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READ:
Research on Economy and Disability
学術創成 総合社会科学としての
社会・経済における障害の研究

〒113-0033
東京都文京区本郷7-3-1
東京大学大学院経済学研究科 READ

書籍



松井彰彦「はしがき」
2011 年 05 月 13 日更新

松井彰彦・川島聡・長瀬修編著『障害を問い直す』東洋経済新報社

はしがき

 人はひとりでは生きられない。

 今般の東日本大震災で、そのことを痛感された方も多いだろう。

 本書の著者の多くが住んでいる東京圏では、被害は比較的軽微だった。しかし多数の帰宅困難者が生じたり、計画停電が実施されたり、液状化現象で断水が続いたりといった体験をして、改めて、生活インフラの重要性が身に沁みた。

 本書を執筆した私たちのチームは二〇〇七年に結成され、奇しくも、生活インフラを分析の対象としている。「障害者」と呼ばれる人々が、かれらに適した「生活インフラ」が十分に整っていないせいで直面するさまざまな問題を見据え、その解決の糸口を探る研究をしているのである。

 ここでいう「生活インフラ」は、上下水道や電気・ガスといった、多くの人にとっての必需品だけを指すのではない。だれでもトイレや点字ブロックといった、一部障害者に必須のものも含んでいる。さらには、手話通訳や点字文書といった情報保障、在宅就労者や知的障害者が働きやすい職場、必要な支援とお節介の違いを学ぼうとする周囲の態度や、偏見のないまなざしといったものも含んでいる。

 はじまりは、東京大学バリアフリー支援室での福島智・長瀬修の両名と松井彰彦との出会いだった。ハローワークから、東京大学の障害者雇用者数が少ないという「指導」を受けて、バリアフリー支援室に障害者雇用推進ワーキング・グループ(障害者雇用WG)が設けられたのが二〇〇五年。そのWGで三人が顔を合わせ、他のメンバーとも協力して東京大学の障害者雇用を推進することになったのだ。

 雇用は推進する。しかし、単に帳尻を合わせるだけの雇用では終わらせない、というのがメンバーの当初からの一致した意見だった。個人的には、現場の非障害者にとっても有益な雇用にしたいと考えた。東京大学の障害者雇用・支援の仕組みを一から構築していくことには苦労もあったが、大いなる喜びもあった。とくに経済学研究科では、スタッフの理解もあって雇用が進んだ。当時〇%だった同研究科の障害者雇用率は、二〇一〇年度末の時点で、一〇%超に達した。

 実務でコラボした勢いも手伝って、福島、長瀬、松井の三人は「障害学と経済学の対話」と銘打って仲間を集め、翌春から勉強会を始めることにした。この勉強会では、どうしたら「障害者」を社会に適応させられるかではなく、どうしたら社会を「障害者」に合わせて作れるかを考える、というのが共通の問題意識となった。

 勉強会を始めてからしばらく経った夏のある日、スタンフォード大学名誉教授の青木昌彦氏から「何か大きなプロジェクトになりそうなものを持っていないか」という打診をいただいた。松井は付け焼刃の知識で、「対話プロジェクト」の話をし、これは障害のある人のための施策に資する実学であること、松井が拙著『慣習と規範の経済学』にまとめた理論研究の応用ともなること、さらにこれまでの主流派経済学では見過ごされてきた周縁の問題を可視化することで、経済学そのものを変える潜在力を持っていることなどを力説した。

 するとその秋、「あなたは学術創成研究に推薦されました(推薦者:青木昌彦)。つきましては、申請調書を作成してください」との知らせが日本学術振興会から届いた。それからの二週間は、勉強会の仲間に声をかけつつ、文字どおり泣きながら申請書を作成した。申請したプロジェクトの正式タイトルは「総合社会科学としての社会・経済における障害の研究」、通称は「障害と経済の研究」(Research on Economy And Disability: READ)である。そして翌春、すなわち二〇〇七年の春に「障害と経済の研究」プロジェクトが立ち上がった。

 与えられた目的は学術創成。障害問題を社会・経済的側面から読み解く、新しい研究分野を切り拓くことである。最初の仕事はチーム作り。長瀬は障害分野、松井は経済分野と手分けをして人材を集めることから始めた。前者は主として障害問題を研究するさまざまな学問分野の研究者たちとなり、後者は医療や福祉などの経済問題に関心のある経済学者となった。

 経済学という一つの学問分野の中でも、理論分野と実証分野では話がかみ合わないことが多々ある。ましてや、法学、社会学、教育学、経済学などの異分野の研究者が一堂に会する私たちのチームは、ほうっておくとチームの体をなさなくなる。そこで、とにかく異分野交流という点を意識し、研究会や勉強会を頻繁に開催し、お互いの「言葉」を学び、感じとることから始めた。そのとりあえずの成果が本書である。

 本書の著者の多くは、プロジェクトを立ち上げたときのメンバーのうち、東京大学経済学研究科に籍を置くことになった、いわばREAD直轄の研究者たちである。私たちはチーム結成以来、同じ空間を共有し、疑問を投げかけあい、議論を繰り返してきた。

 学術とは、論文のことを言うのでなく、それを担う研究者たちの集合体である。その集合体が空中分解せずに、それぞれの立場や学問的背景を維持しつつも一つの「何か」に向かって歩みを進めるとき、新たな学術分野が生まれる。

 本書は、私たちの研究成果の第一弾である。私たちは、「障害と経済」という学術分野の礎を築き始めたところであり、十分な何かを生み出したとはまだまだ言えない。それでも、各分野の問題意識や感覚が少しずつブレンドされつつある。今の時点で、このブレンドがどのような味わいを出しているか、また、新しい研究の息吹を感じられるかどうかを読者のみなさんにご判断いただき、ご指導・ご批判を賜れれば幸いである。

 二〇一一年春 編著者・著者を代表して
  READ研究代表者
  松井彰彦