情報が十分にきめ細かくない場合, 何を表象できるのかがハッキリしない場合が存在するのです.このような一般的な表象のあり方は,十分な情報を含まない観察を考えることで容易に確認することができます.今回はそこで,まず「みかん」という大雑把なタイプしかもたないトークンのみによって構成される観察O’を考えることで,一般的な表象のあり方を確認したいと思います.観察O’の分類表は以下で与えられます.

|=O' みかん
z 1

次に,分類Aの文脈の下で形成される形式概念を思い出しましょう.これは,以下のハッセ図で与えられていました.

イメージ0

これらの概念のうち,「みかん」を内包に含むのは,外延が空集合ではない概念に限れば〈e,青酸み〉,〈b,甘み〉,〈be,み〉の3種類であることが分かります.つまり「青くてすっぱいみかん」「甘いみかん」「みかん」という内包をもつ概念です.トークンzのもつ「みかん」という情報だけでは,そして,これら3つの概念のどれを用いるのが適切であるか判別することができません.つまり,それが「青くてすっぱいみかん」なのか「甘いみかん」なのかが判別できないのです.それゆえ,トークンzを通じて表象される対象は,これら3つの概念によって実現されうる複数の可能性を含むことになるのです.しかし他方で,これらの概念を用いる限り,それが「青くて甘いみかん」である可能性が思い浮かべられることはありません.というのも,そのような概念がここには含まれていないからです.それゆえ,トークンzを通じてなされる表象においては,この3種類の概念と整合的であるもののみを検討すればよいことが分かります.

注目すべき概念が定まれば,そこから形成される分類も定まります.つまり,これら3つの概念のみを形式概念としてもつ分類が定まります.これは,以下の分類BEによって与えられます.

|=BE 青い 甘味 酸味 みかん
b 0 1 0 1
e 1 0 1 1

そして,このBEをコアとすることで,トークンzによって表象される対象を記述することができるようになります.つまり,BEをコアとするチャンネルを通じて,「甘い」イメージに対応するトークンおよび「青くてすっぱい」イメージに対応するトークンとの間に,それぞれ接続を形成することが可能になるのです.この接続を表現したチャンネルは,以下で図示することができます.

イメージ1

ここで注意していただきたい点は,前回確認したトークンxの場合と異なり,トークンzがこのチャンネルのもとで「甘いもの」のイメージmと,「青くて酸っぱいもの」のイメージlの両者に同時に接続されている点にあります.これは,「みかん」という情報しか分からないトークンzが「甘いみかん」なのか「青くて酸っぱいみかん」なのか判別できない状況を適切に表現できていると言えるでしょう.このように,概念は与えられた情報が粗い場合には一般に表象できる対象を唯一に絞り込むことができず,複数の対象を同時に表象することになるのです.

さて,それでは次に,表象のもつもう1つの特徴を確認するため,このトークンzと非常に似た構造をもつトークンyについて考えてみたいと思います.前回詳しくは検討しなかった方のトークンです.念のために確認すれば,観察Oは以下で与えられていました.

|=O 青い みかん
x 1 1
y 0 1

この分類表から分かるとおり,トークンyは 「みかん」をタイプにもつ点でトークンzと同じ構造をもつと考えることができます. しかしトークンyは,他方で「青い」をタイプに持たない点において, トークンzとは異なった構造をもってもいます.そして,この違いによって, トークンyによって表象される対象は,トークンzの場合とは異なってくるのです.この点を次に確認したいと思います.

トークンyがもつタイプは「みかん」だけです.このため,yが表象において用いることができる概念は,トークンzの場合と同様に,〈e,青酸み〉,〈b,甘み〉,および〈be,み〉の3種類です.それゆえ,観察OとイメージS’の間には,トークンzの場合と同様に, BEをコアとするチャンネルを形成することができます.このチャンネルは,以下で図示することができます.

イメージ2

この図からも明らかな通り,トークンyは,トークンzの場合と異なり,「甘い」もののイメージmにのみ接続され「青くて酸っぱい」もののイメージlには接続されていません.これは,トークンyが,「青い」というタイプをもたないことによります.つまり,「青い」というタイプをもたないため, lとの間の接続を形成することができず,「青くてすっぱい」もののイメージとの間に 接続を形成することができなくなっているのです.このことは,そして, 概念の1つの特徴を浮き彫りにします.つまり,内包に含まれないタイプが概念を絞り込むのに機能する場合がある, あるいは,それが内包に含まれないことによって概念の構造に影響を与えるタイプがある,という性質です.

たとえば「りんご」というタイプを考えてみましょう.「りんご」というタイプをもたないことは「みかん」を内包にもつ概念にとって何ら新しい情報を与えることはありません.というのもそれは分類Aという文脈の下ではすでに〈be,み〉の概念に織り込まれてしまっているため 「みかん」であることと同じ情報量しか持たないからです.これに対し「青い」というタイプは異なります.「青いみかん」と「青くないみかん」の両者が分類Aに存在するため,「青くない」ことが〈be,み〉の概念に織り込まれてはいないからです.それゆえ,「青くない」という情報を獲得することは「みかん」の概念をより細かく分割することを可能にするのです.このように概念は,その内包に明示的に現れることのない「あるタイプを含まない」という情報によって,より細かなものに分割されることがありうるのです.

それを含まないことによって概念をより細かいものに分割する ことを可能にするこれらのタイプについては,また,「そのタイプではない」というタイプを新たに作ることで,それを概念の内包に含ませることもできます.たとえば分類Aに「青くない」というタイプを導入すると,〈b,甘み〉という概念の内包は〈b,甘not青み〉へと置き換えられ,「青い」というタイプを含まないことを明示することができるようになります(ただし「not青」で「青くない」を表すものとします).こうすることで,そして,たとえばトークンyによって表象される対象の特定をより効率的にすることも可能になるのです.

さて,今回も,やや駆け足で,概念による表象作用の特徴について,いくつか確認してきました.前回と今回の2回で,表象システムの1つの柱を構成するチャンネルと, それを形成する概念の機能についてある程度のイメージをお伝えできたと思います.次回は,もう少し一般的に,概念と表象の関係について検討してみたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2008年12月25日

概念と表象 (1) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:7

前回わたしたちは「ちゃんとした概念」の定義を確認しました.それは,簡単に言うなら,ある特定の文脈において「内包と外延が一致していること」と言い換えることができるものでした.今回は,この「概念」の機能を確認します.すなわち「表象」という認識作用において果たす概念の機能についてです.

ところで,いま,「表象」という言葉を用いました.本連載のタイトルにもなっていながら今まで一度たりとも姿を現さなかった,このやや仰々しい言葉,この言葉でわたしたちが何を指し示そうと考えているのか,ここで少し説明しておく必要があるでしょう.表象という言葉は,たとえば西洋哲学において欠くことのできない概念であると言えると思います.ここではしかし,このような問題についてはひとまず立ち入らずにおきます.わたしたちが「表象」という言葉で指し示そうとしているのは,次のような認識作用です.たとえば,目の前にある「みかんの青さ」から「その酸味」を想像すること.あるいは,「夕日の赤さ」から「明日の天気」を想像すること.このように,あるものや事柄についての観察された情報から,他のものや事柄(あるいはその同じものや事柄)についての情報を推測する作用,これをわたしたちは「表象」と呼びます.そして,この表象を媒介する作用として,わたしたちは概念の機能を捉えようとしているのです.

具体的な例にそって考えてみましょう.わたしたちは,この「表象」の1つのあり方を,たとえば以下で示される概念の働きによって記述します.まず,以下のような分類Aを考えます.

|=A 青い 甘味 酸味 りんご みかん
a 0 1 0 1 0
b 0 1 0 0 1
c 1 1 0 1 0
d 1 0 0 1 0
e 1 0 1 0 1

やや大きな分類表ですが,注意して見れば,それほど複雑なものではないことがすぐに分かるでしょう.例えばaは「青くもなく酸味もない甘いりんご」という属性(タイプ)をもつトークンであることが分かります.これに対しトークンeは「青くて酸っぱい甘みのないみかん」であることが分かります.

次に,この分類を文脈とする形式概念を求めてみましょう.これまた面倒な感じがしますが,案外簡単に求めることができます.たとえば「りんご」というタイプに注目します.「りんご」をタイプとしてもつトークンは,a,c,およびdの3種類であることが分かります.これは前回の形式的な定義に従えば,{りんご}'={a,c,d} が成立することに対応します.つぎにこの3つのトークンが共通してもつタイプを求めます.これは前回の形式的な定義に従えば,{a,c,d}'を求める操作に対応します.そして,これは「りんご」に一致することが分かります.ここから {a, c,d}'={りんご}が成立することが分かります.つまり,{りんご} と {a,c,d} の2つの集合の間で,{りんご}' = {a,c,d} および {a,c,d}'={りんご}という,形式概念が満たすべき性質が満たされることが確認できます.ここから,〈acd,り〉が1つの形式概念を形成することが分かります(ただしここでは「acd」で集合 {a,c,d} を「り」で集合{りんご}を,それぞれ表すものとします.以下同様の略記を用います).

同様にして,今度は,「酸味」に注目します.「酸味」をタイプとしてもつトークンは,eのみであることが分かります.先ほどと同様にして,このトークンeがもつタイプを求めると,それは「青い」「酸味」および「みかん」の3つであることが分かります.つぎに,もう一度この3つのタイプをタイプとしてもつトークンを考えてやります.するとこれは,トークンeに一致することが分かります.つまり,以上から〈e,青酸み〉が,もう1つの形式概念を形成することが分かります.このようにして,同様の操作を何回か繰り返せば,この分類を文脈として形成される全ての形式概念を求めることができます.

導出された全ての形式概念の間には,また,タイプの包含関係に従って順序を付けることができます.つまり,タイプをより多く含む概念を上位に,より少なく含む概念を下位におくことで順序関係を形成することができるのです(あるいは,含むトークンの少なさに従って順序付けしても全く同じ順序関係が形成されます).このようにして形成された順序関係は,束とよばれる,最大元と最小元をもつ順序集合を形成することが知られています.そして,形式概念によって構成されるこの束を,とくに形式概念束とよびます.この順序関係を表現したのが,そして,ハッセ図とよばれる以下の図式です.

イメージ1

さて,このような形式概念をもつとき,わたしたちは,断片的な情報から,そのトークンのもつタイプを推測する,表象という認識作用を記述することができるようになります.次にこの点を確認しましょう.たとえば,くだもの屋の店頭で,どのみかんがよいか吟味している状況を考えます.この観察は,たとえば,以下の分類Oによって表現できます.

|=O 青い みかん
x 1 1
y 0 1

この観察において明らかになっている情報は,「xというみかんは青い」,「yというみかんは青くない」の2つです.ここで,すっぱいみかんを1つ選ぶことを考えてみましょう(たとえば,すっぱいみかんをなるべく避けたいような場合です).もちろん,この観察Oからは,この肝心な情報を直接入手することはできません.それゆえ,このままでは,どちらのみかんについても,それがすっぱいかどうか正確に判別することはできません.しかし他方で,わたしたちは,どちらがより確実にすっぱそうか,少なくとも見当をつけることくらいはできるでしょう.「青いみかんはすっぱいに違いない」というように.そして,このような認識作用を記述することが,概念のになう表象という機能に注目することで可能になるのです.

表象作用を記述するため,わたしたちは3つの異なった分類を用います.1つは,既に与えられている観察Oです.もう1つが,「青いすっぱいみかん」という内包をもつ概念 〈e, 青酸み〉 から形成される分類E.そして最後が,頭の中に思い描かれた「すっぱいもの」と「すっぱくないもの」のイメージによって構成される分類Sです.これら3つの分類は,それぞれ以下の分類表によって表現されます(Eは,分類Aからトークンeと,「青い」「酸味」「みかん」のタイプのみを抜き出した分類になっている点に注意して下さい).

|=O 青い みかん
x 1 1
y 0 1
 
|=E 青い 酸味 みかん
e 1 1 1
 
|=S 酸味
h 1
k 0

これらの3つの分類を用いることで,わたしたちは,表象作用を次のように言い換えることができます.表象とは,観察Oのトークンと頭の中のイメージを,概念を媒介して結びつける作用である,と.つまり,限られた情報しか与えられていない観察のトークンと頭の中のイメージを,概念を媒介することで結びつける作用です.概念の表象作用を記述するためには,それゆえ,この両者の結びつきを形成する仕組みを記述する必要があることが分かります.

ここで思い出しましょう.わたしたちは既に,異なった分類の間の「同一性」を記述する概念として,情報射という道具をもっていたことを.ある分類とある分類の間に情報射が存在するとき,そしてあるトークンとあるトークンが情報射によって結びつけられているとき,わたしたちはこれらの分類とトークンが,この情報射の意味において「同じ」であると見なすことにしたのでした.それゆえ,表象作用を記述するためには,何らかの仕方で,観察とイメージの間に,情報射を用いた関係を形成できればよいことが分かります.そしてこれは,概念を媒介することで可能になるのです.ここでの例にそって,この結びつきを表現したのが,そして,以下の図式です.

イメージ2

この図式は,観察Oから概念Eへの情報射fと,イメージSから概念Eへの情報射gを一緒に図示したものです.つまり,左の観察Oから中央の概念Eに向かって情報射fが1つ存在し,右のイメージSから中央のEに向かってやはり情報射gが1つ存在します.このように,複数の異なる分類から1つの共通した分類(ここではE)へ情報射が存在するとき,これらの情報射のあつまり {f,g}を{O,S}上の「チャンネル」とよび,共通の行き先(ここではE)をこのチャンネルの「コア」とよびます.また,この図のように,2つの分類で構成されるチャンネル(これを特に2項チャンネルとよびます)を,わたしたちは,表象作用が働く土台とみなし,左に置かれた分類を表象の「起点」となる「ソース」,右に置かれた分類を表象の「対象」となる「ターゲット」とよびます.そして,あるソースのトークンxとターゲットのトークンhが,それぞれ共通したコアのトークンeに情報射で結びつけられているとき,xはhとeを媒介して接続されている,と言います.ここでは,つまり,「青いみかん」が「酸っぱいもの」のイメージと「青くて酸っぱいみかん」という概念を媒介することで接続されていることになります.このような接続をわたしたちは,そして「青いみかんはすっぱいに違いない」とみなす表象作用の基盤とみなすのです.

さて,今回は,やや駆け足で,概念の果たす表象作用の形式的な記述法を確認してきました.しかし,先を急いだため,十分にその意味を吟味することはできませんでした.次回は,概念の表象作用によって形成されるチャンネルとその接続が,どのような性質をもつものか,より詳しく立ち入って検討してゆきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2008年12月10日

障害学の問題意識 (倉本智明)

READメンバーによるエッセイの連載を始めて8ヶ月が経とうとしているが、考えてみると、障害学(Disability Studies)というのがどのような学問であるかについて、これまで一度も説明をしてこなかった。これはまずかったと思う。経済学とちがって、障害学など一般にはほとんど知られていない学問分野だ。遅きに失した感は否めないけれども、ここでその一端だけでも記しておければと思う。

障害にかかわる研究といえば、一般には、損傷の治療やリハビリテーションの技法、障害をもつ子どもたちへの教育法や援助技術に関するものなどが想起されがちである。実際、かつては、障害研究と言えば、そうしたものを指すのがふつうだった。

これには理由がある。障害者が経験する困難や被る不利益について、近代という時代にくらす人びとの大半は、目が見えなかったり、手足が動かなかったり、大脳の活動に制約があったりという身体機能の制限からくるものと理解してきた。結果、手足を少しでも動くようにすること、上手に使えるようすること、主流社会への適応を促進することによって問題は解決されるとの見通しが立てられ、学問的な関心も、その実現のための技法と、それらを下支えする施策に集中することとなったのである。

けれど、そもそもの前提がまちがっていたらどうだろう。障害者が経験する困難や不利益は、本当に目が見えなかったり、手足が動かなかったりする結果としてもたらされるのか。

そのような疑問が、ほかならぬ障害者たち自身によってつきつけられることとなった。1970年を前後して、先進各国で同時多発的に起こった新しいタイプの障害者運動は、障害のあるからだそのものにではなく、そのようなからだをもつ人びとを排除する社会のしくみにこそ問題があるとの認識に立ち、障害者問題を個人の適応物語ではなく、社会問題、政治的問題として位置づけなおすことを求めた。フォーカスは、身体から社会へと移ったわけだ。

そのインパクトを受けて誕生したのが障害学である。従来の障害研究のほとんどが、障害者のからだや行動に否定的な意味をわりふり、多数派である健常者のそれに近づけることに目標を置いてきたのに対し、障害学はそうした前提を疑ってみるところから出発する。

障害学は学際学である。内部にはさまざまな潮流が存在する。取り扱う主題やアプローチが多用であるとともに、価値判断をともなう議論への態度や、さらには、政治や運動との距離のとり方も人により異なる。けれど、問題を身体へとナイーブに還元する思考を慎重に避けるという点では、障害学に関わる人びとの多くが共通の基盤の上に立っている。

少し注釈を加えておこう。障害学は決して身体を無視するわけではない。ゆりもどしを懸念してか、身体に関わる主題をとり上げることに慎重さを求める意見もみられるが、一方で身体という場に生起する問題に強い関心を示す研究者もいる。

ただし、ここでの身体の扱いは、既存の障害研究におけるそれとは異なる。身体に与えられる意味やそこから導かれる処遇が、時代や文化を超えた普遍的なものであるという見方に、障害学は懐疑の眼を向ける。見えない目が「異常」であるのは普遍的な真理で、それを治す行為は疑いようのない「合理的な対応」であるといった認識を、なんの手続きもなしに採用するような態度はとらないということだ。

目が見えないこと自体は事実としてそこにあるにせよ、そのことがもつ意味は、それぞれの社会、それぞれの文化によってちがってくる。それを「異常」とみなし治療の対象にすることをあたりまえとする社会がある一方で、そこに宗教的な意味を読みとり、ふさわしい役割を期待するような社会もある。見えない目や動かない手足は、社会というフィルターをとおして初めて特別な意味をおびることとなるのだ。

もちろん、身体という場に生起する経験のなかには、純粋に個人的といえるものもあるかもしれない。たとえば、肉体的な痛みなどはそのわかりよい例だ。ただし、個人的と見える経験であっても、それが他者の前に表出することで、一気に社会的な意味をおびる可能性がある。おなじひとつの痛みであっても、当人が感じている痛みと周囲の人たちがみてとるそれ、さらには意志が解釈するところとのあいだにはギャップがあったりしないだろうか。そのことを無視して、ひとり医学的な言説に特権を与えてきたのがこれまでの障害研究だった。

障害学というのは、おそらくヴィトゲンシュタイン言うところの家族的類似としてしか理解することのできないやっかいな学問だ。とりあえず今回は、この学問が起動する背景に、純正な生物学的研究であるならいざ知らず、「障害者」や「障害者問題」に照準するのであるなら、社会という文脈を忘却したところに研究は成立しない、との問題意識があることを確認しておしまいとする。社会や人間を対象とする学問に携わる多くの人たちからすれば、あたりまえと思えることすら通用しない地点から障害学は起ち上がったのである。

○倉本智明 (くらもと ともあき)
東京大学大学院経済学研究科 特任講師
ウェブページ:
http://www.kurat.jp/

2008年11月15日

文脈と概念 (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:6

さて,今回は,いよいよ「概念」を定義します.しかし,その前にここで,これまで何をしていたのか,もう一度確認しておきましょう.

前回,前々回の2回に分けて,わたしたちは,分類と情報射という概念を導入しました.これらの概念を用いることで,「緩さ」を含んだ「概念」を記述するための基盤を準備しているのでした. つまり,概念の「外延」と「内包」を捉えるために,わたしたちはまず,トークンとタイプによって構成される分類を導入し, 個々の分類の間のズレを捉える枠組みとして情報射という構造を導入しました.これらの枠組みの上で,わたしたちは,たとえば,わたしたち自身がそうであると思っている「概念」と,実際に用いている「概念」の間の違いを,それぞれ異なった分類と関係づけ,その間のズレを情報射によって捉えようとしているのです.そして,このズレに注目することで,それぞれの概念のもつ 「緩さ」を形式化しようとしているのでした.

ところで,それぞれの「概念の違い」を分類によって記述するためには,分類と概念の間の関係が具体的に特定される必要があります. 今回わたしたちが与えるのは,まさにこの両者の関係にあります.つまり,個々の分類と概念との間の関係を吟味することで, それぞれの分類を一つの文脈として形成される「ちゃんとした概念」のあり方を特定するのです.たとえば,わたしたちが思い描いている「コーヒー」の常識的なあり方や,現実の「コーヒー」のあり方において表面化する,それぞれに異なった概念のあり方です.そして,これらの異なった文脈から形成される概念の間のズレを捉えることで,概念の「緩さ」や「不定性」に対する1つの見通しを与えよう,というのがわたしたちの目論みです.

それではさっそく, 分類から形成される「ちゃんとした概念」の定義から確認してゆきましょう.

ある分類Aに対して,トークンの集合X,とタイプの集合Y,が以下の条件を満たすとき,〈X,Y〉を,Aの文脈における形式概念という.

X'={α∈typ(A)|Xのすべてのトークン x について x |=A α },(1)
Y'={a∈tok(A)|Yのすべてのタイプyについてa|=Ay}.(2)

ただし,X⊆tok(A),Y⊆typ(A)とし,X'=Y,Y'=X をみたすものとする.また,Xをこの形式概念の外延,Yをこの形式概念の内包,という.

字面をみただけでは,なかなか分かりづらいと思いますので,ここでも,前々回導入したBとWの2人の会話を用いることで,それぞれの分類において形成される形式概念をゆっくり確認してゆきたいと思います.

Bの発言の分類を,ここで三たび思い出しましょう.Bの発言は,以下の分類Bによって表現することができました.

|=B 点字有り 不便
xビル 1 0
yビル 0 1

この分類Bの文脈において,〈{xビル},{点字有り}〉というトークンとタイプの対は形式概念を形成します.まずこの点を確認してみましょう.最初に,{xビル},というトークン「xビル」だけで構成される集合に注目します.形式概念の定義を噛み砕いて考えると,〈{xビル},{点字有り}〉という対が形式概念であるためには,定義の(1)と「X'=Y」という条件より,以下の条件(1)'が満たされる必要があることが分かります.

(1)'{xビル}に属するすべてのトークン (つまり「xビル」)が有するタイプの集合{xビル}’が, {点字有り}と一致する.

次に,{点字有り},というタイプ「点字有り」だけで構成される集合に注目します. この集合については,同様にして定義の(2)と「Y'=X」という条件より, 以下の条件(2)'が満たされる必要があることが分かります.

(2)'{点字有り}に属するすべてのタイプ(つまり「点字有り」)を持つトークンの集合{点字有り}’が,{xビル}に一致する.

つまり,〈{xビル},{点字有り}〉という対が形式概念であるためには,以上の(1)'と(2)'が満たされていることを確認する必要があることが分かります. そこで,以下,この2点について確認します.

まず,(1)'の条件を確認するため,{xビル}というトークンの集合に注目します. つまり,以下の分類表で赤くなっているトークン「xビル」のタイプに注目します.

|=B 点字有り 不便
xビル 1 0
yビル 0 1
← {xビル}

この表からも分かるように,{xビル}のすべてのトークン(つまり「xビル」)のタイプは 「点字有り」のみであることが分かります.


{xビル}’
|=B 点字有り 不便
xビル 1 0
yビル 0 1
← {xビル}

ここから,{xビル}’={点字有り}であることが分かり,(1)'の条件が満たされることが分かります.

次に,(2)'の条件を確認するため,{点字有り}というタイプの集合に注目します.つまり,以下の分類表で赤くなっているタイプ「点字有り」を持つトークンに注目します.

{点字有り}
|=B 点字有り 不便
xビル 1 0
yビル 0 1

この表から分かるように,{点字有り}のすべてのタイプ(つまり「点字有り」)を持つトークンは, 「xビル」だけであることが分かります.

{点字有り}
|=B 点字有り 不便
xビル 1 0
yビル 0 1
← {点字有り}’

ここから,{点字有り}’={xビル}であることが分かり,(2)'の条件が満たされることも分かります.以上より,〈{xビル},{点字有り}〉という対が 分類Bという文脈のもとで形式概念を形成することが確認できました.

以下,同様にして,

〈0,{点字有り,不便}〉,〈{yビル},{不便}〉,〈{xビル,yビル},0〉

の3つの形式概念が,Bという分類の文脈のもとで形成されることが確認できます. また,上記の4種類以外の対は形式概念を形成しないことも確認できます.たとえば

〈{xビル}, {点字有り,不便}〉

という対は形式概念を形成しません.これは,先に確認した通り,{xビル}’と{点字有り,不便}が一致しないことから確認できます(つまり,{xビル}’={点字有り}≠{点字有り,不便} となり,{xビル}’と{点字有り,不便}が一致しないのです).

以上,分類Bから形成される形式概念を確認してきました.同様にして,Wの発言を表現した分類Wにおいて形成される形式概念を導出することもできますが,煩瑣になりますので,ここでは導出せずにおきます.

さて,それでは最後に,形式概念の基本的な性質を確認しておきたいと思います.

この連載の第3回目においてわたしたちは,「ちゃんとした概念」の満たすべき性質として,外延と内包の一致という性質を提示しました.わたしたちは,この性質を,一般的な概念において満たされるべき条件としては採用しないことを,その回でも表明しました.他方で,わたしたちは,外延と内包が一致するような概念の使用法が存在すること自体は否定しません.というのも,概念がある文脈において「ちゃんと」用いられることはあり得るからです.そして,今回与えた形式概念を,そのようなちゃんとした使用法に対応する概念と考えることができます.実際ここでの形式概念の定義は,外延と内包の一致とも言い換えられる条件を通じて与えられているからです.これは,たとえば,〈{xビル},{点字有り}〉という形式概念において,{xビル}にタイプ付けられているタイプが{点字有り}だけであり,逆もまた成り立つことから確認することができます.つまり,{点字有り}なるものは{xビル}であり,{xビル}なるものは{点字有り}であるという循環が,2つの集合の間に存在するのです.そして,この循環こそが,外延と内包の間の一致に対応するとみなすことができるのです.

しかし,ここで注意して頂きたいのが,この外延と内包の間の一致が,Bの発言という個別の文脈においてのみ見いだされる特殊な構造に過ぎない点にあります.これは,たとえばWの発言から形成される形式概念と照らし合わせることで確認することができます.つまりわれわれの枠組みでは,「ちゃんとした概念」である形式概念においてすら,それが分類という個別の文脈に依存して定義されることで,その特殊性が常に担保されているのです.と同時にこれらの形式概念は,文脈にある種の同型性が存在するとき,「同じ」とみなすことができる構造を持つことが確認できます.つまり,分類において確認したのと同じ「同一性」という問題が,形式概念においても表面化するのです.この点については,しかし,次回に改めて確認してゆきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2008年10月15日

ズレを捉える (2) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:5

前回わたしたちは,BさんとWさんという2人の人物の間で交わされた会話をモチーフにすることで,その2人の会話の「ズレ」を確認する手法について考え始めました.そしてわたしたちは,2人の会話を「分類」によって表現する方法を確認しました.今回は,この図式化された2人の会話から見いだすことのできる「ズレ」を捉える方法について考えてみたいと思います.

ところで,BさんとWさんの間に交わされた会話を,ここでもう一度確認しておきましょう.それは,以下のような会話でした.

あの建物,ほんと使いづらですよね,xビル.Bさん,どう思います?
え? むしろyビルの方が使いづらくないですか?

そして,「xビルの方を不便である」とするWさんの発言と,「yビルの方を不便である(というのも,点字ブロックがないから)」と考えるBさんの考えの間の「ズレ」を「適切に」捉える手法のあり方について,わたしたちは考えていたのでした(ただし,わたしたちはここでBさんの視点に立っているため,点字ブロックがないのでyビルは不便だ,と考えているBさんの気持ちを知ることができるとしていたことに注意しましょう),

そしてわたしたちは前回の最後,この会話の「ズレ」を捉えることには,思いのほか難しい問題が含まれていることを確認しました.つまり,この「ズレ」の現れ方は,それをどのように捉えるか,というエージェント自身の認識に依存して様々に変化しうるからです.たとえばWさん(あるいはBさん)が建物を勘違いしているのであれば,2人の「不便さ」に対する評価は「同じ」ものと見なすことができるでしょうし,勘違いしていないのであれば,2人の評価は「違う」と見なすことができます.つまり「ズレ」を捉える解釈の仕方に依存して,その現れ方は変わりうるのです.そして,このような「ズレ」を有意義に捉えるためには,これらの解釈の1つ1つについて,それぞれ異なった「ズレ」の表現方法が与えられなければならないことが分かります.

これらの解釈の違いを形式的に表現するため,われわれは関数の対によって構成される「情報射」という概念を用います.つまり,2つの分類の間の関係に対するエージェントの解釈を,それぞれ異なった関数の対によって表現することでその多様性を捉え,それらが情報射を形成するか否か確認することでその妥当性を判別するのです.

まずは,情報射の定義を書き下してみましょう.ある分類Aから分類Bに対して,以下の条件を満たす双方向の関数の対 f=〈f^,fv〉が存在するとき,このfをAからBへの情報射といい,AはBと情報射fの意味において同じである,と言います.

A の全てのタイプα∈typ(A) および,B の全てのトークン b ∈ tok(B) について,f が以下の条件(「随伴性条件」あるいは「情報射の基本性質」)を満たす.

fv(b) |=A α  iff  b |=B f^(α)

関数f^は分類Aのタイプそれぞれに分類Bのタイプを1つずつ対応させる操作を,fvは分類Bのトークンそれぞれに分類Aのトークンを1つずつ対応させる操作を意味します. これらの操作は,情報射のグラフでは2つの分類のタイプ同士,トークン同士を線で繋ぐことによって表現されます.一方,1つの分類のタイプとトークンの関係を表す|=もその分類のタイプとトークンを線で結ぶことで表現されたことを思い出すと,形式的にはやや面倒にも思える上の随伴性条件は,情報射のグラフを用いることで,以下のように言い換えることもできます(右に分類Bが描かれているとします).

左上のあるタイプと右下のあるトークンが繋がっているなら,必ず輪になっている.

この条件は,具体例を通じて確認した方が分かり易いと思いますので,先に確認した分類BとW0の2つを,「同じ」とみなす解釈と,「違う」とみなす解釈を表現するグラフで,それらが情報射を形成するかどうか,実際に確認してみましょう.

まず以下のグラフを考えます.対応するものとさせられるものの関係を表すf^および fv を,それぞれ矢印付きの線で表現している点に注意して下さい.つまり,W0のタイプにBのタイプを1つ対応させる操作f^が,W0の「不便」からBの「不便」へと伸びる矢印によって,またBのトークンそれぞれにW0のトークンを1つずつ対応させる操作fvが,Bの「xビル」からW0の「xビル」へと伸びる矢印とBの「yビル」からW0の「yビル」へと伸びる矢印によって,それぞれ表現されています.

グラフ1

このグラフは,「不便」の用い方も,思い浮かべている建物も,BとWの間で完全に一致していると見なす解釈を表していると考えることができます.というのも,f^によってW0の「不便」がB の「不便」に,fv によってBの建物がそれぞれW0の同じ建物に対応付けられているからです.

f^(不便) = 不便
fv(x) = x
fv(y) = y

次に,このグラフから,fが情報射を形成しているかどうか確認してみます.まず,W0のタイプ「不便」に注目します.このタイプとあるBのトークンが線で繋がっているなら,輪になっていなければならないというのが随伴性条件でした.しかし,このグラフでは,W0のタイプ「不便」はBのトークン「x」と「y」とそれぞれ繋がってはいますがいずれとも輪になっていません.つまり,fは随伴性条件を満たさないと判断することができます.

ところでfは,「不便」の用い方も,思い浮かべている建物も,BとWの間で完全に一致していると見なす解釈を表現したものでした.つまり,BもWも,建物を同じように評価している,とみなす解釈です.しかし,このような解釈が成立しないことは,冒頭の会話の「ズレ」を通じて,すでに確認してきたことでした.つまり,「不便」という同じタイプを,それぞれ異なった建物に対応づけていることが,2人の会話の「ズレ」をそもそも生み出していたのでした.そして,f が情報射を形成しない,ということは,BとWの間で「ズレ」が一切存在しない解釈が成立しない,ということを表していると考えることができます.つまり,情報射の概念は,この会話において表面化している「ズレ」を,適切に表現することができていると考えることができます.

それでは,「輪になっている」とはどのような状態でしょうか?次に,Wが建物を勘違いしているだけだ,と解釈する関数の対 g=〈g^,gv〉を考えてみます.このような関数の対gは,以下のグラフによって表現することができます.

グラフ2

このグラフから,gが情報射を形成しているかどうか確認してみます.ここでもやはり,W0 のタイプ「不便」に注目します.今度はこの「不便」と繋がっているBのトークンは「y」のみで,「x」とは繋がっていません.よって随伴性条件を満たしているかどうか確かめるためには,W0 の「不便」とBの「y」が輪になっていることを確かめればよいことになります.少し注意して見てみれば明らかにW0の「不便」とBの「y」とは輪になっていることがわかります.以上から,関数の対 gは,情報射を形成することが確認できます.(上のf = 〈f^,fv〉 のケースと見比べてみてください.)

さて,以上の2種類の関数の対,fおよびgが情報射を形成するか確認することを通じて,2つのことが明らかになりました.まず第一は,「不便」の用い方も,思い浮かべている建物も,BとWの間で完全に一致していると見なす解釈は,情報射の意味において成立しない,ということです.これは,fが情報射を形成しないという事実によって確認することができました.第二は,Wがxビルとyビルを勘違いしている(あるいはB自身がそう勘違いしている)とみなす解釈は,情報射の意味において成立する,ということです.つまり,このような解釈のもとで,Wの発話はBにとって理解可能なもの(同じもの)であると見なすことが可能になるのです.そして,これを表現したのが,情報射を形成する関数の対gだったのでした.

ここからわたしたちは,次のような暫定的な結論を下すことができるでしょう.「情報射」という概念は,あるものをあるものと同じとみなすわたしたちの解釈や認識の特徴(の少なくとも一端)を捉えることに成功している,ということです.それは,情報射の存在が,タイプやトークンの「中身」によってではなく,個々の分類におけるタイプとトークンの関係を通じてのみ決定される,という事実からも裏付けられると考えることができるでしょう.というのも,わたしたちは,あるものとあるものの同一性を,唯一の普遍的な基準に照らして判別するのではなく,その場で観察できる限られた情報にのみ依存して判別しているはずだからです(だからこそ,同じ対象に対する判断が,解釈に依存して異なることもありうるのです).

同時にわたしたちはここで,「同一性」こそが「ズレ」を捉えるために不可欠である,という点にも注意すべきでしょう.実際,BとW0の構造の違いを認識するためにわたしたちは,「不便」という言葉や,建物の理解が「同一である」ことを前提する必要がありました.また,「不便」という言葉の用い方の違いを認識するためには,他方で,「不便」という言葉の同一性はもちろんのこと,BとW0の構造の同一性を前提にする必要が存在しました.つまり,他の全ての解釈の「同一性」を前提したときにのみ,特定の「ズレ」を抉り出すことが,はじめて可能になるのです.実際わたしたちは,全く言葉の通じない他者との間に,互いの理解の「ズレ」を見いだすことは,そもそもできないでしょう.情報射によって見いだされる「解釈のズレ」は,このような前提のもとではじめて見いだすことのできる類いのものだと言えるでしょう.このような意味において,それは,たとえばクワインの根源的翻訳やデイヴィドソンの根源的解釈の問題における「好意の原理」と整合的であると考えることもできるかもしれません.

そして,普遍的な基準を必要としない情報射の概念は,その都度特殊な観察のもとで下されるわたしたち自身の「同一性」の判断を,集合論的な類推とは異なった形式で捉えることを可能にする基盤を提供すると考えることができるのです.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2008年9月15日

ズレを捉える (1) (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:4

前回わたしたちは,「概念」の記述法についての基本的なアイディアを提示しました.つまり,トークン(対象)とタイプ(属性)によって構成される「分類」から「概念」を形成する,というアイディアです.更にわたしたちは,このような方法論において新たに問題として浮上するだろう,対象や属性の間の「同一性」という問題にも簡単に触れました.ここではまず,後者の問題,つまり「同一性」という問題が,わたしたちの枠組み(そして日常的な場面)においてどのように表面化するか確認し,それを形式化する方法について,今回と次回の2回に分けて,具体例に沿って確認してゆきたいと思います.

まず最初に,以下のような会話を考えてみましょう.

ー あの建物,ほんと使いづらいですよね,xビル.Bさん,どう思います?

ー え? むしろyビルの方が使いづらくないですか?

これは,xビルとyビルという2つのビルの使い勝手について,BさんとWさんが話している場面を想定した(やや恣意的な)会話です.ここでは明示していませんが,Bさんは視覚に関する障害を日頃から経験しています.yビルの周りには点字ブロックがありません.このためBさんはyビルを使いづらいと感じています.Wさんはこれに対し,Bさんとは異なった建物に不便を感じていることが分かります.というのもWさんは,Bさんがそれほど不便を感じないxビルの方を,より不便であると発言しているからです.つまり,2人の間には「使いづらい」という言葉を使用する場面における何らかのズレが存在するらしいことが分かります.

ところでいま「言葉を使用する場面におけるズレ」と書きました.このような「ズレ」の存在は,わたしたちの用いている言葉のあり方を捉えるうえで,欠くことのできない要素であると考えることができるでしょう.というのもわたしたちは,この「ズレ」に気付くことで,自分や相手の言い間違いや勘違いに気付くことができ,あるいは自分とは違ったものの見方があることに気付くことができるからです.

しかし他方で,このような「ズレ」をちゃんと捉えることは,なかなかに困難な問題でもあります.というのも,ある言葉の用い方に「ズレ」が存在するためには,それが同じ言葉でありながら,異なった「中身」つまり,異なった意味をもつことが前提されなければならないからです.ここに,あるものをあるものと同じと見なす仕組みを明示的に構成する必要が生じるのです.

この仕組みを導入するまえに,ここではまず,この会話で表されている状況を,前回導入した「分類」という概念を用いて記述してみましょう.なおここでは,視覚に障害をもつBさんの立場で,2人の会話(考え)を表現することにします.

ところで分類とは,前回簡単に触れた通り,トークンとタイプ,その間の2項関係の3つ組によって表現されます.そして,Bさんの建物に対する理解を表現するため,ここでは,対象である建物をトークンによって,建物に対する評価軸,つまり属性をタイプによって表した分類を考えることにします.

まず,「xビルとその周辺には点字ブロックがある」という関係を

x |= 点字有り

によって,「yビルは不便である」という関係を

y |= 不便

によって,それぞれ表現します.

Bさん自身の2つの建物に対する評価を表現したこの分類は,以下の分類表によって表現することができます.

|=B 点字有り 不便
xビル 1 0
yビル 0 1

つまり,2項関係「|=」が成立するトークンとタイプの交わるセルに「1」を,成立しないセルに「0」を,それぞれ記入した表です.

更にこの分類表は,以下のようなグラフによって表現することもできます.つまり,タイプを上に,トークンを下に,それぞれ列挙し,2項関係「|=」が成立するトークンとタイプの間を線で結んだグラフです.

グラフ1

分類の間の「同一性」という問題を考えるには,分類表や,そのグラフを用いた方が直感的に分かり易いことが多いです.ここでは,それゆえ,これらの分類表とグラフによって2人の発話を表現した分類を表すことにします.

次に,同様にして,Bさんが観察したWさんの発言についての分類W0を考えてみます.Bさんが先ほどの会話で知り得た情報は「あの建物,ほんと使いづらいですよね,xビル」という発言のみでした.この発話を表現した分類W0を分類表で表すと,以下を得ます.

|=W0 不便
xビル 1
yビル 0

同様にして,この分類W0は,以下のグラフによって表現することもできます.

グラフ2

これで,先の会話においてなされた2つの発話に,それぞれ形式的な表現を与えることができました.

さてここで,この2人の会話において表面化していた「ズレ」を,もう一度確認しておきましょう.この会話においてWさんは「xビルの方を不便である」と発言していたのに対し,Bさんは「yビルの方を不便である(というのも,点字ブロックがないから)」と考えているのでした.そして,もしこれらの分類表やグラフが2人の発話や考えをちゃんと表現できているのであれば,それらはこの「ズレ」を適切に捉えることができていなければなりません.

素朴に考えるなら,それは「不便」というタイプが結びつけられているトークンの違いによって捉えられているようにも思えます.それゆえ,「不便」と建物の間の関係の違いのみによって,2つの分類を別のものとみなすことができるような気もするかもしれません(実際2つのグラフは「異なった形」をしているようにも見えます).しかし,問題はそう単純ではありません.もしWさんが,xビルとyビルを勘違いしているとしたらどうでしょう?このとき,xとyを入れ替えれば,2人の建物に対する「不便さ」に対する評価は「同じ」になければなりません.逆に,xとyによって2人が同じ建物を思い浮かべているのだとしたら,2人の建物に対する理解は「違う」ものであると見なすことができるでしょう.つまり,相手の発話をどのように解釈するかに依存して,2つの分類は,「同じ」構造を持っていると判断されたり,「違う」構造をもつものと判断されることがありうるのです.それゆえ,わたしたち自身の認識や解釈と無関係に分類の「同一性」を決定することには,そもそも意味がないと言うことができるでしょう.ここに,われわれ自身の行っているこの認識や解釈を形式化する必要が生じるのです.

これらの解釈の違いをどのように表現するか?という問題については,しかし,次回,改めて考えてみたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2008年8月21日

民主的なプロセスによる評価の困難 (関口洋平)

われわれが暮らすこの社会は様々な人々から成り立ってます.当たり前のことですが,誰一人として同じ人間はいません.インペアメント,性別,人種など生まれ持った差異がありますし,仮に生物学的にまったく区別のつかない人が二人存在したとしても,生まれた環境が異なれば,違った育ち方をするでしょう.生まれ持った特性や社会的環境はその人の人生に大きな影響を与えますが,われわれはそれを選ぶことが出来ません.

これらの差異は「機会の不平等」や「結果の不平等」を引き起こします.たとえば,Aさんは働きたいという意思を持っていて,働く能力(生産性)があったとしても,障害者であるという理由で仕事が見つからないということがありえます.もし,Aさんと同じ生産性をもった健常者のBさんが容易に仕事に就けるのであれば,Aさんは不平等であると感じるでしょう.

このような不平等さを解決するひとつの方法として所得の再分配が考えられます.障害等本人の責任でない理由により低い厚生しか得られない人々に対して,補助金によって彼らの厚生を高めるという補償政策です.障害者に対して所得補償を行うべきであるという規範は社会的にも広く受け入れられており,障害年金や障害者自立支援法といったかたちで実際に補償がなされています.

しかし,どのような補償政策にも共通して言えることですが,全ての人が納得するような政策は存在しません.予算に限りがある以上,ある人への補償を増やすには他の人への補償を減らさなければならないからです.さらに,人によって障害の評価は当然異なります.この事はいわゆる「選好の集計」の問題を引き起こします.すなわち,民主的なプロセスを用いて社会的に障害を評価しようとすると以下のような問題が生じます.

仮に3種類の障害A,B,Cがあるとします.人々は各自,障害に対する評価をもっているとします.ここでいう評価とは障害の重さに順番をつけることを意味します.もちろん,人によってこの順番は違ってかまいません.障害に対する補償を行うためには,政策実行者は人々の評価を集計して障害を評価しなければなりません.今,政策実行者があるルールに従ってABCという順番で障害が重度であると評価したとします.この場合,Aに対する補助金が一番多く,Cに対するものが一番少なくなります.

次にAの障害に対する特効薬が開発されて,Aという障害を持っていても日常生活にほとんど影響がなくなったとします.この開発によって,人々はAを一番軽い障害とみなすように評価を変えたとします.この場合に,Aに対する補助金が一番少なくなることに異議を唱える人は少ないでしょう.また,BとCの障害を持っていることによる影響は変わってませんので,人々のAとBの間の評価は変更しないでしょう.そうであれば,政策実行者が同じルールに従って補償を行なうならば,Bに対する補助金の方がCに対する補助金よりも多いままであるのが妥当でしょう.

しかし,2つの障害に対する評価が変わらないときにその2つの障害に対する補助金の大小を一定に保つことは実際には不可能です.つまり,上のような状況でCに対する補助金が一番多く,Aに対する補助金が一番少なくなる場合があります.どんな民主的なルールを用いても,このようなBとCの間の逆転を避けることは出来ません.このことを示したのがアローの不可能性定理です.

より望ましい所得補償ルールを考える際には,選好の集計の問題だけでなく,様々な困難な問題がつきまといます.しかし,経済学はこれらの問題に立ち向かうための様々な武器をもっています.むしろ,逆に多すぎて,どの武器を使うべきか悩むくらいです.しばらくは色々と武器を試しながら,この問題と付き合っていこうと思います.

関口洋平 (せきぐち ようへい)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2008年8月11日

これは「コーヒー」ではない (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:3

これまで,2回にわたって,社会科学における概念の「緩さ」を具体例を 通じて確認してきました.そこで指摘した問題は,以下のようにまとめることができます.つまり,社会科学における概念には,対象との対応関係が一意には定まらないような不定性が常に無視できない形で潜在している,ということです.そして,われわれが表象システムによって記述しようと考えているのは ,このような不定性を含んだ概念のあり方でした.

ところで,不定性を排除した概念の記述法としてわたしたちが想定していた考え方の1つに,集合論的な考え方があります.概念と対象との関係を,集合とその元の間の帰属関係によって類推的に捉えようとする考え方です.これは,自然科学や社会科学にとどまらず,広くわたしたち自身の考え方を規定しているものの見方であると言えると思います.しかし他方で,われわれが日常的に用いている概念と対象との関係を捉えようとする際に問題になるのが,まさにこの集合論的な考え方であると言うこともできます.今回は,まず,この問題点を確認したうえで,われわれの方法論を導入し,その特徴を概観してみたいと思います.

さて,それでは集合論とはどのような枠組みであったか,ここで復習しておきましょう.集合論とは,簡単に言うと,いくつかの公理のみを前提することで,集合をちゃんとした中身をもった対象として1から構成し,その対象= 集合のみによって様々な数学的な構造に基礎を与える,数学全体の土台のような枠組みであると言えます.実際,数学において表現されるほとんどすべての 概念は,集合論の言葉のみによって表現することができます.このような意味において,集合論を数学の1つの基礎と考えることができるのです.

集合論の基本的な考え方は,そして,ちゃんとした中身をもった対象として集合を構成する,というこの態度の中に典型的に表現されていると考えるこ とができます.つまり,中身が特定された対象のみによって数学的な世界は構成されるべきである,という考え方です.たとえば,集合の外延と内包の一致といった基本的な性質は,それが「ちゃんとしている」ことによって保証され ている性質であると言えます.つまり,中身が「ちゃんとしている」のであれば,それを外延的に記述しようが内包的に記述しようが,同じであることになるからです.

このような「ちゃんとした」集合論の考え方こそが,しかし,経験的な問 題を記述しようとする際,困った問題を表面化させてしまう元凶にもなるのです.それは,前回と前々回に確認した「障害」や「コーヒー」といった概念の記述において表面化します.

まず簡単な「コーヒー」から確認してみましょう.「コーヒー」の外延的 な対象を確認するために,「コーヒー」として思い浮かべる対象を書き出して みましょう.たとえばそのリストには,「昨日飲んだタリーズのコーヒー」「おととい飲んだドトールのコーヒー」あるいは「今朝飲んだ,一晩かけておと したダッチコーヒー」などが思い浮かぶかもしれません.それぞれをc1,c2,c3,... と書くことにすると,それは以下のように表現することができます.

COFFEE = {c1,c2,c3,...}

これに対し「コーヒー」の内包的な記述は,以下の日常言語に対応する論理式によって表現することができます.(ただしここでは,Ωを対象全体の集合とします.)

COFFEE = { x ∈ Ω | x はコーヒー豆から抽出した液体である }

そして,COFFEEという概念をちゃんとした集合として捉えようとする限り,この概念の外延と内包は一致していることが求められるのです.

しかし,この両者は日常的な意思決定の場面では多くの場合一致しません .たとえばわたしたちは反例として「ゴキブリの入ったコーヒー」や「ネズミの入ったコーヒー」といった対象を挙げることができます.具体的に確認してみましょう.

まず最初に確認しておくべき点は,「コーヒー」としてわれわれが思い浮 かべる対象,つまり「コーヒー」の外延には,恐らく「ゴキブリの入ったコーヒー」や「ネズミの入ったコーヒー」は,そもそも含まれていないだろう,と いうことです.たとえばわれわれは「コーヒーが飲みたい」と思っているとき,「ゴキブリの入ったコーヒー」を思い浮かべることはないでしょう.「ゴキブリの入ったコーヒー」を出されることでわたしたちは,むしろ逆に「コーヒー」を飲む気を失ってしまうことすらあるでしょう.つまり「普通」に「コーヒー」を思い浮かべているとき,「ゴキブリの入ったコーヒー」といった対象は,意識から徹底して排除されるべき対象(つまり,意識しないようにしているということすら意識してはいけない対象)であると言うことができるでしょう.

これに対し「コーヒー」の内包的な記述は,「ゴキブリの入ったコーヒー 」を排除してはいません.というのも,ゴキブリが入っていようが,ネズミが 入っていようが,それがコーヒーであるということに変わりはないからです. それゆえ,「コーヒー」という概念の内包には「ゴキブリの入ったコーヒー」 が含まれてしまい,「コーヒー」という概念の外延と内包のズレがここに顕在化するのです.

「障害」という概念についても,このズレを同様にして確認することがで きます.ここでも具体的に確認してみましょう.「障害」の外延としてわたしたちが思い浮かべることができた経験は,当時,1つもありませんでした.つまり,わたしたちの「障害」の外延は空集合であったと考えることができます .

DISABILITY = 0

これに対し,わたしたちは,「障害」という言葉で言い表すべき経験を知っている誰かが存在するだろう,ということだけは同時に確信していたのでした.このようなわたしたちの当時の「障害」の内包は,たとえば以下で表現することができます.

DISABILITY = { x ∈ Ω | x は誰かが感じる不利益の経験である }

ここでも,やはり障害の外延と内包は一致しません.というのも,「障害 」の外延が空集合であるのに対し,その内包は様々な対象を含みうる余地を含 んでいるからです.

このように,「障害」という概念において顕在化しているこれらの内包と 外延のズレは,わたしたちの日常的な経験において頻繁に見いだすことのできる,ありふれた現象であると考えることができるでしょう.実際わたしたちは,暗黙のうちに特定の対象を排除するような概念の用い方を「普通」なものとみなし,そのようなものとして概念を使用しているでしょうし,あるいは,あ る概念に対応する経験を1つとして思い浮かべることができない場合ですら,これが「それ」ですよ,と指摘されることでその存在に気づくことができるからです.

そして,わたしたちは,そのような概念の「普通」の使用法を経験的に学ぶことで,その外延と内包をきめの細かな豊かなものへと絶えず変形し続けていると考えることができるでしょう.そして,このような変形過程を,概念にとって欠くことのできない運動として捉えようとする限り,集合論的な考え方の下で無視されてしまう,外延と内包の間のこのズレを捉えることこそが重要 な課題として意識されてくるのです.

さて,それではこのようなズレを含んだものとして概念と対象の関係を捉 えるには,どうすればよいでしょう.ここでわたしたちは,まず,概念の外延 と内包を,それぞれ独立した数学的対象として扱うという立場を採用します.つまり,概念の外延と内包を,トークン(対象)とタイプ(属性)というそれ ぞれ独立した概念によって捉えることで,両者の一致が前提された集合論的な 考え方から一歩外へ踏み出すのです.たとえば「障害」という属性の概念は, 対応する経験が存在しないため,空集合と「誰かが感じる不利益」という属性の対〈0, {誰かが感じる不利益}〉によって表現されます.

次にわたしたちは,対象と属性,つまりトークンとタイプの間の関係を,概念の中身とは独立した二項関係「|=」によって表現します.つまり,概念の 対象と属性の間の関係を,常に一致すべき普遍的な秩序と捉えるのではなく,エージェント自身の認識に応じてズレを含みうる局所的な関係として捉えるのです.たとえば,あるエージェントAが,e1という経験を「誰かが感じる不 利益」という属性と結びつける関係を,以下のように,二項関係の左にトークンを,右にタイプを置くことで,表現します.

e1 |=A 誰かが感じる不利益

この2項関係は,次回改めて詳しく確認しますが,概念の外延と内包の間でのみ常に成立するとき,その概念が集合論的に「ちゃんとしている」状態に 正確に対応します.たとえば「障害」の概念がちゃんとしているのであれば,e1が「障害」の概念の外延に,「誰かが感じる不利益」の内包に,それぞれ含まれることが含意されます.(もちろん,このような条件は,わたしたちの枠 組みでは一般に満たされるとは限りません.)

そして,これら,トークン,タイプ,その間の二項関係「|=」の3つ組〈 トークン,タイプ,|=〉によって,表象システムの1つの鍵概念である「分類 」を形成します.

わたしたちはこの分類によって,それぞれのエージェントが,たとえば観 察といった認識行為において対象と属性の間に形成する関係を記述します.そして,これらの観察を表現する分類のトークンとタイプから,概念を捉え直す のです.

ここで注意していただきたい点は,トークンとタイプの間のこの関係「|= 」は個々の経験や属性の実体的な「中身」から決定されるわけではない,とい うことです.つまり,経験e1と属性「誰かが感じる不利益」の間の関係は,何らかの客観的な基礎に基づいて形成されるのではなく,エージェントAの認識 行為を通じて形成された局所的な関係にすぎないということです.それゆえこ の関係は,普遍的な妥当性をもつわけではありませんし,概念の対象とその属 性の間に常に形成されるわけでもありません.

また,トークンとタイプの中身が予め客観的に定められていないため,わたしたちの枠組みでは更に「同一性」という,集合論的な考え方の下では無視できた問題が,新たに問題になります.たとえば概念の「同一性」は,それが 集合によって表現される限り常に保証されます.集合の世界が,そもそもその ように構築されているからです.しかし,わたしたちの枠組みでは,トークン とタイプの「中身」がそもそも特定されていないため,概念の「同一性」をそ の中身によって保証することができません.「同じ」タイプを「異なって」使 用することが可能だからです.このため,わたしたちの枠組みでは,概念や分 類の「同一性」を無条件に前提することができなくなるのです.

ところで,「同一性」という問題は,それが無条件に与えられている類いのものであるなら,そもそも意識すらされることのない問題であると言えるで しょう.というのも,それは疑う余地なく満たされているものだからです.ま さに集合論の世界においてそうであるように.しかし,わたしたちが日常生活において,たとえばアイデンティティーといった問題を少なくとも意識せざるをえないという事実は,それがわたしたち自身の日々の生活において必ずしも自明ではないということを表していると考えることができるでしょう.むしろわたしたちは,ある自明ではない基準に従って,あるものがあるものと同じで あることを確認しているはずなのです.それではわたしたちは,どのような基準によってその「同一性」を判別しているのでしょうか?これは,わたした ちの枠組みにおいて概念や分類の「同一性」をどのように捉えるべきか,という問題と密接に関係した問題でもあります.次回はこの問題について考える ことで,分類と概念の関係をより詳しく確認してゆきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2008年8月1日

悪魔は人の生を慮る (岩田正隆)

経済学を講義するとき、半ば自嘲して「経済学は悪魔の学問ですから」と述べる事があります。また、例えば経営学、社会福祉学、教育学といった、達成すべき何らかの善を、定義はできないまでも意識できる学問を専攻する人にとっては、経済学の講師自身が悪魔に見えることでしょう。彼らは、そこにあるべき善に対してしばしば「そんなことは出来ませんよ。そんなことはナンセンスですよ」と囁くように思えるからです。

障害と経済の問題についても同じことが起こります。経済学の分析はともすると、障害者の金銭的生産性が低いことを指摘し、それゆえにその人達が雇われないこと、社会に参加しづらいことを、低い能力の自然な帰結として述べがちだからです。そして、そのような主張を聞けば、障害者の人権について、また社会参加について考える人は不快に思うことでしょう。争いが起こることも致し方ないのかもしれません。

ですが、その時少しだけ、悪魔が呟く言葉を、注意して受け止めてみてください。彼は対抗して怒り反駁するばかりでしょうか。困ったような、戸惑ったような返事をしていないでしょうか。彼は皆さんを怒らせたくて話しかけたわけでは、勿論ないのです。

あとは、喩え話をしようと思います。

金の鉱脈を目指して掘り進んでいる鉱夫がいます。彼の仲間達が一生懸命頑張って、大きくそびえた山の真ん中に、キラキラ輝く大事な石があることを突き止めてくれたのです。なんとか、おおよそどの方向に進めばいいかも分かってきました。鉱夫はその輝きを手に入れるために、一生懸命穴を掘り進んでいます。

この山のあなぐらには元々の住人がいて、散らかった場所に棲み着いているので皆から悪魔と呼ばれています。会ってみれば何の嫌がらせをしてくるわけでもなく、鉱夫の様子を興味深げに見つめるばかり。何をしているんだと尋ねてくるので、鉱夫が、金を掘るんだよと答えると、「ふーん。よくわからないけど・・頑張ってね」と不思議そうな顔で言いました。

ある日を境に、鉱夫の仕事は酷く大変に、虚しくなっていきます。幾らツルハシで目の前の岩を叩いても、穴が先に伸びないのです。そればかりか、大事なツルハシもぐらぐらし始めて、このままでは仕事ができなくなってしまいます。目の回る思いで壊れ掛けの道具を振るっていると、後ろで見ていた悪魔がけらけら笑いました。「馬鹿だなあ、知らないの?この辺の石ころは君の持ってる道具より硬いんだよ。叩いたってそれがぼろぼろになるだけさ。無駄ってものだよ」

鉱夫は頭に来てしまいます。こっちがこんなに必死になっているというのに、諦めろというのか。一体自分にどうしろと言うんだ。悪魔は目をぱちくりさせて、真っ赤な顔で憤る鉱夫を見つめるばかり。やがて悪魔は、肩をすくめてよその暗がりに引き上げてしまうのでした。

経済学者が登場人物のどちらに当たるかは言うまでもないでしょう。

ところが、悪魔に後でインタビューをしてみると、意外な言葉が聞けます。目の前の石は硬くて削れないのだから、掘る向きを変えるとか、道具を替えるとか、そういうことを勿論考えるんだよね、あの鉱夫さんは。・・彼はそうコメントするはずです。坑道の中で怒り狂い、石に八つ当たりしている鉱夫のことは彼には想定外のようです。

悪魔は、物的環境に照らして当然の工夫や行動のことを考えていて、自分の言葉が、「諦めろ」という響きを持ち得ることに気づけていません。そのことには悪魔なりの、仕方のない限度があるのかもしれません。悪魔にしてみれば、硬い岩程度の問題はいつものことで、そこで諦めるなどという考えは浮かびもしないからです。勿論回り道をする、工夫をする。そういうものだろう、と悪魔は考えています。工夫の中身については、残念ながら悪魔は金採掘に詳しくないので、鉱夫に考えて貰うしかない訳です。今のところは。

悪魔は悪魔なりに、人の生活を慮って喋っています。ただ、悪魔は神様と違って何でも知っているわけではないので、彼にとって難しいところについては「後は任せるよ」としか言えません。話しかけられた鉱夫が、それだけの話では先の事を考えられないかもしれない、ということについても、悪魔にはなかなか思い浮かびません。

今回、悪魔は坑道の中から呼び出されて、外の世界の鉱夫達と一緒に仕事をすることになりました。年長の悪魔が、外の世界も知っておくものだと言うからです。「外って無駄に話が多くて苦手なんだよね」と悪魔は言います。「悪魔なんて一緒にいても腹が立つだけだぞ」と一部の鉱夫が言います。大丈夫かなあ、また喧嘩にならなければいいけど、と悪魔は思っています。それでも、年長の悪魔と年長の鉱夫は口を揃えて言うのです。こうしなければ、いつまで経っても坑道はどちらにも伸びないんだ、と。

坑道が伸びることが何でそんなに大事なのか分からないままに、若輩の悪魔は、日の当たる広場に座り込み、それでもつらつらと考え込み始めているところです。となりに若手の鉱夫が一緒に座って、話し相手になってくれることを祈りながら。

○岩田正隆 (いわた まさたか)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2008年7月11日

ゴキブリのことを考えないことは可能か? (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:2

前回は,「障害」という概念を通して,「社会科学的な概念」のもつ困難について考えました.つまり,対象との対応関係が不定であらざるをえないような困難を,社会科学的な概念は抱え込まざるを得ないことを確認し,そのような特徴をもつ概念をわたしたちは「緩い概念」と呼ぶことにしたのでした.

さて,それでは,経済学における概念はこの「緩さ」を免れていると言えるでしょうか?答えは否です.今回は,このような概念の「緩さ」が,経済学においてどのような問題として表面化するか,ということを簡単に確認したいと思います.

経済学における最も基礎的な概念の1つは何か?と問われて,一致する答えが経済学者の間で得られるかどうか,わたしたちには見当もつきませんが,少なくとも「選好」という概念がその1つであるということについては合意が得られるだろうと思います.選好とは,簡単に言うなら,人々の好みのことです.たとえば,オレンジジュースよりコーヒーが好きな人の選好は,以下のような二項関係によって表現されます.

オレンジジュース ≦ コーヒー

このとき,この不等号で表された二項関係を,オレンジジュースとコーヒーの上に定義された選好とよびます.そして,経済学のほとんどすべての議論は,原理的には「選好」を最も基礎的な概念とすることで表現することができます.このような意味において,選好を経済学の1つの基礎的な概念と考えることができるのです.

経済学における概念の「緩さ」は,そして,経済学の1つの基礎をなす,まさにこの「選好」という概念において典型的に見いだすことができます.その緩さもまた,様々な形で現れます.ここでは選好がその上に定義される,財や選択肢といった概念の緩さから間接的にもたらされる例を,具体的に確認してみたいと思います.

ここでは,オレンジジュースよりもコーヒーが好きな人を考えてみましょう.つまり,先ほどの例と同じように,この人の選好は,以下の二項関係で表現することができるものとします.

オレンジジュース ≦ コーヒー

さて,ここからが問題です.それではこの人に,次のような選択問題を提示した場合,どちらを選ぶか考えてみてください.

選択問題1:aとbのどちらが飲みたいですか?
a:オレンジジュース
b:ゴキブリは入っていないコーヒー

ここではまず,以下の点を確認しておきましょう,選択問題1において,いずれの選択肢に対しても積極的な情報が付加されてはいないという点です.

より正確には,積極的な情報が付加されているようには,多くの人には見えないだろう,ということです.もちろんここでは,「コーヒー」に対して,「ゴキブリは入っていない」という情報が付加されています.しかし,この情報は積極的な情報ではないと言うことができます.というのもそれは,「砂糖が入っている」とか,「クリームが入っている」,あるいは「ブランデーが入っている」といった「このコーヒー」に新たな属性を付加する情報ではなく,「ゴキブリは入っていない」という,言うまでもなく当たり前に満たされているべき情報でしかないからです.それゆえ,この情報が付け加わることで,「このコーヒー」に対して付け加えられた情報は何1つない,つまり,「このコーヒー」の外延的な対象は何ひとつとして変わっていない,と考えることができるのです.

ここから得られる結論はこうです.「コーヒー」が「オレンジジュース」より好きな人は,選択問題1でも,やはり,bの「ゴキブリは入っていないコーヒー」を選ぶ,というものです.

ほんとうでしょうか?

おそらく,多くの方は,この結論に違和感を抱くのではないでしょうか?少なからぬ人が,たとえコーヒーが好きな人でも,aの「オレンジジュース」を選ぶことがありうる,と思われるだろうと思います.実際,わたしたちが都内の某私立大学で行ったアンケート調査では,コーヒーの方がオレンジジュースより好きだと答えた被験者のうち,約7割が,aの「オレンジジュース」を飲みたいと答えています.つまり,わたしたちの多くは,「ゴキブリは入っていないコーヒー」を単なる「コーヒー」とはみなさず,それを積極的に避けようとするのです.

理由は単純です.われわれは恐らく,その「コーヒー」の中に,尋常ならざる何ものかを見いだしてしまっているのです.たしかにゴキブリは入っていないコーヒーなのかもしれないけど,ネズミは入っているのかもしれないよな,あるいは…といった具合に.

ここにわたしたちは,前回「障害」という概念をめぐって抉り出した,概念の「緩さ」を再び見いだすことができるでしょう.いくら例を積み重ねていっても決して説明し尽くすことのできない不定性を含む概念のあり方です.このような意味において,「ゴキブリは入っていないコーヒー」は,「コーヒー」という概念にもともと潜在するこの不定性を抉り出していると考えることができるのです.

この不定性の存在は「オレンジジュース」について考えることで,更により明確に意識することができます.

よく考え直してみましょう.この不定性を,それでは「オレンジジュース」は免れ得ているだろうか?と.もちろん「ネズミが入っていない」ことは保証されていません.他の「ヤバいものが入っていない」ことも保証されていません.さらに悪いことには,「ゴキブリが入っていない」ことすら,この「オレンジジュース」には保証されていないのです.つまりこの「オレンジジュース」は, ある意味で「ゴキブリは入っていないコーヒー」よりも,はるかに危険な飲み物であると見なすことができます.にも関わらずわたしたちは普通,この「オレンジジュース」をヤバい,不定なものとはみなさないのです.

わたしたちが「オレンジジュース」を,ヤバい飲み物と見なさなかった理由は簡単でしょう.その概念が,まさに「普通」に用いられていたからです.「普通」に用いられる限り,この「オレンジジュース」が当たり前の「オレンジジュース」であることを,わたしたちは疑わずに済ますことができるのです.しかし,ひとたびそれが「普通」ではない使われ方をした途端,「オレンジジュース」という概念に潜在していた不定性を意識させられてしまうのです.まさに「ゴキブリは入っていないコーヒー」によって意識させられたように.

財や選択肢といった対象の概念から不定性が排除できないとき,対象の上に固定された選好関係のみによって人の好みを表現することに,十分な正当性があるとは言えなくなるでしょう.というのも,わたしたちの選好は,このような不定性を意識させられることで不断に変化させられうるからです.そしてわたしたちは実際,形式的には「無意味」な情報を様々に読み込むことで,ときに自分自身の選好関係を逆転させもするのです.それゆえわたしたちは,たとえば選好関係という基礎的な概念を構成する場合においてすら,この概念の「緩さ」を無視することができないことが分かります.

概念の緩さをモデルするためにわたしたちが考慮に入れるべき対象が何であるか,答えは既に明らかでしょう.それは,モデル内部のエージェント自身の概念に対する認識です.概念を自明なものと見なすのも,その自明性に疑問を抱くのも,その概念をそのようなものとして理解し,使用するエージェント自身に他ならないからです.それゆえ選好といった概念は,モデル内部のエージェントの対象に対する認識そのものを明示的にモデルすることで捉えられるべき概念であることが分かります.

そして,これからご紹介してゆく「表象システム」は,まさにこのようなモデル内部のエージェントの認識そのものを記述することを試みた枠組みです.つまり,この枠組みによってわれわれは,概念と対象との関係を唯一に定めることなく,不定性に開かれたまま対象を認識する,われわれ自身が日常的に行っている認識行為を記述しようと試みているのです.たとえば,普通ではないヤバそうな対象に不穏なものを嗅ぎつけたり,あるいは未知のものに根拠も無く惹かれてしまう,といったより日常的な認識です.こうすることで不定性は,はじめて,われわれ自身の認識を左右する有意義な要素として取り込まれ,行動に影響を与える積極的な要素として意思決定の枠組みの中に正当に位置づけられるのです.

ところで,わたしたちは今回,概念の抱える「不定性」を,否定的な文脈でのみ説明してきました.このため,概念の「緩さ」を,できる限り排除すべき,否定的なものとして受け取られた方がいらっしゃるかもしれません.もちろん不定性が,否定的に作用する場合があることは事実です.しかし,それ以上に重要な点は,それが概念のもつ最も肯定的な働きと不可分に結びついているという点にあります.たとえば概念のもつ潜在的な可能性や創造性といった要素はむしろ,その「緩さ」にこそあると言うことができます.その一例として,「障害」と呼ぶべき経験に気付くことを可能にした「障害」という概念の創造性を思い出すこともできるでしょう.ここでわたしたちは,世界(鏡のないエレベーターに乗るという経験)の見方が複数ありうることを,「障害」という概念の「緩さ」を通じて具体的に実感することができたのでした.このような意味において,概念に潜在するこの「緩さ」は, 世界の見方が常に複数存在することをわたしたちに保証し,気付かせてくれる基盤を構成してもいるのです.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

2008年6月11日

「緩い」ものは「緩い」ままに (坂原樹麗・佐藤崇)

「表象システム」とその周辺:1

今回から何回かに分けて,わたしたちが現在取り組んでいる「表象システム」という枠組みについてご紹介してゆきます.ここではまた,「表象システム」に限らず,社会科学に特有の問題を扱う際に有効であろう(しかし,まだそれほど知られてはいない)数学的なツールを,いくつか紹介してゆくつもりです.今回は最初ですので,「社会科学的な概念」のもつ独特の困難について,「障害」という概念を通して一般的に考えてみたいと思います.

「障害」とは何のことですか?と問われて,これが「障害」です,と自信をもって指示できる方はどの程度いるでしょうか.どの程度いるか,わたしたちにはまったく見当もつきません.第一に,わたしたち自身,それを自信をもって指示できる確信が持てません.しかしわたしたちにも,確実にそれを指示できる,と主張される方がいるだろうことだけは,少なくとも想像できます.

たとえば,日々「障害」をリアルに経験されている方々であれば,恐らく間違いなく自信をもって,「障害」が何であるかを指示できるでしょう.「障害」とは,いまわたしが感じているこの経験である,と.

エレベーターにのるでしょ? 何がないと不便かわかりますか?
さぁ?
鏡なんですよ.これ,決定的に大事ですよ,われわれには.

これは,東京大学経済学研究科棟のエレベーターに乗ったとき,研究者仲間であるNさんから指摘されたことです.

鏡が決定的に大事になる,とはどのような状況においてでしょうか? これには少し説明が必要でしょう.Nさんは日々の生活に車椅子を利用しています.そして,車椅子でエレベーターを利用するには,鏡が不可欠になるのです.なぜでしょう?

 

車椅子でエレベーターに乗るとき,何が一番の制約になるか,想像できるでしょうか? 少し考えてみれば分かるとおり,それは方向を変えられないことにあります.エレベーターに前進して入ると,扉に背を向けたままの姿勢を保たなければなりません.それゆえ,途中階で誰が乗ってきたか把握できませんし,扉が開いたことを直接確認することもできません.最大の問題は,エレベーターから降りる時に生じます.扉に背を向けていますので,後進しなければなりません.しかし,後ろは見えません.この時,なにによって後ろの安全を確認するでしょう?そう,鏡によってなのです.

おそらくNさん自身は,鏡のないエレベーターに乗るたびに,この「障害」を意識させられてきたでしょうし,現に意識させられているでしょう.それは,一度車椅子でエレベーターに乗れば誰もが意識せざるをえない問題だろうと思います.しかしわたしたちは,そのような当たり前の事実に,このときまで気付いていなかったのです.

さて,社会科学に特有の問題はここからはじまります.いまリアルに感じている「この」感覚,鏡のないエレベーターに乗ることで意識させられる「障害」を,われわれはいったいどのような概念によって厳密に把握することができるだろうか? というのがその問題です.

自然科学であれば,日々の研究においてこのような問題を意識しなければならない場面は,それほど多くはないでしょう.たとえば「H2O」という概念を考えてみましょう.「H2O」という概念が何を指しているか?と問われて困る人はそれほどいないでしょう.というのも,「H2O」が水であることさえ知っていれば,その人は迷わず「水」を指差すことができるでしょうし,多くの人から同意を得ることができるからです.

それでは,「障害」という概念が何を指しているか,同じようにして指示することができるでしょうか? 少し考えれば,これは思いのほか難しい作業であることが分かります.もちろんわたしたちは,「鏡のないエレベーターから車椅子で降りるときに経験される不利益」を「障害」と呼ぶことはできるでしょう.しかし,それで十分であるとは到底言えません.視覚に関係して経験される「障害」や聴覚に関する「障害」など,他の様々な「障害」の経験がここには含まれていないからです.そしてそのような不十分さは,経験をどれだけ積み重ねていったところで消し去られることはありえません.なぜならそれらの個々の経験は,他の場面で経験されるであろう「障害」について,何も示してはいないからです.

「障害」は常に,このような特定の文化状況や物理状況における,特定の個人の下で経験される事柄であると言えるでしょう.Nさんが車椅子を利用せざるをえないということ,そしてエレベーターという特殊な構造をもつ機器の存在が日常生活に不可欠であること,これらの特殊性こそが,Nさんの経験しているであろう「障害」を構成する不可欠の条件だろうからです.それゆえ,それらの特殊性を無視して,「障害」が表面化する普遍的な条件を求めることはほとんど無意味である,と言い切ることすらできるでしょう.

そして,「障害」を現実化しているこの特殊性こそが,まさに対象の同定を難しくする元凶なのです.つまり,ある特殊な条件の下で引き起こされるであろう「障害」は,それが特殊であるがゆえに,一般的に「障害」を構成する条件とは見なされ得ないからです.敢えて一般的に正しい定義を与えようとするなら,それは誰かが「障害」と呼ぶ経験の全体,つまり「障害」と言われているものが「障害」である,という自己言及的な説明にならざるをえないでしょう.ここに,社会科学的な対象を概念によって捉えることの抱える原理的な困難があるのです.

概念と対象との関係が一意には決定されないような概念(敢えて決定しようとすると自己言及的な定義しか与えられないような概念)これをわたしたちは,「緩い概念」と呼びたいと思います.たとえば,ある概念の対象が決して書き尽くすことができないような,あるいは更に,ある人にとっては「障害」と結びつくであろう対象が,他の人にとって結びつかないような不定性を含むとき,その概念を「緩い」と呼ぶのです.そして,「障害」は,この意味において典型的な「緩い概念」の1つなのです.

このような概念の「緩さ」は,たとえば自然科学の枠組みでは極力排除されてきました.あるいは,「緩さ」を排除し「客観性」を獲得するために形成されてきた枠組みが自然科学であるとすら言えるかもしれません.それは,たとえばニュートンの力学系を素朴に応用した経済学の枠組みにもそのまま受け継がれた伝統だと言えるでしょう.

このような自然科学の態度の背後に,真理は「緩い」ものには宿らない,とする西洋の形而上学の1つの典型的な現れを見ることもできるかもしれません.しかし「障害」の問題がわれわれに教えてくれるのは全く逆の事実です.つまり,このような「緩い」概念によってしか捉えられない経験がある,という否定しがたい事実です.

それゆえわたしたちは問題をこう考えるべきでしょう.「緩い概念」でしか捉えられないから「障害」は取るに足らない問題であるのではない.「緩い概念」を「緩い」まま厳密に把握することこそが必要なのだ.そして,このような認識のあり方の根本的な転換をわれわれに迫るという意味において,「障害」の問題は近代的な知の枠組みに対する最も核心的な挑戦の1つであり,中心的な課題の1つなのだ,と.

このような「緩い概念」の必要性は,なにも「障害」の問題に限らず,自然科学を含む広い分野において一部の人々の間では認識されている問題です.そして,わたしたちが見るところ,このような問題に対して多くの有益なツールが開発されているのが,おそらく計算機科学の分野です.これに対し,残念なことに,経済学も含んだ社会科学の枠組みは,自分たちが扱うべき問題を扱うツールをまだ十分にはもっていない,というのがわたしたちの認識です.

わたしたちの取り組んでいる「表象システム」という枠組みは,ささやかながら,このような問題を扱うために既存の意思決定の枠組みの拡張を試みたものです.人間をモデルする際,これまで顧みられることのなかったどのような要素を明示的に扱えば「緩い概念」の記述が可能になるか,この点こそが問題の中心になります.これらの問題については,次回以降,ゆっくり記述していきたいと思います.

坂原樹麗 (さかはら きり)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

佐藤崇 (さとう たかし)
東京大学大学院経済学研究科 特任研究員