REASE 公開講座

2014年7月12日

REASE 公開講座のご案内

チラシはこちら (PDF)

公開講座「児童虐待被害者支援策の新展開」
日時 2014年7月12日(土)午後1時00分〜5時30分
会場 東京大学本郷キャンパス 経済学研究科棟地下1階 第一教室
情報保障:手話通訳、文字通訳、磁気ループ
入場料:無料
Ustream 配信動画の再配信(一部除く。スライドと、文字通訳・手話通訳はありません。)は7月25日12:00まで視聴出来ます。
USTREAM: ut-rease-conference
司会:川越敏司(REASE、公立はこだて未来大学・教授)
プログラム
13:00-13:05 開会の言葉 松井彰彦(REASE、東京大学経済学部・教授)
13:05-13:45 第1講演(医学) 「児童虐待と“癒やされない傷”〜虐待被害者の脳科学的研究〜」
友田明美(福井大学子どものこころの発達研究センター・教授)
報告ファイル : WORD(概要 :37KB) / PDF(26MB) / TEXT(UTF-8/25KB) /TEXT(Shift-JIS:Windows/20KB)
13:45-14:25 第2講演(社会学) 「私たちは何を語り,何を語っていないのか―「児童虐待」問題を解体する」
内田良(名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教育学部・准教授)
報告ファイル : PDF(1.3MB) / TEXT(UTF-8/29KB) / TEXT(Shift-JIS:Windows/25KB) (7月14日更新)
14:25-14:40 休憩
14:40-15:20 第3講演(経済学) 「児童の教育・発達・虐待:経済学の視点」
赤林英夫(慶應義塾大学経済学部・教授)
報告ファイル : PDF(1.3MB) / TEXT(UTF-8/33KB)/ TEXT(Shift-JIS:Windows/25KB)(7月7日追加)
概要 : PDF(152KB) / WORD(16KB) / TEXT(UTF-8/16KB)/ TEXT(Shift-JIS:Windows/12KB)
15:20-16:00 第4講演(司法福祉) 「児童虐待と修復的正義」
小長井賀與(立教大学コミュニティ福祉学部コミュニティ政策学科・教授)
報告ファイル : PDF(1.9MB) / TEXT(UTF-8/29KB)/ TEXT(Shift-JIS:Windows/20KB)(7月7日追加)
概要 : WORD(29KB) / TEXT(UTF-8/12KB) / TEXT(Shift-JIS:Windows/12KB)
16:00-16:40 第5講演(社会福祉) 「子ども虐待防止と支援の課題」
柏女霊峰(淑徳大学総合福祉学部社会福祉学科・教授)
報告ファイル : PDF(737KB) / TEXT(UTF-8/57KB) / TEXT(Shift-JIS:Windows/41KB)
16:40-16:55 休憩(質問票記入)
16:55-17:25 質疑応答
17:25-17:30 閉会の言葉 川越敏司

質問・コメントカードへの回答 1 友田明美(7月23日更新)

質問・コメントカードへの回答 2 内田良(7月23日更新)

質問・コメントカードへの回答 3 小長井賀與(7月23日更新)

お問合せ:rease@e.u-tokyo.ac.jp

2014年7月23日

質問・コメントカードへの回答 1

友田明美

友田明美「児童虐待と“癒やされない傷”〜虐待被害者の脳科学的研究〜」へ当日寄せられた質問・コメントへの友田先生の回答です。

○ Q1
お話ありがとうございました。
学校で接している子どもは愛着障害なのかなと考えながらお話し聞かせていただきました。
質問なのですが、愛着障害だけではないのですが、虐待を受けているこどもと接するときにどんなかかわり方をしたらよいのか教えていただきたいです。
● A1
 まずは子どもの状態をきちんと把握することを行っていただきたいです。どんなことを、どんな状況で経験したのか。そして、現在の安全性の確保が出来ているのか。
 これを「状況のアセスメント」といいますが、被虐待児に関わる全ての大人が、それぞれの視点でその子どもの状況をきちんとアセスメントし、把握しておくことが必要ではないかと思います。
 更に、心理教育とノーマライズが必要になります。彼らが経験したことを思うと、毎日の日常でさえも刺激が強いこともあるかもしれません。あるいは、自分が周りを刺激してしまうなど、「支配」「被支配」という虐待がもたらす副作用を他の人間関係に持ち込むこともあると思います。その部分を意識しながら、心理教育とノーマライズ(適応を促す関わり)をお勧めします。
○ Q2
私自身、いじめられて、辛いと思っています。
辛い思いを解消していくにはどうしたらいいか、わからなくて、悩みますが、今回お話を聞いて、少し安心しました。
こういったきかいをふやしていきたいです。
ありがとうございました。
● A2
 辛い体験は大なり小なり誰にでもあります。そのまま辛い記憶を封印してしまうと、思いもかけないときに突然、甦ってきます。心理カウンセラーや信頼が置ける友人に辛い思いを打ち明け、相談にのってもらうのも良いかも知れません。人は強い生き物ではありませんから。
○ Q3
CBTの枠組みの中で箱庭が語られているのを初めて聞きました。どのような内容の療法なのか、詳しい説明を聞きたいです。また、こういった心理療法は誰が行っているのでしょうか。
● A3
 箱庭や描画などを用いた遊戯療法により、子どもが語ることのできない、子どもを取り巻く環境や過去(被虐待経験)について、とらえようとするアプローチです。そして最後に、子どもだけでなく、親に対するアプローチがきわめて重要です。
 こういった心理療法は、臨床心理士が行っています。箱庭においては、子どもが自発的に自由に表現をするため、子どもの自己治癒力が活性化されることが期待されています。また、子どもの内的世界が表現され、その理解により子どもをより深く理解することができます。
 臨床心理士(セラピスト)は、完成された作品だけを見るのではなく、その作品が制作される過程をつぶさに観察し、その意味を汲み取らなければなりません。完成後、子どもから作品の説明を求めることには問題はないのですが、無理に細かく聞くと治療的な面を損なってしまいかねません。細かく見すぎることで全体の印象を見失ってはなりません。大切なのは、言葉にならないイメージの表現や感覚です。作品のまとまりや空間の使い方、物の配置の仕方など、子どもの表現そのものを、「味わおう」とする態度が求められます。箱庭の中の世界がどのようなものであるのか(動物が死んでいる、アイテムの配置がいびつであるなど)、言語化されていない家族関係がそこに投影されることがあります。その点で、子どもと制作の場を共有することが極めて重要な治療です。
○ Q4
子供の治療に関して、治療後の障害はどの程度残されるものでしょうか?
● A4
 治療をしたからと言って外科手術のように全てがきれいさっぱり無くなる訳ではありません。時の経過と共に、自分にとってその出来事がどんなことだったのかと何度も何度も考え直すはずです。
 しかし、一度専門家と一緒に適切な関わりを経験し、トラウマに関する心理教育が入っていれば、過去のトラウマティックな出来事を思い出しても、PTG(ポスト トラウウマティック グロウス)視点で自分の経験を見られるようになります。これが一番重要なことです。
 「障害」という言葉を用いると回答が難しくなりますが、「出来事の身体的・精神的な記憶」がどれだけ改善したかとすると、特に身体的記憶は、治療の最初の段階で扱うものなので相当な改善が見込めます。最近は、TFT(思考場療法)、SE(ソマティック・エクスペリエンス)などトラウマへの素晴らしい身体的アプローチが出ています。
 一方、精神的な記憶は、形を変えてずっとその子どもさんの人生に存在すると思います。
○ Q5
親への教育・指導はなされていますか? その取り組みがあれば教えてください。
● A5
 親への教育・指導にはペアレントトレーニング(PT)をしています。ペアレントトレーニングは、米国のハンス・ ミラー博士により創始された行動療法の一種です。保護者や支援者が、子どもの行動を観察・記録し解析することで、子どもの行動を改善する手立てを習得していきます。内容はケースバイケースですが、結果的に親御さんを励まし、子育て支援に繋がっています。
 また、私が所属する(福井大学附属病院子どものこころ診療部)外来では、必要に応じて、夫からドメスティックバイオレンスを受けた母親のカルテを作り、子どもと並行して心理治療を行うこともあります。母親の心理的問題には、乳幼児健診等では保健センターの保健師、病院・子育て支援センターでは臨床心理士などによるカウンセリングなどを通して対応します。知的障害、うつ、パーソナリティ障害などの精神障害、発達障害のある親の場合、必要に応じて精神科医への紹介など医療的な支援を行い、治療や生活環境調整を行います。きょうだいへの対応も含め、生活の支援として育児支援ヘルパー、一時保育、ショートステイなどの利用を促し、子育てから休息する時間を確保します。経済的に困難な家族に対して生活支援のための福祉資金や自立支援が必要と判断される場合は、福祉事務所につなげます。
 虐待に至ってしまった家庭には、緊急に子どもの安全を確保し、親には家族の再統合に向けた教育などの支援を行わなければなりません。支援のための親子分離を前提とした入院治療や院内外虐待対策委員会による対応、児童相談所への通告、警察への通報を行います。現在は虐待に至っていないものの、放置すると虐待に至る可能性が高い家庭には、児童相談所が核になり、福祉・保健・医療・教育など家庭の状況に応じた支援につなげていく必要があります。
○ Q6
いろいろな暴力がとりあげられていました。言葉による暴力は、身体よりも脳への損傷が大きいのはわかりましたが、例えば、性的暴力とそれ以外の暴力では、損傷の面で何か有意な差は観察されていますか? 例えば世代間の連鎖は、他の暴力と同程度ですか?
● A6
 既報告では、単独の虐待よりも複数のタイプの虐待を受けた被虐待者のほうが精神病性の症状への進展リスクがより大きい、とされています。私たちの検討でも、単独の被虐待経験は一次的に感覚野の障害を引き起こしますが、より多くのタイプの虐待を一度に受けると大脳皮質辺縁系に障害を引き起こすことが示唆されています。性的虐待を受けると、視覚野容積が小さくなることもわかってきました。
 詳細は下記サイトをご参照下さい。
 http://scienceportal.jp/columns/opinion/20130628_01.html
○ Q7
児童虐待が発見される時期について
・ご紹介のあった数々の研究では、ごく普通の人(これまで児童虐待を発見されていない人)を対象に調査したところ、昔の虐待経験があかるみに出たということでしょうか?
・大人になってうつ病で受診した人の中で、話をきいてはじめて虐待を受けた事実が明らかになる人はどのくらいか?
等、大人になって昔の虐待が明らかになる割合はどのくらいでしょうか?
● A7
 私たちは、虐待による長期的で極端なストレスが、子どもの脳を傷つけるのではないかという仮説を立てました。大量のストレスホルモンが脳の発育に影響を与えることは知られていましたが、虐待ストレスによって、脳にどのような影響が出るかは明確ではなかったのです。そこで私たちはハーバード大学との共同研究によって、子どものころに被虐待経験を持つ人の脳をMRIで可視化し、脳にできる傷を調べました。先日の講座ではその結果わかった、心理的ストレスが脳に与える影響のいくつかを紹介しました。対象は、うつ病や心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断がついた患者さんではなく、ごく普通の人(これまで児童虐待を発見されていない人)です。
 大人になって昔の虐待が原因でうつ病や心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断がつく割合は50〜78%と報告されています。
○ Q8
愛着と虐待について 愛着と虐待は同一線上にある(イメージ 愛着←―――虐待)ととらえてよいのでしょうか。それともまったく別の概念なのでしょうか?
● A8
 愛着(アタッチメント)は、「子どもと特定の母性的人物に形成される強い情緒的な結びつき」です。ボウルビィ(Bowlby)(1969)は、生後1年以内の乳児にもその乳児における母性的人物に対する特有の愛着行動パターンが生得的に備わっていると考えました。子どもは養育者に愛着行動を示すことにより、養育者を自分の方に引き寄せ、養育者との距離を近くに保つことによって、欲求を充足し外敵から身を守っていると考えられます。
 愛着障害は、基本的に安全が脅かされる体験があっても愛着対象を求められない状態です。子どもの基本的な情緒的欲求や身体的欲求の持続的無視、養育者が繰り返し変わることにより安定した愛着形成が阻害されることが病因とされています。  以上から個人的見解ですが、虐待 → 身体的・心理的発達への影響+トラウマによる反応+アタッチメント形成への影響(愛着障害)と考えています。ですから、愛着と虐待はまったく別の概念であるとは考えていません。
○ Q9
程度の問題について
虐待の程度(スコア等)と影響に量-反応関係はあるでしょうか?
● A9
 例えば、親からの暴言虐待の程度(暴言虐待尺度)と聴覚野への変化にはありませんでした。しかし性的虐待を受けた期間が長ければ長いほど、被虐待者たちの視覚野容積がより小さいという関連がありました。
○ Q10
原因(要因)等を統計解析(重回帰分析)を行っているようですが、データの分布は正規分布なのでしょうか? またp値等で前稿(WEBサイト)で判断しているようですが、もし仮に正規分布であるとしても標準偏差、おそらく標本標準偏差(SD)を用いているならば、危険側に判断することになると思います。つまり小さく標準偏差を見積もることになり、それをもってミスリードする可能性があると思いますが、どうお考えでしょうか。少数例であるのでなおさら重要なことだと思い疑問を呈します。
● A10
 ご質問はおそらく従属変数が(もしくは独立変数も)正規分布していないことが問題ではないか?と言うご指摘だと思います。正規性の検定(対象群とコントロール群ともに)を行っています。2群間で等分散性の検定も行っています。一方で、重回帰分析を実施する際には、変数は全てZ化(標準化)されます。そうでないと、単位の違う変数を一つの式にできません。ですから、βは標準化偏回帰係数と言います。よって、正規分布しているかどうかはそれほど問題ではありません。当然N(サンプル数)が小さいことは検定力の低下につながりますので、どのような検定をしても問題になります。
 なお、通常は標本標準偏差を使用しますが、危険側に判断する、というのがよく理解できませんでした。さらにこれがミスリードになるというのも、よく理解できませんでした。標準偏差の絶対値は問題ではありません。
○ Q11
内田先生の講演内容と、対立点が多々あったように思います。
・「児童虐待はふえていない」(むしろ減っている)
・「児童虐待をされた子どもには、大変な問題が起きる」「児童虐待は社会に大きな負担をもたらす」という主張は、「利点もあるから、虐待OK 」という主張をも可能にする
など。
内田先生へのご反論等があればお聞かせいただければうれしいです。
● A11
 内田先生のご講演は、「児童虐待は増えていない。発見されるようになって増えているように見えるだけだ。虐待死も減っているではないか。」という内容と理解しています。私の実感は、「増えている」です。子育て困難な親は増えている。だから虐待も増えている。発見がされるようになったのは事実ですが、それが虐待死の減少(いつの時代と比較しているのかによって違うと思いますが)につながっているだけです。
 「虐待にも利点がある」とどうして言えるのでしょうか。そういう主張が可能になる、とおっしゃっている質問自体が理解しがたいです。
 私の講演でお示ししたように、年間の児童相談所への通告数は6万6千件を越えており、毎年200人近くの虐待死が確認されています。しかも、子どもへの虐待は一過性に終わることはまれで、再発を繰り返して慢性化する傾向が高く、次第にその重症度を増していくケースも少なくありません。
 また、虐待環境を生き延びた子どもは、身体的および精神的発達に様々な問題を抱えています。養育者の暴力の結果、生涯に及ぶ障害を負う子どももいます。人生の早期に幼い子どもがさらされた、想像を越える恐怖と悲しみの体験は、子どもの人格形成に深刻な影響を与えずにはおけません。子どもは癒されることのない深い心の傷を抱えたまま、様々な困難が待ち受けている人生に立ち向かわなければならないのです。
○ Q12
「各分野の連携」について
具体的に実施されていることはありますか。
現場ベースということもありますが、少しそれを離れた研究等において、何かありましたら教えてください。
● A12
 要支援家庭への適切な親子関係の支援が児童虐待予防につながります。親子の相互関係の改善と促進のために、早期に発見し子ども家庭支援センターや保健センターなどの地域の社会資源や関係機関と連携を持ちながらサポートを行うことが望ましいと考えます。具体的には、社会性などの発達が気になる子どもについては、発達に関する精査を行い養育の援助を行います。また、親の心理的問題には、カウンセリングなどを通して対応しています。「気になる親子」とは、「1. 虐待につながりやすいハイリスクな要因がある親子、2. 親子関係などに、何らかの不自然な様子が感じられる親子」を意味し、虐待の予防的支援が必要です。
 児童虐待に至るおそれのある要因(リスク要因)は以下の通りです。
1.保護者側のリスク要因
・妊娠そのものを受容することが困難(望まぬ妊娠、若年の妊娠)
・子どもへの愛着形成が十分に行われていない。(妊娠中に早産等何らかの問題が発生したことで胎児への受容に影響がある。出産後の子どもの長期入院など)
・マタニティブルーズや産後うつ病等精神的に不安定な状況
・元来性格が攻撃性・衝動的
・医療につながっていない精神障害、知的障害、慢性疾患、アルコール依存、薬物依存
・被虐待経験
・育児に対する不安やストレス(保護者が未熟等による)
・体罰容認などの暴力への親和性
2.子ども側のリスク要因
・乳児期の子ども
・未熟児
・障害児
・何らかの育てにくさを持っている子ども
3.養育環境のリスク要因
・未婚を含む単身家庭
・内縁者や同居人がいる家庭
・子連れの再婚家庭
・夫婦関係をはじめ人間関係に問題を抱える家庭
・転居を繰り返す家庭
・親族や地域社会から孤立した家庭
・生計者の失業や転職の繰り返しなどで経済不安のある家庭
・夫婦不和、配偶者からの暴力(DV)など不安定な状況にある家庭
・定期的な健康診査を受診していない家庭
 地域の子育て支援ネットワーク:要支援家庭の抱える問題が複雑になるにつれて、1つの機関だけで支援を行うことが困難になります。各機関にはそれぞれの役割と専門性がありますが、ネットワークを活用することにより各機関の特色を活かしながら、多角的な視点で適切な子育て支援を行うことができます。医療機関、母子保健事業、子ども家庭支援センター、児童相談所、保育所・幼稚園、学校、児童館、民生児童委員、福祉事務所、警察、NPOなどで、様々な支援方法と役割分担をすることによりサービスが重層的に行われるよう留意します。要支援家庭と判断する方法や関係機関につなぐ基準、フォローの方法などについては、地域の関係機関と連携していくためにも具体的に説明できるように内容を「可視化」することを心がけることが重要です。
 私たちが現在行っている研究(永平寺町母子発達コホート調査)をご紹介します。平成24年9月から調査を開始し、平成26年6月までに計210組の母子(男児110名、女児100名、対象者の同意取得率は90%)の協力が得られました。母親のメンタルヘルスや子の発達状況、および、それらの相互作用については、関連性を示すデータが得られつつあります。子の発達状況の継時的な分析から、父親の育児参加の有無が、子の社会性の発達および母親のメンタルヘルスに影響を及ぼす可能性が示唆されています(友田明美,他。「福井Age2企画〜福井県永平寺町小規模集団での発達コホート研究〜」, 日本社会精神医学会雑誌, 2014)。この結果を地域の保健センターに還元し、母子支援の手立てとして活用してもらっています。
○ Q13
眼球運動のコントロールが虐待後遺症に対して効果があるという理解で大丈夫でしょうか? 他にも何か効果があれば教えてください。
● A13
 眼球運動による脱感作および再処理法(EMDR)は比較的新しい心理療法で、1989年にフランシーン・シャピロにより開発されました。左右に振られるセラピストの指を目で追うことで、記憶を整理する浅い眠りであるレム睡眠の状態に脳を近づけ、過去の外傷体験を想起させた際の激しい恐怖と結びついたトラウマの記憶を、遠い過去のことのように感じさせ、様々なできごとに対処できる前向きな自分を意識できるようにすることがこの治療の狙いとされています。EMDRでは、曝露療法と比べ、つらい記憶を詳細に語る必要がないため、患者さんの心の負担が少ないとされています。これを子どものトラウマに対する心理療法に応用したものがバタフライハグという方法で、言葉の通り、自分を抱きしめてあげるというものです。 両手で自分自身を抱きしめ、軽くたたきながら、「大丈夫だよ。」「怖くないよ。」「一人じゃないよ。」などと、自分で心に声をかけてあげることです。時間をかけてそうすることで、過去の体験を穏やかに振り返ることも可能になります。
○ Q14
早期発見の重要性の話について
3ヶ月健診、入学前健診(小学校)などで上手に児相につなげたりとかはできないでしょうか? また、アメリカでは通報制度がかなり一般的+日常的ですが、日本でも導入ができそうでしょうか?
● A14
 早期発見(3ヶ月健診、就学前健診など)は、もちろん重要です。児童虐待には「犯罪」という側面もあり、警察への通報が必要と思われる犯罪性の高いケースと遭遇する場合もあることは事実です。しかし、原則的には児童相談所を中心とした福祉的援助を中心に据えた関与のほうが、現時点では子どもの救済に結びつくことが多いことを指摘したいと思います。
 「虐待」という認識は「子どもと家族への援助」へのきっかけであって「加害者の告発」が目的ではありません。児童虐待は「子どもの健康と安全が危機的状況にある」という認識です。たとえ、養育者が良かれと思っていても、信念を持ってしつけをしたとしても、虐待と判断される場合もあり得ます。とくに、ネグレクトでそうした状況がみられることがあります。親に育児能力や必要な知識が不足していたり、子どもを養育する心身のゆとりがなかったりする場合が多いからです。
 日本でも通報制度は導入されています。児童虐待に関連する法律としては、主として児童福祉法と児童虐待防止等に関する法律があります。児童福祉法は2009年、児童虐待防止等に関する法律は2008年に改正されています。その他、民法や刑法、DV法なども関係する法律です。児童福祉法25条では、もともと国民全ての義務として、「保護者に監護させることが不適当であると認める児童を発見したもの」の通告義務がありましたが、それに加えて、児童虐待防止等に関する法律では5条で、「学校、児童福祉施設、病院その他児童の福祉に業務上関係のある団体及び学校の教職員、児童福祉施設の職員、医師、保健師、弁護士その他児童の福祉に職務上関係のある者は、児童虐待を発見しやすい立場にあることを自覚し、児童虐待の早期発見に努めなければならない。」と規定され、病院や医師には早期発見の努力義務が課されました。通告に関しては改めて6条で「児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない」と規定されています。ここで、「思われる」とされているのは、確証が無くても通告が義務であることを明確化しているのです。つまり、虐待は疑った段階で通告する義務があるのです。
 通告は単に子どもの住所氏名を伝えるだけではなく、当然、その事件に関しての個人的な情報を提供することが含まれます。更に、第三者が通告した事件であっても、通告できる立場にある以上、虐待に関して知っている情報を児童相談所に提供しても守秘義務違反にはなりません。
 小児科医療機関は、日常の診療に加え、1人の乳幼児に対して平均2〜3回の乳幼児健康診査を行います。乳幼児健診は子どもの発育発達状態に加え、家庭での育児の様子や親子関係などについて把握することができる貴重な機会となるため非常に重要です。園医や学校医として健診に関わる場合もあります。
 健診の結果は、市区町村の保健所・保健センターへ送付されます。その後、「母子カード」に転記された健診結果は、継続して管理されます。要支援家庭を発見した場合は、子ども家庭支援センターや保健センターなどの関係機関へ相談、連絡することで早期に支援を開始することができます。介入的なフォローが必要な家庭については、6〜7か月児や9〜10か月児健診などの受診勧奨と、1歳6か月健診や3歳児健診受診状況の確認、関係機関との情報共有による予防的支援が望まれます。
 乳幼児期・学童期の定期的な予防接種では、接種状況を母子健康手帳に記録するため、乳幼児健診の受診の有無もその場で確認することが可能です。また、スケジュールに沿って予防接種が受けられているか、接種時の親子の様子に不自然さがないかなどを観察することで要支援家庭を発見する大事な機会となります。この場合も解決に必要な支援があれば、早期に子ども家庭支援センターや保健センターなどの関係機関に結び付けることが重要です。
○ Q15
虐待の減少→医療費低下について
医療費に対して、そもそも児童虐待からの医療費はどのくらいの割合なのでしょうか?
現在の割合自体がそもそも小さいのなら、あまりこの部分は強調しても相手にされないのでは?
高齢者の社会的入院などweightの高いものの方が優先課題に・・・。
● A15
 児童虐待からの医療費については具体的な費用を存じません。赤林先生がご専門の領域と思います。 しかし、昨年12月に「家庭総研の試算で子ども虐待、社会的損失は年1.6兆円」というニュースが報じられたことは皆さんのご記憶に新しいと思います。以下に記事を抜粋します。

 「子ども虐待によって生じる社会的な経費や損失が、2012年度で日本国内では少なくとも年間1兆6千億円にのぼるという試算を、日本子ども家庭総合研究所の研究員がまとめた。子ども虐待の社会的コストは欧米では公表されてきたが、日本では初めて。
 試算したのは、和田一郎・主任研究員。社会的コストは、(1)虐待に対応する児童相談所や市町村の費用、保護された子どもが暮らす児童養護施設などの直接費用(2)虐待の影響が長期的にもたらす生産性の低下などの間接費用の二つに分けられ、直接費用は1千億円にとどまった。
 間接費用としては、自殺による損失▽精神疾患にかかる医療費▽学力低下による賃金への影響▽生活保護受給費▽反社会的な行為による社会の負担――など様々な項目について、他国の研究事例を参考にしながら推計した結果、社会的損失は計1兆5336億円になった。
 適切な対応をしないと、子ども虐待は社会に大きな負担をもたらすことが浮き彫りになった。
 米国の研究では、07年の同国での社会的コストは直接費用が約3兆3千億円(1ドル100円で計算)で、間接費用が約7兆円と算出されている。また、オーストラリアでは12年、政府機関が直接費用を年約3千億円(1豪ドル100円で計算)と公表している。
 今回の試算で、日本の2倍の人口の米国、5分の1のオーストラリアと比べた場合、日本の直接費用が少ないことがわかる。
 和田さんは「日本は虐待を受けた子どもにお金をかけていないということ。子ども虐待に予算や人員をかけることが結果として、将来の膨大な損失を防ぐということを理解してほしい」と話す。
 また、日本では長期的な虐待影響調査などが乏しく、データが不十分なため、慎重を期すために各項目は最も過小な値で算出したという。和田さんは、「今回の数値は最低限のもの」としている。
 12年度に全国の児童相談所で対応した児童虐待の相談件数は6万6807件。厚生労働省によると、年間約100人の子どもが死に至り、家族と一緒に暮らせないなど施設や里親のもとで生活している子どもは約4万7千人に及ぶ。」
  http://www.asahi.com/articles/TKY201312070090.html

 ですから、現在の児童虐待割合自体がそもそも小さいからと言って、決して無視できる数字ではないと私は考えます。
○ Q16
児童虐待の子どもの精神的障害への影響とメカニズムがわかるようになり、治療方法も進んだとしても、その進んだ診断と治療ができる小児科医、小児精神科医の先生方の数はまだ多くないのではないでしょうか。児童虐待を受けた子どもさんを関係者が、その進んだ診断と治療のできる先生に連れて行くことは、旅費やたてわり行政でまだまだ課題があると思います。2次医療圏、広域的医療圏をまたがって子どもさんや関係者が移動して、進んだ診断治療のできる専門医の先生にフリーアクセスできるようにするためには、医療施設整備と人材育成と研究それぞれの面でどのように課題を克服すればよいのでしょうか。
● A16
 確かに地方では児童精神科医は居ても一桁という所が多いと思います。専門家を一か所に集めざるを得ず、アクセスが非常に悪いというのが実情だと思います。しかし、子どもを専門にしていなくても少なからぬ精神科医が関心を持っています。
 これは児相の方など現場の方にお願いしたいのですが、研修会や事例検討などにめぼしい医師を呼んで、顔の見える関係を作りながら、虐待に関心をもってもらい、虐待の専門家をそうやって自分たちで育てる意識を持つべきだと考えます。そしてその先生を中心にして、医療従事者の虐待についての(児童福祉についてでも子どもの心を考える会でもテーマはなんでも自ずと虐待に触れざるを得ないですから)研究会などを作ってもらい、裾野を広げるべく協力するのが良いと思います。
 このほかに、児童虐待に関する医学教育が急務と考えます。児童虐待は小児期の重大な疾患と考えるからです。前述の児童虐待防止法5条では、早期発見の義務が課されているもの(病院および医師が含まれる)に対して「児童虐待の予防、その他の児童虐待の防止並びに児童虐待を受けた児童の保護及び自立の支援に関する国及び地方公共団体の施策に協力するよう努めなければならない」と定められています。
 ご存じのように、虐待によって傷ついた子どもが救急車によって搬送されてくるのは病院です。保育所や学校で子どもの体に虐待を疑わせる傷が発見され、その診断を求められるのは医師です。体重増加不良や心身の発育不全の背後に虐待やネグレクトの存在を見抜くことは、医療者、とくに小児科医に課せられた重大な責務です。医師は、虐待された子どもの第一発見者になることが多いのです。この重大な疾患を見落とすことは深刻な結果を招来します。虐待を疑い、正確な診断のためのプロセスを踏み、適切な治療的対応を実践することは、小児科医に課せられた重大な責務であると捉えるべきです。子どもの虐待の診断と治療という困難なテーマに対して、我々小児科医には、果敢に挑戦する勇気と行動力が求められているのです。児童虐待には、もう一つの重要な側面があります。それは「子どもの虐待を疑う」ということは、「そこに大きな問題を抱えて援助を必要としている子どもと家族がいる」ことを意味している、ということです。子どもの虐待への関与の中心は、「加害者の告発」ではなく、「子どもと家族への援助」です。そして、この援助を可能にするためにこそ、地域の多職種の専門家によるネットワークが欠かせないのです。以上、医師による子どもの虐待の診断と通告は、その後の長期間に及ぶケースワークの重要なスタートラインとなるのです。
 また、治療=癒しは医療だけではありません。むしろ生活の中で関わることのできる人たちによるものが大きいのではないでしょうか。近年、レジリエンス(回復力)が重要だということが言われるようになってきましたが、抗うつ薬でも、神経系の弱った人を抗うつ薬が治すのではなく、神経系がまだ機能している人が抗うつ薬に反応して治る、と言われています。つまり、神経再生の手助けをするわけですが、神経が再生してきて、うまく作れていなかった、あるいは傷ついた“神経ネットワーク”を再構築するために、精神療法や環境調整などが必要です。
 必要なのは、自分は治る力がある、と本人が信じられること、そういうことに気付かせて、応援する、励ます、保証することだと思います。このことは、何も医療でなくてもよいと思います。

2014年7月23日

質問・コメントカードへの回答 2

内田良

内田良「私たちは何を語り,何を語っていないのか―「児童虐待」問題を解体する」へ当日寄せられた質問・コメントへの内田先生の回答です。

○ Q1
「行為レベルでの「暴力」や「放置」は昔あったが、今あるのは、虐待 というのは、社会の価値観が変わったことが理由であるともとれる言い方ですが、そういう意味でしょうか? 「虐待」というのは、実質的な行為が問題なのではなく、社会的構築のされ方を見るべきというお立場でしょうか?
● A1
 議論の前提として,価値観が変わったということを踏まえなければならないということです。今日になってようやく,私たちが子どもの人権を尊重するようになり,そこで,子どもに対する暴力や放置を問題視するようになったということです。その意味で,いまの社会は,まずもって健全な社会であると言えます。健全な社会だからこそ,暴力や放置がしっかりと発見されるのだと考えなければなりません。
○ Q2
子供のケアが個-社会に依存、つまり家庭に過依存していて、コミュニティでのケアがされていないことが、保護者のストレスを増やし、暴力が増えているという考え方についてはどうお考えかんがえですか?
● A2
 親族や他者からの支援がなく,子育てに苦悩するということは,今日的な出来事として起きていると思います。その問題を解決することを怠ってはなりません。ただ,経年的な件数の増減については慎重に考えるべきです。この20年,NPOや行政による子育て支援が整備され,子どもの人権に対する意識も向上しました。そうした社会的変化を凌ぐ勢いで,暴力が増えている(養育者が子どものことを大切にしなくなっている)とは考えにくいように思います。
 いずれにせよ,虐待防止活動は,「虐待が増えている」という根拠に乏しい主張をそろそろ止めるべきです。虐待防止活動は,「虐待増加」の訴求力に甘えたまま,虐待防止の意義を唱えてきました。でも,これでは暴力や放置が減っているというデータが示されたとき(実際に今回私はそれを示したつもりです),虐待防止の意義を唱えられなくなってしまいます。暴力や放置が減っているとしても,それでも防止したいという論理とエビデンスと勇気を,いまのうちから準備しておくべきと考えます。
○ Q3
虐待の原因論について、よく耳にする虐待の原因論が「新しい」時代の問題として語られている、という部分には納得ができたのですが、「都市的な」問題として語られている、という部分があまりしっくりきませんでした。少子化・核家族化などの原因論は地方にもあてはまるのではないかなと考えたからです。
同様に、「伝統的な」問題と「非都市的な」問題が一緒に扱われていることにひっかかってしまいました。
よろしければ、「伝統的あるいは非都市的な」問題として虐待を見るとどういうことが言えるのかということと、「都市的」「非都市的」の言葉の使い方について説明いただけると幸いです。
● A3
 この点は,私自身の説明が不十分であったと思います。言いたいのは,児童虐待防止活動では,暴力・放置が新しい時代の問題として語られている,ということです。他方でそこで語られていないのが,暴力・放置を古い時代の問題(古くから人びとが受け継いでいる慣習や文化)として語るという方法です。新しい時代の問題のなかに,少子化・核家族化,都市化といった事象を位置づけ,古い時代の問題のなかに伝統的しつけを位置づけて,私の報告を理解していただきたいと思います。
○ Q4
ご著書『児童虐待へのまなざし』を、大変興味深く読ませていただきました。
そこでは、社会(我々)の「児童虐待」へのまなざしが強まることの問題が指摘されていたように思います。
「やばい(母)親」「やばい家族(に育てられた)」というまなざしが、(母)親や、被虐待児に、新たな苦痛を生み出している、というご指摘だと、私は解釈いたしました。
が、今日のお話では、むしろそのようなまなざしの強まりが「健全」「望ましい」というようにも聞こえたのですが、この点についてどのようにお考えでしょうか。
「虐待」というワードさえ使わなければOKなのでしょうか?(←こういうふうにも聞こえました)
● A4
 (質問の主旨を捉え損ねているかもしれません。)
 拙著で私が主張したのは,「家族はすばらしい」という価値観が,暴力や放置で苦しむ子どもの声を封印してしまうのではないかということです。だからこそ,「家族はときに壊れることもある」「養育者はときに暴力を振るうこともある」というメッセージを,子どもたちに伝える必要があると思います。子どもに対する暴力・放置が禁止される今日の社会では,そうしたカミング・アウトに大きな勇気が要することも考えられます。それだけに,子どもたちが自分たちの苦しみを訴える機会や場が用意されていること,そのことを子どもたちに知らせることは,とても重要なことであると思います。
○ Q5
都市モデルの部分の話について
都市ではやったことは、time lagがあるものの、数年後には、地方にもその発想が広がってくるのでは?(ファッション、自治体の行動など、こういうことが多い)
1990,1991 / 2000,2001 /→このあとの都市と地方はどうなっているのでしょう?
黒色部と灰色部の関係は?
● A5
 2001年以降の分析結果は,30枚目のスライドの図をご覧ください。少なくとも2006年度までは,虐待防止活動が都市化していることを確認できます。じつはそれ以降については,データがありません。その最大の理由は,2007年度から2012年度までに政令指定都市が5つ増えて,本分析における都市/地方の区分を一貫させることが難しくなったためです。
○ Q6
17ページの虐待死の数が、柏女報告の「年120人位」の数字よりも少ないのはなぜか?
(コメント:大変刺激的な報告、ありがとうございます。)
● A6
(これは柏女先生にお答えいただいたほうがよいかと思うので,私のほうではキャンセルさせてください。)

2014年7月23日

質問・コメントカードへの回答 3

小長井賀與

小長井賀與「児童虐待と修復的正義」へ当日寄せられた質問・コメントへの小長井先生の回答です。

○ Q1
修復的実践が実際に日本で行われている事例はありますか?
● A1
 制度化されたもの(=法律で「問題」に対する正式な対処方法として行うことが規定されているという意味)ではありませんが、行われた例はあります。数は少ないですが、「非行」事例で行われています。NPO法人「千葉対話の会」が行っています。少年院を出院した少年とその被害者に対し、保護観察官が行った事例もあります。私自身も保護観察官時代に、非行少年とその被害者に直接対話の実践を行いました。
 児童虐待問題に関しては、かつて大阪児童相談所が研究者と一緒に「親子の再統合」のために試行的に行っていると聞いたことがありますが、今はどうなっているのか分かりません。
○ Q2
法律が専門ではないので素人質問かもしれませんが、この修復的正義というのは、いわゆる「民事」の問題なのでしょうか? 当事者同士で解決すべき問題なのでしょうか? 社会やコミュニティはそこではどういった責任を果たすべきと考えられているのでしょうか?(このコミュニティは、紛争の当事者とはなっていない周囲のコミュニティです)
つまり「修復」を行うのは誰で、誰がその履行をモニターするのでしょうかということです。
またEnforceするのは誰なのでしょうか?
児童虐待は癒しが得られればいいという種類の問題なのでしょうか?
本日の友田先生のお話にもあったように、身体的にも損傷を伴うという大きな問題なので、それだけではすまない部分が大きいように思いましが。
● A2
 修復的正義では、問題を「民事」と「刑事」に分離して考えません。全く次元の異なる考え方をします。何らかの悪事によって、関係性が壊れたと考えます。関係性とは、加害者と被害者の関係、加害者とコミュニティ、被害者とコミュニティなどです。当事者が壊れた関係性を自分たちで「解決したい」と思った時に、用いる紛争解決手段です。コミュニティが「解決すべき」と思って、当事者に強制するのではなく、当事者が解決したいと思った時に、コミュニティは支援します。コミュニティは、知人だけでなく、公的機関も含め広く捉えることもできます。 
 修復を行うのは当事者です。理論的には、モニターは関係を持つ人が行えばいいです。ただし、ニュージーランドなど、修復的司法が児童福祉の問題や非行の解決手段として制度化されている場合には、児童福祉機関や刑事司法機関がモニターを行います。なお、制度化されている場合も、あくまで当事者が行いたいと思った場合にのみ実施します。
 癒しは目的ではなく、幸運な場合にもたらされる副産物です。目的は、壊れた関係を修復することです。しかし、修復できないこともあります。それでも、当事者が相手のことを少しでも知ることができると、それだけでも何とかしたいと思っている当事者には収穫です。また、そんな当事者の回りには、支援の輪ができることも多いと思います。
 児童虐待事例の場合、当事者が修復的実践を行いたいと思っても、いつ修復的司法を行うかが慎重に考える必要があります。傷が癒えた児童が、自然な流れで親との関係を何とかしたいと思った時が適時だと思います。その思わなければ、行う必要はありません。行う場合も、癒しを目的とするのでなく、親と何らかの心理的な「再統合」ができれば、児童にとって大きな意味があると思います。親を否定し憎しみだけしかなければ、結局はその親から生まれた自分をも否定することになります。自分を否定して生き続けることは辛いものです。親の虐待を肯定はできないでしょうが、暴力の背後にある親の事情や困難が分かれば、親との心理的な関係は違ったものになり、自分の肯定にも繋がると思います。心の傷も人間が生きていく上で大きな問題ですので、もし、当事者が望み、自然な形で修復的実践ができれば、被害児の人生は随分と肯定的なものになるのではないでしょうか?
○ Q3
コミュニティ内に加害者と被害者がいて、被害者がコミュニティにいることすら嫌になってしまったら、修復的正義はもはや介入の余地がないのでは?
例えば、被害者の子どもは、虐待をした親とは、親子の縁を切りたいというcase(あるいは、それだけでなく、里親を見つける、養子になるcase.)
あるいは、修復的正義の実践のために、コミュニティから外に出ることにstopがかかってしまうと、個人の別の権利が阻害されてしまうのでは?
● A3
 修復的正義は、当事者が行いたいと思った時だけに実施されます。虐待された子どもがもう親と縁を切りたいと願うのであれば、その気持ちを尊重しなければなりません。修復的正義の実践を行う余地はありません。
○ Q4
修復的正義から導出される結論が加害者側へのpunishmentが少ないものになった場合、司法制度との整合性がとれなくなるのでは…?
コミュニティ内での解決は、結局身内同士の話合いみたいになってしまい、なあなあになってしまうのでは…?
ピンポンダッシュの少年たちが年寄と一緒に食事をするようになってめでたし、めでたし…という話は、かなり違和感があった。被害者の年寄が、この結論では、かわいそう…。自分が年寄だったら、気の毒。これは認められない。
● A4
 おっしゃるとおりです。ですから、現状では、世界のどの国でも重大事件は、まずは修復的正義ではなく刑事司法で対処します。事実関係も複雑ですから、法律の専門家が審理する必要があります。ただし、司法制度で裁いて刑罰を科し、刑が執行中、あるいは執行後に、両当事者が望む場合に、刑事司法を補完する意味で行われることもあります。加害者は謝りたいと思い、被害者はなぜ自分が狙われたかを知りたいと思うなどの事例が考えられます。
 「ピンポンダッシュの少年」の事例は、両当事者がそういう解決方法で合意したからそうなりました。解決方法を選ぶのは当事者です。自分たちの納得する方法を見つけてもらうのが、修復的正義の基本的考え方です。そして、そもそも被害者が加害者を絶対に許せないと思うのなら、修復的正義には馴染みません。警察に被害を申告すればいいのです。被害者には、警察に申告することが人権上保障されています。そして、誰にも被害者に修復的正義を行うことや、行った場合の合意内容を強制することはできません。その点で、日本の「調整制度」とは異なります。
○ Q5
修復的正義という考え方のもとで、児童虐待を事前的に防いでいく取り組みの例などがあったら教えてください。(つまり、現状を維持するための取り組みはなされているでしょうか?)
● A5
 私はあまり詳しくはありませんが、親が子育てに困難を感じ何とかしたいと思って、地元の修復的実践機関に行って、その仲介の元に親族が集まって改善方法を考える、あるいは、夫婦の争いや親権など他の問題を解決するために修復的実践機関へ行き、そこで親子の問題が明らかになって、修復的実践を行うという可能性があると思います。その他、地域の子育て支援機関に相談に行って、そこで何らかの親子の問題を解決する必要が明らかになり、勧められて家族集団会議を行うことも考えられるのではないでしょうか?